517不幸少女とアンデッド本陣
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「ッ⁉」
巨大な質量物体が空を飛翔する音が、トビスの耳に届いた。
デスナイトとファントムの攻守の別れた軍団を撃破した冒険者たちは勢いづいて魔物の殲滅を続けていた。そんな中聞こえてきたその音に、感覚の鋭いものが空を見上げ、そして恐怖に顔をひきつらせた。
「上空に敵!落ちるぞッ⁉」
白い巨大な塊が、空より冒険者たちが戦う場所へと落下する。
慌ててそれの回避を試みる冒険者たちに、さらなる絶望が襲う。
慌てふためいた冒険者の一人が迫るそれに魔法を放つ。勢いよく飛んでくる白い球体が、その火球を受けて上空で爆散した。否、上空で分裂した。
やった、とそんな言葉はすぐに恐怖と後悔に変わる。
分かれた無数の存在はそのすべてがスケルトンで、ここでようやく、冒険者たちは敵がスケルトンの塊だったことを理解した。
分裂したスケルトンたちは一体一体はこの場にいる冒険者にとって少しも脅威にはならず、けれどその数が、その質落下エネルギーが、冒険者たちの体をつぶしてなおあまりあることを彼らは理解した。
「あああああああああッ」
あるものはその場に足を止め、握る斧を降り注ぐスケルトンたちに振りぬいた。
ある冒険者は逃げ続け、その背中にスケルトンが直撃、衝撃によって内臓に深刻なダメージを負い、倒れた。
「——縮地ッ」
そんな中、トビスは仲間を守るために全力で走る。視界から色が抜け落ちていき、意識には降り注ぐスケルトンらの着弾位置と、自分が通るべきルート、そして向かうべき仲間たちの姿を映す。高速回転する脳は、仲間たちにスケルトンがぶつかるまでの予想時間を算出する。
骨が軋み、筋肉が断裂する音が響いた。
現状一度で可能な縮地スキルでの移動距離を超えて、トビスは足を動かし続ける。だが、無茶がいつもうまくいくとは限らない。
足がもつれ、視界に地面が近づいた。体勢の回復は困難で、倒れれば前衛に近い位置にいるエヴァはスケルトンが直撃して倒れる可能性があった。そして自分もまた倒れて転がった先で降り注ぐスケルトンの波にのまれて死ぬと、どこか冷静に予想した。
「あああああああああッ」
怒りがこみ上げる。絶望によって生じた無力感、それに心が抵抗する。
ふざけるなと。こんなとこであきらめるのが許されるかと。
思い出すのは、自己犠牲の果てにエヴァを置いて行ったアーサーのこと。
大切な人を置いて、あいつは死にやがった。街を守るためなんてうそぶいて、魔物を誘導して、死体すら海にのまれて見つからなかった。
そんな思いを、仲間に二度とさせるかと誓った。アーサーを反面教師に——英雄的な死を迎えたアーサーに憧憬の念を覚えている自分もまた存在することを自覚しながら——トビスは仲間を守るために、そして自分が死なないために、力を求めた。力を、得た。
それが、その努力がこんなところで無に帰してたまるかと、トビスは吠えた。
自分は仲間を守り切って、大往生の果てにアーサーをあざ笑ってやるのだと、そう誓った。
生き抜く道筋を探しぬく脳が、半ば反射的に一つの魔法を発動する。
トビスの面前に熱が生じる。燃え上がる火が爆風を吹き荒らし、転倒直前だったトビスの体を持ち上げる。
風魔法の使えないトビスが転倒を阻止するための最終手段として見出したのが、爆風によって体を下から支えることだった。
体が倒れるより前に、足を前に、前に踏み出す。
