573不幸少女と異母姉妹
草を踏む音。
学園の端ともなれば本来は人など来るはずもない場所で。
このような場所に足を運ぶ者がいるとすれば、人目を避けての行為——多くは何らかの後ろめたいことを行うためと考えられた。
近づいて来る足音は二つ。シャーロットは、その両者を知っていた。片方は言うまでもないシャーロット・ヴァン・ガードナーを名乗るサラと思しき替え玉のガードナー令嬢で。そしてもう一方は、レイニー・ヴァン・ガードナー。
異母姉妹であるレイニーがシャーロットと同じ「ヴァン」を英雄名に持っているのは、二人の母が遠い血縁関係にある証明である。ラーデンハイドにおいて「ヴァン」の名を持つ者は比較的多い。
それはともかく、対外的には異母姉妹で通っている二人だが、二人が姉妹でもなんでもない赤の他人であることをシャーロットは知っていた。もしその言質が取れてしまうような発言がなされた場合、レイモンドとキースをどう処分するかと、シャーロットは頭の片隅で冷酷な思考を働かせる。それは、シャーロットにとって今日会話を交わしたばかりの二人は、サラに遠く及ばない存在だった。
場合によってはレイニーも含めて三人を排除する——そう考えるシャーロットの脳裏には、神に刻まれたゲームの記憶がよみがえっていた。
レイニー・ヴァン・ガードナー。
悪役令嬢シャーロットの異母妹に当たる彼女は、ガードナー公爵に愛されて育った、シャーロットとは対照的な人物である。王家の象徴である赤眼を発現したシャーロットよりレイニーを愛するガードナー公爵の考えは謎だが、それはともかく、ゲームにおいてシャーロット・ヴァン・ガードナーが自分を追い込み続けた最大の原因は、間違いなく家族からの愛を受けられなかったからだと思われた。
母の死を目撃し、力なき者を守るという決意を胸に抱いただろう「シャーロット」は誰からも愛されない中でがむしゃらに己を高めた。そんなシャーロットにとっての救いこそが、婚約者のヴィンセント王子で。そして、王子に好感を抱いていたレイニーは、影でシャーロットをいじめた。同時に、オリアナにもいじめや犯罪行為を度々実行し、それらすべての罪がシャーロットへと擦り付けられることになる。
つまるところ、レイニーはどこまでも愛されて育った典型的な貴族令嬢で、我がまま少女で、そしてシャーロットという「無駄な努力」をし続ける存在を嫌った、シャーロット・ヴァン・ガードナーの最大の敵だった。
「久しぶりね、お姉さま?」
ぱちぱちと瞬きをしたガードナー令嬢は一瞬言葉を選ぶように口ごもり、それから小さく息を吐く。
「久しぶりね、レイニー」
瞬間、レイニーが纏う雰囲気が変貌する。目はこれでもかとつり上がり、怒りで顔は赤くなり、そして目には嗜虐心の現れである鈍い光が宿る。
「だから、レイニー様って呼べって言っているでしょう⁉」
妹であるはずのレイニーが、ガードナー令嬢を蹴り飛ばす。鼻息荒く横たわった姉を見下ろすレイニーの表情に優越心が宿る。
「あんたなんか這いつくばっていればいいのよ。せいぜいガードナー公爵家の格を高めるために王家への生贄になっていればいいの。それなのに、ヴィンセント殿下に本気で懸想をして⁉その上どこの馬の骨とも知れない女に殿下の隣を奪われかけて⁉はッ、ざまあないわねッ」
明らかに家族に向けるものではない罵声を浴びせられて、けれどガードナー令嬢は何も言い返さない。はっきり言って異常だった。
何かがおかしいと、藪の隙間から二人の様子を覗き込むレイモンドの感情は、けれどすぐさま吹き飛んだ。
レイモンドの真横に、レイニー以上の鬼が、怒りにふるえるシャーロットの姿があった。今にも殺しかからんと腰に手を伸ばすが、そこには剣は提げられていなくて。不思議そうにシャーロットの顔を下から覗き込んだドラゴンが、首を傾げながらもごもごとうめいた。
「ガードナー家に悪影響があったら許さないわよッ!いいわね、さっさとあのゴミを排除しなさい。方法はいくらでもあるのよ!暗殺者を雇ってもいいわ!事故に見せかけて殺したってかまわない!もし他家が不信感を持つようなら、あなたを切り捨てて私が殿下の婚約者になるわ。いいわね、お、ね、え、さ、ま?」
ガードナー令嬢は答えない。ただ、静かに首をもたげるばかりだった。
シャーロットの体から、黒い霧がにじみ出る。それは周囲の植物に干渉し、その命を吸い取るように腐敗させる。
髪が灰色に、それから黒色に染まっていく。
レイニーが足を振り上げる。
その先には、這いつくばるガードナー令嬢の頭部があって——
収納。
早着替え。
仮面と漆黒の外套を纏い、シャーロットは魔法を連続で発動する。
(——転移)
すでにレイモンドとキースに対して力を隠す意味はない。
シャーロットの姿は二人の間から消えて、そして。
「——何かしら、あなた?」
振り下ろされたレイニーの足下に靴を滑り込ませて、シャーロットがその凶行を止める。
漆黒の外套。仮面にフードをしたうつむく人物の出現に、レイニーは不審さを隠しもせず、けれど傲慢に、気丈に笑って見せる。
