ケットシーの占術
ハイデルの住居であり仕事場の裏は、雑多なものが積み上がり風雨にさらされた、廃棄場という言葉がふさわしい場所になっていた。
錆びた剣や盾、斧や包丁、どこの店のものかわからないほどに色あせた看板、脚の折れたテーブルや椅子、朽ちかけたタンス、土にまみれた布切れ――それでも不思議と汚らしく感じられないのは、ほとんど悪臭がしないから。
わずかに漂うのは錆びの匂いばかりで、それはシャルにとってはもはやすっかりなじんだ香りだった。
ただ、血を思わせるその香りはシャル以外には不評らしく、この状況を作り出したと思しきハイデル自身でさえくしゃりと顔をゆがめていた。
「……また一段と物が増えたな?」
「誤った品が集まるのだから仕方のないことだろう?」
言いながら、ハイデルは左右に廃棄物の山が積みあがる間に続く隘路を慣れた足取りで進んでいく。道は狭く、時折突き出した刃物が通路をふさぐようにして存在していることもある。
背の高いシャルやクロノワールは腰をかがめて首を狙うような刃を避けて通る。
このような惨状がまかり通っているのは、この辺りの家には裏口がないことと、そしてないより、錆びの匂いをばらまく代わりにハイデルが近隣住民の失せ物探しを格安で引き受けているからだった。
ちなみに、近隣住民はハイデルをいつもフードを被った老婆だと認識しており、彼女が猫――ケットシーであることには気づいていない。
垂れ下がって揺れる尻尾を、ドルイドとミッチェルはじっと見つめながら進む。動く獲物を狙う猫のように。
危機感のない二人が転びそうになるたびに支えるシャルは、保母あるいは母親じみていた。
当然、クロノワールが内心で「よくやるな」とあきれ返ったのは言うまでもないことだった。
そうして進むこと数分。その惨状にすっかりあきれ返ったクロノワールがぐちぐちと小言をつぶやき始めるころ。
迫るように存在していたがれきの道の奥に、ぽっかりと開いた空間が現れた。
中央に枯れた噴水のなれのはて。石畳はひび割れ、ところどころ地肌が顔をのぞかせて雑草が伸びていた。風雨にさらされた一体は砂埃でくすんでおり、周りを取り囲む廃棄物の壁も相まって、荒廃した世界に迷い込んでしまったような錯覚を与える。
言いようのない恐怖を覚えたドルイドはひしとシャルに抱き着き、ミッチェルもまたシャルの腕をつかむ。
「……物には命が宿るという話を聞いたことはあるかね?」
「長く愛着を持って使った物には、と限定するなら」
その通り、とうなずきながらハイデルは作業を進める。
元噴水広場の中央に、噴水跡を中心として半径数メートルほどの円を描いていく。鞄から取り出した薬液はどろりとした青色。それを垂らしながら、ハイデルはぐるりと噴水跡を回る。
「感情のカケラ、あるいは所有者の記憶、はたまたその道具への信仰にも似た祈り……とにかく、物にはそうした思念が宿る」
もちろんというべきか、全てのものについてよりよい思念が宿るとは限らない。
例えば、負の想念を宿した物は瘴気を引き寄せ、その在りようが変化して呪われる。そうして生まれるのが、リビングウェポンなどに代表される、無機物の魔物である。
あるいは、恐怖や畏怖が宿った物は、そこに特殊な力を生じさせる。その中には神具のように、現在の技術では再現不可能な驚くべき性能を有したアイテムがある。例えば、刺せば相手を確実に呪い殺す剣や、非常に優れた魔法防御効果を宿した盾。
こうした例に武器や防具が多いのは、いい意味でも悪い意味でも人々の信仰になりやすいからで。
「そんなわけで、武器防具の捜索は比較的容易なのさ。それも今回は青と来た」
「青色が好条件なのですか?」
「あたしゃ、青を見逃したことはないよ。何せ異物だからね」
薬液で円を描き終わったハイデルは、続いて、周囲の廃棄物の山を物色して、朽ちかけた品々を円の上に等間隔に並べていく。
ほとんど原型をとどめていない人形、煉瓦のカケラ、剣の柄、手のひらほどの布切れ、歯のすべてが折れた木の櫛――
「青はね、異界を連想させる色なのさ」
「……ああ、なるほど」
思い出した疑問が氷解して、シャルは小さくつぶやく。青――つい最近、その色はシャルの行動を決め、導いた。
そんなシャルへ、何をどう理解したのかと、ハイデルは興味深そうに視線を送る。
「コート王国の信仰です。あの国に青を神聖視する風潮があるのは、精霊界という異界を連想させるからですね」
思い起こせば、コート王国のいたるところに青はあった。
露店の屋根になっている布、衣服、看板、鉢植えの花。
