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【本編完結】不幸少女、逆境に立つ ~戦闘系悪役令嬢の歩む道~  作者: 雨足怜
アフターストーリー

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つながる

 踊り、占術を行う二足歩行の猫。

 童話かおとぎ話の世界に迷い込んだような、どこか幻想的な光景は消えて。

 まだ夢の世界にあるドルイドとミッチェルは、熱に浮かされたような目でハイデルを眺める。

 ハイブチのハイデルは小さな丸椅子に腰かけ、ゆらゆらと尻尾を揺らす。占術のための薬剤のために集めているという薬草を煎じて作ったお茶を手に、シャルとの話に花を咲かせていた。


「……昔は、ケットシーは当たり前に人類社会の中に存在したのですか」

「あたしゃ、こんな見かけでももう長いこと生きているのさ。猫が人間より短命なんて言うのは、あたしゃ、人間の過信だと思うよ」


 優れた人間、万物の霊長――そうした思考は、確かにこの世界にも存在する。

 魔物という危険と隣り合うこの世界の人々は、スキルとレベルという力を手にその支配域を広げてきた。

 森を切り開き、草原を耕し、沼を埋め立て、魔物を殺し、動物たちを糧として。

 世界全体に広がった人間はけれど、万物のトップと呼ぶにはいささか頼りないとシャルは思う。


「人間が尊大かどうかはさておき、排他的というのは否定できませんが」

「まあ、そうでなけりゃあ今もケットシーは人類の社会の中で、ありふれた一員として生きていただろうね」


 ミッチェルは目を閉じ、ケットシーが当たり前に存在する世を思う。多くの人が住まい、日々を生きる中、そこに、背の低い歩く猫の姿がある。服を着て、尻尾を揺らし、ぴくぴくとひげを上下させる愛らしい存在。

 そこは、まさしく夢のような世界だった。


「人間の排他精神は、こと妖精相手には強いね」

「……人間よりも、種族全体で優れているからですか」

「その通り。自分たちの世界を脅かしかねない強敵だと判断するわけだ。たとえ、相手が少しも人間を害そうという気を持っていなくとも」

「限りなく人に近い妖精であるドワーフはどうですか?」

「何事にも例外はある、そうだろう?」

「…………人間にとって、都合のいい存在だから」


 この世界に存在する、三大人類種。

 人間――それは、世界に覇を成す最大派閥。

 エルフ――それは人間には手が届かない、最小派閥。派閥どころか個人で勝手に生き、けれどその力は時として国家を上回るという、アンタッチャブル。

 そしてもう一種が、ドワーフ。

 人間ほど数の多くない、妖精種。人と精霊の間に生まれ落ちた彼らは、長い年月の間に限りなく人に近い妖精となり、今では人類文明の中に埋没している。


 シャルはこれまでに関わりのあったドワーフを思い出そうとして、首をひねる。どこかの町で、鍛冶師のドワーフがいた。それくらい。冒険者にもドワーフらしき人物がいた気がするも、シャルははっきりとは思い出せなかった。


 思い出せない――それはつまり、当たり前の存在だということ。

 ケットシーよりもずっと人間に姿形が近いドワーフなど、もはや人と区別をつけることが困難で。

 そこまで近い存在だからこそ、違和感なく人類の中にいられるのだということ。


「ドワーフたちはその腕ゆえに、人間たちに存在を許されたのさ。人間たちでは生き辛い地底でも生き延びることができ、こと鉱物を扱う際にはたぐいまれなるセンスを発揮する。鉱石、あるいは宝石に魅せられた人間にとって、ドワーフはなくてはならない存在になった」


 だが、と。

 薬草茶をすすり、その緑の水面を眺める。

 そんなハイデルの顔には深い悲しみの色があった。


「……ケットシーは、そうはならなかった。ドワーフのように一芸に秀でているのではなく、多芸で、そして多くの分野で人間よりもセンスを見せた。見せてしまった。数も多く、子も多い。それでいて体が弱いということもなく、人間よりも長生き」