「姉妹の間に割って入らないでくれないかしら?」
恐怖を心の中に押し殺したレイニーが、シャーロットへとキツイ視線を殺す。心の中ではシャーロットの正体やその排除のために高速で思考を回す。
「……」
シャーロットがレイニーの足を蹴り上げる。
バランスを崩したレイニーの頭部目がけてシャーロットは手刀を突き出し——
「……ッ⁉」
背後で息を飲む音が聞こえた。地面に横たわったガードナー令嬢が、目を大きく見開いてシャーロットの背中を見ていた。
腕の軌道が揺らぐ。
倒れこむレイニーの頬を切り裂き、停止する。
「……ヒィ⁉」
頬の痛み、流れるぬらりとした感触。
そして、仮面の奥から注がれる、”血のように赤い“瞳。
幻影魔法によって瞳の色を変えたシャーロットは、じっとレイニーを見つめる。
「……ッ、お父様が黙っていないわよ⁉ガードナー公爵家に楯突いた罪は重いわよ!地の果てまで追い詰めてあげるわ……いや、そうね、あなた、お姉さまを守ったわね?そう、王子の影……ではなくお姉さまが直々に雇っている護衛かしら?家に黙って?ふふ、あはははははッ」
「………何がおかしい」
「傑作よ。あなたが守るほど、お姉さまの首は締まっていくのだもの。お父様はお姉さまの勝手を許さない。今から折檻の時が楽しみね!」
「………無能ガードナー公爵は顕在か」
「馬鹿にしないで。お父様は素晴らしいかたよ!」
「何をしている⁉」
遠くから男の声が響く。男の隣で、ピンクの髪が跳ねる。
ふい、とレイニーから視線をそらしたシャーロットが、未だに横たわったままのガードナー令嬢へと手を差し出す。
(……赤い、眼?)
ぼんやりと正体不明の女性を見つめるガードナー令嬢の体から痛みが消えて行く。手を握った場所から、ぽかぽかと陽気に包まれていくようで。
額や手の擦り傷が、消える。代わりに、シャーロットが背後に隠した手や仮面の下で、肌から血がにじみ出した。
「……サンドストーム」
砂塵が吹く。
一瞬でシャーロットの姿が消える。
砂嵐が収まったそこでは、ぽかんと立ち尽くすガードナー令嬢と、しりもちをついたままのレイニー、そして、そこへ走り寄って来たヴィンセント王子とレイニーの姿があった。
「……先ほどの不審人物は何者だ?」
差し出されたヴィンセント王子の手を取って起き上がったレイニーが小さく首を振る。
「殿下、私には分かりかねますわ。お姉さまは何か知っているかもしれませんけれど」
「本当か、ガードナー?」
婚約者に対するものとは思えない冷めた視線で、ヴィンセントはガードナー令嬢に尋ねる。
「……一つ、心当たりがございます」
「何を言っているのよ?あれは間違いなくお姉さまの護衛でしょう?」
「学園に部外者を呼び込んだのか?何とか言ったらどうだ、ガードナーッ」
「春季休暇中、作戦途中で私を救出してくださった方がおりました。真っ黒な服装に、声。どちらもその人物と共通するものがございました」
「作戦?」
不思議そうなレイニーと、チッと舌打ちをするヴィンセント、それから何を考えているのか分からないニコニコ顔でヴィンセントと腕を組んでいるオリアナ。
「……もし次に学園に侵入している場面に遭遇したら必ず捕らえろ」
冷たく言い放ったヴィンセントは、ガードナー令嬢の返事を聞くこともせずに背を向けて歩き出す。
(……あれは多分シャルよね?悪役令嬢と接点はないはず……私の邪魔をしようというの?)
漆黒の人物、それを、オリアナは冒険者シャルだと判断した。自分が手に入れるはずだったアイテムを奪った、敵。おそらくは同じ転生者で、ゲームのシナリオを崩壊させかねない害悪。
オリアナにとって冒険者シャルはそういう存在だった。
周囲に考えていることを悟らせないオリアナは、心の中で再度シャーロットの決意をする。
(……赤い、眼。緑色じゃない?違う?でも声は同じ。魔導具で色を変えているとしたら、本当の色は……)
舌打ちをしたレイニーもまたその場から立ち去り、そこにはガードナー令嬢一人が残された。
彼女の脳裏をよぎるのは、春休み期間に自分を誘拐犯から助け出した真っ黒な装いの人物の姿だった。
その背格好と声は、編入してきた1級冒険者シャルに酷似していて。特徴的な瞳の色が見間違いでなければ、ほぼ間違いなく同一人物と思われた。
あのタイミングで自分を助けたのは偶然だったのか——そんな思考の中に、赤い瞳がよぎる。
赤。
目尻に手を触れる。
色彩変化の魔道具で色を変えているこの瞳も、赤。
消えたはずの記憶が、叫んでいた。自分は、シャーロット・ヴァン・ガードナーではないと。その名は、彼女のものだと。
自分を家族と見做さない父と妹、その理由が、自分が「シャーロット」の替え玉だからだとすれば——
(……シャーロット)
仮初めの己の名を呼ぶ。
ステータスには名前がない。まるでぼやけたように、そこに刻まれた文字は読むことができなくて。
一歩、ガードナー嬢の思考の歯車がかみ合った。
その果てに何が待っているのかは、まだ誰にも分らない。




