7不幸少女と初めての料理
「さて、少し休憩しましたし、血の匂いが濃いここから移動しましょうか」
立ち上がったシャーロットは、けれど右足に生じた鈍い痛みに眉をひそめた。視線をやれば、先ほどのゴブリン戦で小石がぶつかって出血した場所。
「そういえば怪我をしていたのでしたか。——水よ出ろ」
指先から魔法で水を出して患部を洗う。この程度であれば魔力を1消費するかどうかといったところだ。
「雑菌の侵入を防ぐためにも、本当は薬草で治療しておきたいところですが……まだ見つけてないのですよね」
ゲームの記憶にある薬草は、日本の記憶を持つシャーロットからすれば不思議植物だ。患部に当てるだけで小さい擦り傷程度なら十数秒で治してしまうし、打撲なども一晩患部に着けておけば腫れが引いてしまう。薬草から調合する回復薬などはその上を行く謎薬品である。
だが残念なことに、シャーロットはこの世界で未だ薬草も回復薬も見たことがない。
「森の中にミントレベルの生命力で生えているはずなのだけれど、見ていませんよねぇ。まあ血は止まっていますし、大丈夫ですよね」
であればさっさとこの場を離れてしまおう、と倒れるゴブリン二匹に目をやり、ふと疑問が生じた。
「ゴブリンって……おいしいのでしょうか?」
ゴブリン肉は不味い。ゲームをたしなむ日本人のほとんどがそう結論付けるだろうが、電子ゲーム未経験のシャーロットにとってそんな常識はない。
たとえ子ども体系のやせ細った体で合っても、肌が緑色であっても。
この生で大きな肉片を食べた記憶のないシャーロットにとって、浮かんだその疑問は試食せずにはいられないだけの魅力があった。
さっそく薪を拾い集めて火を起こし、替えが無いため血で汚したくないボロ布を脱いで、そばの枝にかけて解体を始める。
刃物がないため、そこらの枝を肩関節の隙間にねじ込み、何度も突き刺して腕を切り離す。肘の部分でも同様の処理をして、鋭い枝先で二の腕肌を引き裂き、肌を素手で取り除く。
いびつな形ではあるが骨付き肉を手に入れたシャーロットはふたまたになった枝二つを焚火の左右に突き刺し、火の上に骨付き肉が来るように置いた。
体を水で洗い、ボロ布を着なおす。
焦げないように、生焼けにならないように、火加減に気を付けながら丁寧に焼いていく。ジュウと油が焼ける音が鳴るたび、シャーロットは湧きだすつばを飲み込んだ。
一言も言葉を発することなく、魔物の警戒すら忘れて全身全霊で焼いた肉に、シャーロットは熱さすら気にせずかぶりついた。
「…………?」
期待外れの微妙な味に、シャーロットは首を傾げた。
決して、不味いというわけでなく、ただ血の味がした。血抜きすらしていない肉の味などそんなものである。この味を不味いと表現しないあたり、シャーロットは自身の不遇な食事事情に染まりきっていた。
筋っぽい固い肉を無理やり噛み千切り、胃袋に収める。食事は、ただの栄養摂取の作業と化した。
「ふぅ、満足したわ」
初めて腹いっぱいに肉を食べたシャーロットは、それだけで心が満たされていた。そして視界の端に横たわる死体二つを見て、魔物の警戒を忘れていたことに気が付いて真っ青な顔をした。
慌てて周りを見て何もいないことを確認して、渋柿の束をひっつかんでシャーロットはゆっくりとその場を後にした。
「次からは気を付けましょう。次からは、ね。大体、警戒を怠って奇襲を受けたすぐ後に気を抜くなんて、全然学習していませんよね。私のことですけれど。……分かっていますよ、次はありません」
ぶつぶつとつぶやきながら血の匂いが充満する空間から離れて行く。とっくに昼を過ぎており、寝床の確保という当初の目的を思い出したシャーロットは、洞窟を掘るための崖又は急な斜面を探して歩いて行く。
血の付いた木の棒は捨て、新しい棒でくもの巣を払い、なるべく薬草を見つけておきたいと草の茂った場所を見ながら進む。
「それにしてもレベルが上がりませんね。ゲームでは1から3匹ほどのゴブリンを倒した時点でレベル2になるくらいですし、私が必要とする経験値が多いのか、それともこのあたりのゴブリンが弱いのか。ああ、ゲームの方が難易度設定で編集された可能性もありますか。神がどのような形でこの世界の未来の可能性をまとめたゲームを地球で出したのか、さっぱりわかりませんからね。そもそもどうしてそんな考えに至ったのかも理解できませんし。……とにかく、強くなったことをレベルの上昇という形で実感したいところですよね」
この世界では、強くなければ何もできない。弱者は強者に搾取されるか、殺されるか。日本以上に殺伐としているはずだ。
この世界の一般常識がなくとも、ゲーム知識をもとに考えれば、この世界は命の価値が非常に低いことくらいわかる。
「強くならないと——」
魔物はびこる森の奥へと、シャーロットは突き進む。