血濡れた女
走り続けるシャルの先。
果たして、無数の物が積みあがった地下空間、その奥にあったひときわ大きく頑丈な金属扉は開け放たれており、そこに血濡れた瀕死の男たちが転がっていた。
黒のスーツ。戦闘服とは程遠い恰好をした男たちはまだかろうじて息があった。
開かれた扉の先、地下にあって陽光を思わせる神々しい輝きを放つその向こうから青年の裂帛の声が響く。
息を飲んだシャルが最後の急加速に出る。その身を包む魔力を高ぶらせ、そして、扉の向こうへと踏み込む。
夜を思わせる藍色の髪が、ぎらぎらとまばゆい光の中でたなびく。それはまるで薄暮の中で抗う夜空のよう。
振り上げられた血濡れた剣が向かう先、でっぷりと太った男の姿が見える。ジャラジャラと過剰な装身具に身を包んだ、成り上がり感の強い男。頭を守ろうとしてかざされた手は、もはや指が見えないほどに指輪がはめられ、黄金のけばけばしい腕輪がいくつも揺れる。
「カトレア!」
衝動のままに叫び、シャルは地を這うように駆けてその青年と醜男の間に割り込む。
そうして、シャルは改めて青年の前に立ち、そうして、自分に向かって振り下ろされる剣の腹を殴りつける。
見開かれた黄金の瞳がシャルを映す。困惑に彩られているのは、突如出現した相手が自分の名前を呼んだから。
その目は、けれどシャルの知るものではなかった。鋭く細められた目にある感情以前に、目つきが、その顔つきが、同じ人であるようで、違う。
その理由は、わかっていた。
あるいはヴィヒテンガーのような稀有な例。
死者の魂が乗り移り、二人で一人となった姉弟。弟の姿をしたその相手は、けれどシャルの知る少年が成長した顔をしてはいなかった。
カトレア――数多いる帝都に居を構える冒険者の一人であり、シャルと交流のあった少女。その体、カルマルに宿った姉。
その動揺は一瞬の顔。
幼さのなくなった顔はすぐに取り繕われ、そして、目は怒りを表すように細められる。
「邪魔よ、どきなさい!」
「断ります」
カルマルの体、成長したカルマルの声で、カトレアは叫ぶ。
再び繰り出された剣技は、かつてのカトレアとは似ても似つかないほどに研ぎ澄まされていた。虚実織り交ぜたその攻撃を、けれどシャルは容易にさばいていく。ただ、邪魔な肉の塊は蹴り飛ばして背後に転がしていたが。
情けない声を聴きながら、シャルは再び手首を狙って振られて剣を拳ではじこうとして、瞬時に剣を抜き放つ。
瞬間、カトレアの剣が異様に伸びて頭部に迫る――ように見える。
それは、剣を包む業火が伸び、敵を襲う一撃。
ただの剣であると誤解させた上での確殺の奥の手。
伸びる業火が相手の頭部を焼き焦がす瞬間を予感して、カトレアは小さく唇をかみしめて。
それを、シャルは予想していたように剣で阻み、弾き飛ばす。
「……何なのよ、あなたは」
魔剣のことを知っていて、さらに探知魔法によって剣が宿す魔力量を見抜いていたシャルには奇襲は成立しなくて。
けれどそれは、カトレアの動揺を誘うには十分だった。
相手が自分より格上だと理解したカトレアの顔には苦渋がにじみ、けれどそれを怒りと憎悪で塗りつぶして音がするほどに固く柄を握りしめる。
対するシャルは自然体で立ちながら、少し迷う素振りを見せる。
ここにいるのはシャルではなくネクロ幹部ジョーカー。さほど交流の中あった相手に今の自分を見せることを、それにただの依頼主の前で正体をバラすのはためらわれて。
嘆息一つ、シャルはゆったりとした動きで剣を鞘に納めて。
「――スタン」
剣とシャルの一挙手一投足に注視していたカトレアは、だからこそその攻撃に反応が追いつけなかった。
空中を走る雷撃はカトレアの体を麻痺させ、背中をそらせるカトレアは驚愕に目を見開いて対峙する相手を見ていた。
「…………ぁ?」
電撃。そして、その声。
脳裏に思い浮かぶ予感を確かめるよりも早く、カトレアの意識は闇に落ちていった。
(……知り合いか?)
