決意
精霊と人の子であり、けれど妖精になりえなかった少年。
本来死ぬ定めにあった彼は、母親の献身によって生きながらえ、精霊の導きにあったシャルに拾われた。
夢のような世界で母と別れた少年ドルイドは泣き続け、しばらくして疲れ果てて再び眠りに落ちた。
シャルはそのまま、身じろぎ一つもできずに、ドルイドを抱きしめたまま固まっていた。
「……」
ドルイドの小さな手が、シャルの服を力強くつかんでいた。絶対に離さないと、そう言いたげな手に、何より自分にすべてを預けるその姿勢に、シャルは彼を起こす気になれなかった。
起きてしまわないように、振動の一つも与えない。自分がひどく過保護になっていることに呆れ、シャルは苦笑を漏らす。
その顔には、けれど、不満はなかった。
小さな体。少しでも力を籠めれば折れてしまいそうなほど。眠る体は先ほど、泣きながらしがみついていた時よりもずっと重く、ドルイドが安心していることを感じさせた。
こみ上げる庇護欲を感じながら、シャルはまんざらでもないとほほ笑む。
どれほどそうしていたか。
シャルそっと背中から離した片手でドルイドの髪を軽く撫で、風呂にも入れていなかったことをは思い出した。
ちらと見ればベッドは砂やらなにやらでひどく汚れ、白いシーツは長く使い続けた後のように茶色と黄色で染まっていた。
子どもだから体温は高いものの、抱きしめるその体はもう高熱にさいなまれていることはない。
起きたら風呂に入れよう――そう考えるシャルの腕の中で、ドルイドは小さく身じろぎする。
途端にシャルはほんの少しの動きもするまいと体を固くする。
静寂に満ちた部屋に、ドルイドの唸り声と、吹き付ける秋風が窓をたたく音だけが響く。
暖房魔道具によってゆるく暖められた部屋は居心地がよく、けれど座った状態で長く眠り続けられるほど、ドルイドは疲弊しきっていなかった。
何しろ、もう二週間ほど、ほとんどの時間を眠って過ごしたのだから。
身じろぎが大きくなり、シャルは考え、ドルイドをベッドに横たえようとする。
そろりそろりと、大きく動かさないように彼の体をベッドに横たわらせ、そして。
ぱちりと、ドルイドが目を開いた。
右の重瞳。銀の二つの瞳はどこか怪しい輝きを帯びながらシャルを映す。左の瞳は、新緑を思わせる柔らかな色合いのまま、少し鋭く目を細くする。
「……だれ?」
「ん?」
わずかな恐怖がにじんだ声に、シャルは目をしばたたかせる。
じっと見つめあい、高熱のせいで記憶でも飛んだかと思い、それから、自分がまだまともな挨拶もしていなかったことを思い出した。
「私はシャル。冒険者で、貴方を森で拾いました」
「ぼーけんしゃ」
「はい。ええと、魔物……怖い存在と戦って、みんなを守るお仕事です」
明らかな説明不足だと自嘲しながら、シャルは努めて優しい声で己を紹介する。
だが、ドルイドの怯えは弱くならない。最初は魔物と戦う存在だということが怖いと思ったシャルだが、観察していて違うことに気づく。
ドルイドは、しきりに周囲を見回し、求める人がいなかったように、目を絶望に曇らせる。
すでに真っ赤になっている目に涙がにじみ、シャルは慌てて内心を問う。
「……あのね、ずっと、いっしょにいたの」
果たして、シャルは容量を得ない言葉に首をひねる。
一緒にいた――家族、それも暴行を働いていたと思しき父親以外の家族のことだろうかと、シャルはなるべく絶望させないように、優しい目で続きを訊く。
死んでしまったか、あるいは少年を逃がして自分は暴行を振るう夫の元にとどまったであろう妻を、あるいは兄弟姉妹の存在を思いながら。
だが、ドルイドの恐怖は、求める者は、母ではなかった。
ドルイドは、先ほどまで母と会っていた。母から、別れの言葉も聞いた。
これまでの別れとは違って、消えてしまった母。そのことを思い出し、悲しく思いながらも、けれどドルイドはにらむようにシャルを見ながら首を振るう。