「……人間の上位互換ですか」

「そう思ったんだろうね。気づけばケットシー狩りが始まった」


 それきり、ハイデルは固く口を閉ざし、揺れる水面を眺め続ける。伏せられたその目から内心をうかがうことはかなわず、わかるのはただ、過去を思い出しているだろうこと。

 その凄惨な過去は、もはやほとんど記録に残っていない。少なくともシャルは、これまで読んできた本の中で「ケットシー」という単語を見たことはなかった。


「……まあ、そんなわけでこいつは生きた宝石と呼ばれているわけだ」

「誰が『骨董品で老害』だよ」

「誰もそんなことは言っていないだろうが」


 つまり自分はそう思っているだけだろ、とクロノワールは肩をすくめる。

 彼の発言は瞬く間に空気を変えた。陰鬱さがどこかに吹き取んだ中、ハイデルは近くにあった木片を手に取ってクロノワールに投げつける。

 額に投擲物が直撃したクロノワールは患部を両手で押さえながら険しい目でハイデルをにらむ。


「……この、旧時代の亡霊が」

「自分の能力不足でここまで依頼主を連れてきた無能の言葉なんて痛くもかゆくもないね」


 適格に心の弱いところを貫かれ、クロノワールはぐ、と眉間に力を籠める。その顔は怒りで赤く、目つきも鋭く、ただ、痛む額を手で押さえているために間抜けさが剣呑さを打ち消していた。


「……この化石女郎が」

「それで、何の話だったかな?」


 そよ風と受け流しながらも、ハイデルの目は少しも笑っていない。なぜ自分がにらまれるのかと、少し理不尽に思いながらシャルは脱線を続けた話を思い出した。


「……ケットシーとは何か、ですね」

「ああ、さっきそこの無能も言ったが、一時期ケットシーは『宝石』と呼ばれていたのさ」

「宝石……いい意味ではないですよね」

「もちろん。宝石というのは、所持者を、人間を輝かせるもの。つまりケットシーは、奴隷のように搾取され、人間が富むための労働力にされたのさ」


 ひどい、とミッチェルは青ざめた顔をしながらも告げる。その手がしっかりとドルイドの耳を抑えているところに、シャルは既視感を覚えて目を細める。

 そういえばアリスも似たようなことをしていたと考えて。

 シャルは己の交友相手が皆似通っていることに、少し危機感を覚えて苦笑する。


「なにより、ケットシーの肉体は、人間よりもだいぶ魔力に優れた……多くの魔力を取り込んで溜めて置ける器になりえた」


 魔力。それはこの世界において、あらゆることを可能とする万能の力。

 魔力の有無は力の有無であり、権力の有無ともなりうる。人ひとりが強大な力を持ちうるこの世界において国家という不安定な組織が存在しているのは、ひとえに強大な王家の存在のため。王家はその権威以上に力をもって国を安定させる。