景色が後ろへと流れていく。世界が線となって背後へと消えていく中、トビスはただ、前に進む。
足の骨が折れる音がした。
激痛が脳を揺さぶる。
魔力不足を訴える頭痛がトビスの精神をさいなむ。
だが、届いた。
驚いたように目を見張るエヴァを傷つけないように片手で抱え、トビスは疾走する。
一陣の風になって、荒野を駆け抜ける。
横に飛び、体をさらに地面すれすれまで下げて、飛来する巨大なスケルトンの体を回避する。
そばに落下したスケルトンの砕けた骨が飛び、腹部に突き刺さった。
がくんと、膝から力が抜ける。
トビスの魔力が、完全に尽きていた。
縮地スキルは解除され、トビスは慣性にならって体を前に運ぶ、はずだった。
ひどく冴えわたった感覚が、自分とエヴァをつぶそうと迫るひときわ大きなスケルトンの接近を感知する。恐らくはグリズリーのスケルトンと思われるそれが、空中を飛びながらなお、その太い骨の腕を振り上げていた。
崩れた体勢はとうとう治らず、トビスはせめてエヴァだけでも、と腕の中に彼女の体を抱え込む。
グリズリーが迫る。その腕を、地面を滑るトビスとエヴァへと振り下ろし———
ザン、と音が響く。
次いで、トビスのすぐ横の大地に、骨が突き刺さる。
いくつもの骨の破片が地面に突き刺さり、そのすべてが、エヴァを腕の中にかばうトビスの背に突き刺さることはなかった。
痛覚が麻痺しているのかとそう思った。だが、全身に激痛はあれど、いまだトビスは生きていた。自分の死を告げる衝撃は、トビスを襲うことはなかった。
恐る恐る体をあげたトビスが見たのは、鋭利な切断面を見せるグリズリーの骨がトビスの進路を避けて地面に突き刺さっている様で。そして、陽光を反射する細い鋼糸が、トビスの目に映った。
さらにその先に映る地獄絵図に、トビスはごくりと喉を鳴らす。けれどそんな彼の恐怖は、グイと体を引っ張られた先にいた人物の顔を見るなり霧散した。
「トビス……自己犠牲はもうやめて。守られるのは、守られるばかりなのは、もう嫌なの。ねぇ、あなただって、アーサーに死んでほしくないと思ったのでしょう?そのアーサーとい同じあり方を、どうしてあなたは選ぼうとするのですか……ッ」
涙声で、エヴァが告げる。胸元の衣服をつかんだエヴァが、トビスをまっすぐ見て叫ぶ。その目に光る涙で、トビスは自分の選択の間違いを悟った。
「そうよ、トビス。パーティーっていうのは助け合うものでしょ。二度と一人で抱え込まないで。もう、仲間が死ぬのはごめんなのよ」
気が付けば悲痛な表情をしたリシュがトビスとエヴァを見下ろしていた。歩みを止めないリシュは、そのまま勢いよくトビスとエヴァに抱きつく。強く強く、二人が生きていることを確認するように、その体を抱き寄せた。
「無事で、よかった……ッ」
万感の思いを込めて、そう一言つぶやく。決壊しそうな心は、涙は、それ以上の言葉を告げることをリシュに許さなかった。
ああ、とただそれだけしか言えず、トビスはリシュの腕の中で目を閉じた。
だが、無事を分かち合う時間などここにはなかった。
風を切り裂く音が、再びトビスの耳に届く。
頬をひきつらせたトビスが視線を向けた先には、こちらへ向かって飛来する三つの白い巨大な球体があった。
「今すぐ退避を——ッ」
——するぞ、とそう言いかけたトビスは、けれど踏みしめた足の激痛で言葉を続けられなかった。見れば右脚の下腿に骨が突き刺さっていた。それを目にした突端、トビスの意識が揺らいだ。
アドレナリンが切れたのか、思い出したように全身が痛みを訴えていた。特に脚の痛みはひどく、もはや一歩も動けそうになかった。