(そう、ですね。事情は分かりませんが)
どこか動揺に揺れるヴィヒテンガーの心の声を聴きながら、シャルはカトレアをじっと見降ろす。
カトレアが倒れる音を最後に、部屋には沈黙が落ちる。貴重な金品の鑑賞のためか、過剰な光が照らす部屋の中、倒れたまま起き上がれずにいた縦にも横にも大きな男ミハイルは、何とか顔を起こしてシャルを、倒れたカトレアを、そして今しがた扉をくぐろうとしていた支配人へと順に視線を向ける。
「そ、そいつを殺せ!」
訓練された動きのまま、支配人は反射的に胸元にナイフを取り出して一直線にカトレアへと向かう。
振り下ろされるはずの刃は、けれど硬質な音とともに支配人の手の中から飛び出し、しびれるどころか骨が折れるほどの衝撃に、彼は体勢を崩して倒れる。
地面を踏み砕いてその破片を蹴り飛ばしたシャルは、目鼻の穴一つないその仮面のまま、じっとミハイルを見下ろす。
「……私の仕事は防衛のみ。襲撃者の始末はこちらに任せてもらいます」
「……………好きにすればいい」
冷や汗を流すミハイルは青ざめた顔でかろうじて威厳を保つように言う。だが、今も自力では起き上がれずにいる彼には組織の長としての威厳など全く見られなかった。
あくどい謀略によって組織を大きくしてきた頭脳派は、ただシャルが放つ異様な気配に気圧されるばかり。
そんなシャルのことを、ヴィヒテンガーは内心で恐々と見つめていた。
シャルが見せるいくつもの顔。友人へのものがあれば、苛烈に敵を殺す一面があって、そして時に、顔見知りにさえためらうことなく攻撃をする。
どのような人生を送ればこんな人間が出来上がるのか。そのいびつさを知ったとき、自分もその闇にのまれるのではないかと考えてごくりと喉を鳴らす――ような気持ちになる。
「ジョーカー……依頼で来ました」
支配人の手を借りて起き上がった男を見据え、シャルは改めて淡々と告げる。なれ合いなどいらない、ただ守った。それだけを示してシャルはちらと天井を見上げる。
そこにはカトレアの襲撃の間もずっと時を待っていた奇襲者がいて。シャルの視線に動揺した彼らは勢いのままに二人がシャルへ、残る一人がミハイルへと襲い掛かる。
その三人は、けれどシャルが降りぬいた剣より飛んだ斬撃によってあっさりと首が飛ばされる。
上ずったミハイルの悲鳴にまじって、三人の死体が床に転がる。にわかに強まる血臭に反応することなく、シャルは改めて室内を確認、近くの魔力反応へと近づいていく。
「そ、そこは……」
自分の秘宝が――ミハイルの言葉は声にはならず、シャルは目についたものを物色し、勝手に荷物へと収めていく。依頼の報酬だと無言で語る背中に、ミハイルは体を震わせることしかできない。
やがてシャルの視線は棚の一つに丁重に収められた鳥かごへと向かう。その中には、ぐったりと中央に倒れ、丸まる白い毛玉の姿があった。
「そ、それは……それだけはだめだ」
「……ところで、妖精種の中には今も精霊との交友がある種族も多いことは知っていますか?」
突然の話にミハイルは目が点になる。焦燥と怒りから一転、そこに投じられた問いによって思考は乱れ、代わりに支配人が真っ青な顔で唇をわななかせる。
「まさか、ホワイトバットは……」
「幸運の妖精。自らを守る十分な能力もなく、それなのに人々の間で確かに伝承になりながら今日まで生き延びている妖精たち。捕まえることがかなわず、目にすることも困難――なぜか、わかりますよね?」
その、瞬間。
無風の室内に何かが走るような音がしたかと思うと、ミハイルの腕がざっくりと切り裂かれる。シャルではなかった。それなりに目利きのできる支配人は、シャルが全く魔力を動かしていないことを見抜いた――あくまでも自身の観察眼が、シャルの偽装を上回っていればの話だが。
「精霊の怒りは恐ろしいものですよ……それこそ、一つの都市が容易に丸ごと滅びるくらいには」
告げ、シャルは鳥かごを片手に部屋の外へと歩いていく。すでに襲撃者たちは倒し、さらには報酬ももらった以上この場に用はなかった。
だが、ミハイルは違う。彼は必死にシャルに自分を助けるように求めようとする。その声はすべて悲鳴に代わり、やがて彼は血だまりに伏せることになる。
「…………終わりましたか」
『ああ。だが、自分でやってもよかったんじゃないのか?』
「万が一ということもありますから。演技力には自信がありませんし、何より実際に精霊に攻撃を受ければいいのですよ」
報いを。
心の中でそう要求したシャルに応えて、ヴィヒテンガーはミハイルを襲った。殺さない程度に傷つけて帰還し、嫌な攻撃をしたと不快げに爪をシャルの服で拭う。
「……あの、何をしているんですか?」
「あいつの血を拭ってるんだよ」
「それ、水魔法ではだめなのですか?」
「…………そう、だな」
かつては魔法を満足に使えなかったヴィヒテンガーだが、今は違う。風魔法ばかり使っているせいで発想がなかったと、驚嘆を覚えながら空中に生み出した水球で手を、ついでに体を洗う。
魔法を自在に使って水浴びをする猫――精霊。なんとも不思議だと首をひねりながら、シャルはカトレアを担いで地下を後にした。