 その力こそが魔力であり、だから幼少期から過剰な魔力を有した王侯貴族は魔力蓄膿症を発症させる可能性が高い。

 魔力蓄膿症――簡単に言えば、肉体が魔石化する現象。膨大な魔力を取り込むことが可能な器であり、だからこそ魔力蓄膿症になった子どもは闇組織に狙われることになる。

 膨大な魔力という力を生み出し、蓄える魔力タンクとして。


「魔力蓄膿症になった肉体以上に?」

「うむ。ケットシーはそれ以上なのさ。だから、そのうちに人間はケットシーを魔力タンクとみなし、使い、消費した」


 そうして気づけば同胞は姿を消したと、淡々と語る。

 その目には、悲しみはなかった。すべては過去のこと。

 記憶は風化し、あるいは年月がハイデルを達観させた。

 でなければハイデルが、人間社会の片隅で生きることを選択するはずがない。


「……別に、完全な悲劇が待ち受けていたわけでもない。滅びを目前にした同胞たちの多くは、己の解放を決断したのさ」

「解放?……死ではありませんよね?」

「ああ。たとえ精神的に無になろうとも、肉体は残ってしまう。人間の道具として、魔力の貯蔵器として使われては意味がないからね」


 死は、ケットシーの救いにはならなかった。

 解放には遠かった。

 だから、彼らは決断をした。


「同胞は、ケットシーであることをやめたのさ」

「ケットシーを、やめる……?」

「精霊に頼み、その身に宿る精霊の力を捨てたのさ。ケットシーから精霊の力が失われれば、ただの猫になる。人間社会に生きながらも、人間たちに搾取されることのない猫に」

「……先ほどの、猫は」

「かつての同胞子孫だろうね。今この世界に覇を唱えている猫は、ケットシーの血を引く個体からなっているよ」


 妖精が、精霊の力を捨てる。

 そのような選択が可能だとは、話を聞いただけではシャルには思えなかった。ただ、現にラーデンハイド王国の猫たちは、ケットシーのハイデルに応えるように集まり、力を貸した。

 そこには、シャルには説明できない現実があった。


「……それで、どうしてここまで話してくださったのですか?」


 茶飲み話にするような内容ではなかった。

 ケットシーという存在について興味を持ったシャルの問いがきっかけとはいえ、話をごまかすことくらいはできたはずだった。反応からしてすでにクロノワールは知っているとしても、それをこの国に所属していないシャルに語る理由はない。


 ニィ、と。

 いたずらっ子のように笑ったハイデルはくるりと椅子の上で体を回してまっすぐにハイデルのほうを見る。


 その、銀に輝く、精霊の愛を受けた目を、まっすぐに。


「精霊から授かった力には、手放す選択肢がある――そのことを教えておきたかったのさ。人間による理不尽から身を守るために、その力を捨てることも方策の一つだとね」


 力を、捨てる。

 その言葉に言いようのない恐怖を覚えたのか、あるいは少し違う意味にとったのか。

 右の銀の重瞳を隠すように手で覆い、ドルイドは恐怖にひきつった顔を見せる。


「安心しな。その目を物理的に失うという話じゃない」


 告げても、ドルイドの恐怖は消えない。その理由を問うべく、ハイデルはシャルへと視線を戻す。明らかに、異様な怯えようだと。


「その目は、彼にとって亡き母とのつながりでしょうから」

「……そうか、第一世代の妖精。だからこれほどまでに精霊に愛されているわけか」


 細めた目で何かを見透かすようにドルイドを眺めて。

 ぴょん、と椅子から飛び降りたハイデルは、続いて座るドルイドの肩に、重さを感じさせない動きで飛び乗る。

 少しだけ体をふらつかせたドルイドだが、バランスを崩して倒れることはなかった。


 ――託されたものの決断は、君自身がしなさい。


 そんなドルイドの耳元で、ハイデルはシャルにも聞こえないように小さな声で囁く。


 何のことかと首をひねるドルイドの銀の瞳をじっと見つめたハイデルは、肩をすくめて飛びのき、椅子へと戻る。


「……隠し事かよ」

「どちらかというと老婆心からの親切だな。何、欲しいのであれば助言の一つでもして見せようか?坊やよりも占術に秀でるあたしが、な」

「余計なお世話だ」


 ふん、と鼻を鳴らしたクロノワールはこれ以上遊ばれるのはごめんだと、むっつりと黙り込む。目を閉じ、腕を組み、壁に背中を預ける完全防備。

 我関せずを貫こうとするクロノワールを孫を見るような目で見つめるハイデルが、ぴくりと耳を揺らす。


「……来たか」

「まさか」

「ああ。意外と早かったの」


 言いながら椅子から飛び降りたハイデルは、すぐに立ち上がったシャルを先導するように歩き出す。

 扉を開き、そして。


「な、なんなの!?」


 無数の猫によって運ばれてきた女性が、開け放たれた扉からハイデルの住処へと放り込まれる。よほどもみくちゃにされたのか、体中に猫の毛をつけ、こげ茶の髪も強風の中を歩き続けたように鳥の巣状態になっていた。

 形の良いアーモンド形の瞳は痛みにゆがみながら周囲を見回して。

 自分を見下ろす見覚えのある存在に気付いて目を細める。


「……シャル?」

「……ベリナ」


 現れた女性の名を呼びながら、シャルは「これも運命なのだろうか」と、すべてがつながる感覚の中にいた。


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