「たすけてくれたって、いってたの。おかあさんが、もうダイジョウブだって、わらってた」
「……そう、ですか」
うん。とうなずく顔は幼い。その顔には、わずかな希望と安堵があって。
けれどそんな表情は、沈鬱な気配に飲まれてしまう。
「あのね、いっしょにいたの。ずっと、手をつないでくれて、せなかがあったかくて、ごはんをくれたの」
「……いい人だったんですね」
「いないの。どこにいったの?どこにかくしたの?」
隠れたのではなく、隠した。
微妙なニュアンスに顔をしかめながらも、シャルは何度も少年に尋ね、答えをつかもうとする。
果たして、その問答は十に及び、そうして、シャルは自分の失態に、何より、ドルイドの求める者に気づき、天井を見上げた。
さらり、と揺れる前髪を透かして見える天井の明かりの色は、ややくすんでいた。
それもそのはず、シャルの髪は今や、黒に近い灰色になっていたのだから。
「……少し待っていてください」
立ち上がれば、高身長さと武装のいかつさが強調され、ドルイドはびくりと体を震わせ、縮こまる。
少しの罪悪感を抱きながら、シャルは簡素な部屋を歩き、窓に歩み寄って鍵に手をかける。
両開きの窓を開けば、冷たい風が部屋に流れ込む。
ビュウ、と鳴り響く音。
寒風はシャルの髪をもてあそび、長く尾を引いてはためかせる。
黒髪が、まるで川のように、稲穂のように、大きく揺れている様。それを、ドルイドはじっと見つめ、次の瞬間、あっと目を見開く。
「……こう、ですかね」
少し手探りながら、シャルは体内に渦巻く力を操るべくイメージし、開け放った窓の先へと伸ばす掌の先から放出する。
瘴気――そう呼ばれる、よどんだ、負の想念の宿った魔力。
それがシャルの手から飛び出し、けれど魔法スキルの一つもないために魔法という現象にはならず、大気に散って消えていく。
そのあたりを飛んでいた虫の在り方を、狂わせながら。
そうして膨大な瘴気を放出して。
漂白でもしたように、シャルの髪色が黒から白へと変化していく。
瘴気によって黒く染まっていた髪が、元に戻っていく。
そうして、改めて窓を背にしてドルイドを見て、シャルは少し困ったように笑う。
己に突き刺さる、熱を帯びた目を見つめながら。
「……これで、いいですか?」
こくりとうなずくドルイドを見ながら、シャルは視界にはためく己の髪を見る。
白い髪、それは、ドルイドを救ったときの、そして道中の最初、まだドルイドの熱がひどくなる前の頃、彼が見たであろう、白髪。
ドルイドは、求めていた。探していた。
自分を助けてくれた人を。
温かい食事をくれて、毛布をくれて、熱にうなされる自分に「大丈夫」だと何度も声をかけてくれて、手を握ってくれて、背負って運んでくれた、白髪の人を。
その、恩人を目の前にして。
ドルイドは、涙を浮かべた目のまま、ふにゃりと笑った。
「ドルイド、です。……ありがと」
その感謝の言葉は吹き込む風にかき消されるほど小さく、けれど確かにシャルの耳に届いた。
気恥ずかしさと、くすぐったさを感じながら、シャルもまた、目を細めてドルイドに笑いかけた。
もう大丈夫だと、そう思ってもらえるために。
もう二度と、ドルイドが苦しむことはないのだと教えるために。
はかなく、どこか神秘的な気配を見せる少年を眺めながら、シャルは決意をする。
この少年を、自分が守ろうと。
同じように、父によって苦しみを与えられた少年。
頼れる者のいない少年。
その少年を救おうと、守ろうと思ったのは、かつての己を救うためか。
あるいは、と。
考え、そして、それ以上はどうでもいいことだと、シャルは首を振るう。
くしゃみをしたドルイド、その揺れる砂交じりの髪を見る。
窓を閉め、それから、シャルはドルイドとともに風呂場へと向かった。