鮮やかな青の塗装や染料は高いにも関わらず、あの町には青があふれていた。そんなことは、いつ精霊界に入れるのか、不安と興奮に満ちていたシャルにこれまでさほど響いてはいなかったが。
「ああ、そうさね。青は異界の入り口。精霊界とつながるあの場所は、市民に門の存在が伝わっていなくとも、青によって信仰が保たれている。……あるいは、不用意に精霊界の存在を広めないための措置だったのかもしれないがね」
「だから、精霊界ではなく『霊界の祠』なのですか」
「……また懐かしい言葉だね。今は朽ちて久しいその名を耳にすることが来るとは思わなかったよ」
口調や振る舞いから予想される年齢以上に長い月日を生きてきたのかもしれないと、シャルは少しだけ目を開く。
ハイデルの言う通り、霊界の祠――精霊界へと続く「門」はもうずっと前に朽ちている。だからその名を知る者はもうほとんどいなくて。
だから、その名をシャルが知っていることも驚きに値することだった。
今回の依頼主は相当な変わり者だと、ハイデルは心の中でうなずく。
シャルをして「変わり者」の一言でまとめるあたりに、ハイデルの人生経験がにじみ出ていた。
ゆっくりと等間隔に廃材を並べ終え、ハイデルは一息つく。
朽ちた噴水をぼろぼろの品がぐるりと取り囲む様は異様の一言。
すでに見慣れたクロノワールは寒さに震えながら立ち尽くし、ミッチェルとドルイドは興味津々な様子でハイデルを、あるいはその揺れる尻尾を眺める。シャルは緊張で動悸が激しくなるのを感じながら、じっとその時を待った。
「青は異界の証。とりわけ、自然界には存在しない青い炎は、この世ならざる力の証。通常では見えないものを見るためには、青が有効なのさ」
ハイデルがかざした手の上、火魔法の赤い炎が揺らめき、放たれる。
それは一直線に足元の青い導火線へと飛び、着火させる。
そうして、噴水跡に、青い炎の円環が出現する。
朽ちかけた廃材は青い薬液を吸い、強い炎を立ち上らせる。
そんな青の円台の中央、朽ちた噴水跡へと飛び乗ったハイデルは、たたん、と足で軽快なリズムを刻む。
「――寄れや、集えや、幾百の」
朗々と響き渡る歌に、ミッチェルとドルイドは動きを止め、食い入るようにハイデルを見つめる。
灰色の毛がさらりと揺れ、黒いブチの輪郭がぶれる。
歌に応えるように、青の炎はますます火力を増して立ち上る。
「齢を刻み、時を経て」
カラン――がれきの山から、木材が転げ落ちる。
ハッと顔をあげたシャルが見た先、廃材の壁の上に、一匹の影がある。
「よすがを宿し、流れゆき」
一匹、また一匹。
元噴水広場の周り、廃材の山に猫たちが姿を現す。
一声も鳴かず、ただ静かに。
見守る様はやはり、異様の一言。
「朽ちるかな、嗚呼朽ちるなら」
気づけば、廃材の山はその頂上を一回り高くする。
頂上にずらりと並んだ、毛並みも色合いも艶も、瞳の色も体の大きさも異なる無数の猫たちが、今か今かと時を待つ。
ギラギラと輝く幾百の瞳は、獲物を前にした肉食獣のよう。
気づけば導火線となった薬液の炎は消えており、廃棄物が等間隔に炎を揺らしていた。
「本懐遂げて、果てるべし」
たたん、たたん。
肉球でも殺しきれない、力強い足踏み。それが合図。
「わが身糧にし、同胞の、栄達が為、灰となれ」
「「「ニャッ」」」
息のそろったひと鳴き。それが、場の空気を完全に掌握する。
ここにきてようやくシャルは、目の前のこれは儀式なのだと理解した。
儀式魔法と呼ぶように、魔法は儀式によって効果を増す。それは、魔力というものが、あるいはイメージというものが、感情によって左右されるから。
ならば、同じように魔力とイメージの関与する占術でも、儀式による効果増大が見込まれるのは自然なこと。
「……お疲れ様」
言葉とともに、あれだけ燃え盛っていた炎が沈静化する。
等間隔に置かれていた廃棄物はすべてが同時に消え去り、そして。
消えた青を取り込むように、ハイデルの目が青く染まる――青く、光る。
ぐるり。
首を巡らして空を仰ぎ、いっぱいに目を見開いて、ハイデルは頭上をにらむ。
空を見ているわけではないと、誰もが分かった。その目は、この場にあって、この場にはない。
遠く離れた何かを、見ているのだと。
その時間は、数秒にも、十数分に思われた。
固く握ったこぶしの内側がじっとりと汗ばむのをシャルが感じた時。
ハイデルはゆっくりと息を吐き、体から力を抜く。
「見えたな。……あとは頼む」
その言葉を合図に、猫たちはいっせいに踵を返す。
そうしてラーデンハイド王国一の失せ物探しの占術は終わりをつげ、ハイデルの目であり手であり足である猫たちは、失せ物の回収のために動き出した。