「任せてください」
「大丈夫よ、私たちだって戦えるのよ?」
二人だけでもすぐに逃げろと、この期に及んで自己犠牲の在り方を見せるトビス。そんな彼に困ったような、あるいは責めるような視線を向けるエヴァとリシュは、トビスを背に仮称スケルトンレギオンをにらむ。
「操糸捕縛ッ」
ガントレットから延びる無数の糸が——ごく細の金属ワイヤーではなく、魔物製の伸縮性ある糸が——迫る骨の球体たちを縛り上げる。
衝撃が与えられなくてもひとりでに分裂して降り注ぐ予定だったはずのスケルトンたちが、エヴァの糸に締め上げられて身動きが取れなくなる。
「リシュ!」
「わかってる!業火よ燃やせ!吹き飛ばせ!イクスプロ—ジョンッ」
リシュが生み出した巨大な三つの炎の塊が、弧を描いて側面からスケルトンの集団に突き刺さり、吹き飛ばす。エヴァの糸が燃え、ばらばらになった彼らはけれど業火の爆発によって吹き飛ばされ、冒険者たちには届かない。
だが一つだけ、スケルトンの球体の中の中に紛れ込んでいた小さなウサギのスケルトンがエヴァの捕縛網からすり抜け、側面から迫る業火に飛び込んだ。衝突と同時に爆発するようにイメージされていた炎は、そのスケルトンラビットとの衝突時に爆風をまき散らし、本体であるスケルトンレギオンを吹き飛ばすことはかなわなかった。
スケルトンの塊は残り一個。その巨大さ故、近くに落下するのも避けたい中、リシュはすぐに次の魔法を放つためにイメージを重ね——聞こえてきた声に、魔法発動を中断した。
「こっちで一個は受け持ってやるぜッ」
先ほどの骨の雨に対処できたらしい2級冒険者のドワーフの男が、リシュに向かってそう叫ぶ。
それと同時に、ドワーフの男が小さく口ずさみ、同時に彼の足元の地面が勢いよく隆起した。
一般にドワーフの魔法適正は人間に対して土魔法に偏っている傾向があり、土魔法に限定するとその速度も精密さも、並みのドワーフの方が土魔法使いより巧みであるなどという報告すらある。
己の体を空へと吹き飛ばすように持ち上がった地面、それを蹴って、ドワーフの男はさらに高くへ跳ぶ。
「おおおおおおおおおおッ、バースト・インパクトォッ」
ドワーフの腕が異様に肥大化する。膨れ上がった筋肉、その膂力のまま、彼は全力で得物を振る。
斧の側面で、エヴァが絡めとったスケルトンレギオンを吹き飛ばす。
まるでゴムボールのようにドワーフの男のふるった斧にぶつかって跳ねるように軌道を変え、スケルトンレギオンは冒険者たちから少し離れた大地へと落下した。
「お前ら、今すぐ負傷者を担いで後退だァッ!我らがエヴァ城へ急ぐぞ!」
「え、エヴァ城って、ぶふっ」
「リシュ⁉私だって嫌なのに⁉」
「あー、まあいいんじゃねぇの?」
「あ、トビスまで⁉違うの、これは冒険者のみんなが、エヴァが最も貢献した建物だからエヴァ城だって言ってきかなくて……」
「わかってるって。いいから下がるぞ……あー、肩を貸してもらってもいいか?」
自分の命を犠牲にしようとしてすぐに頼ることに若干居心地の悪さを覚えるトビスは、けれど勢いよくその体を引き上げられる。
「行くわよ」
「はい、行きますよ」
「……ああ、すまん」
両側からリシュとエヴァに肩を貸されたトビスは、後で覚えてなさい、というリシュの声に全身を悪寒に震わせながら後退を進めた。
彼らが籠城するのはエヴァが提供した大量の魔道具を取り込み、下級冒険者を総動員して作り上げた一夜城ならぬ一日要塞。
張りぼてとは程遠い頑丈さを持つその要塞に生き残った冒険者たちが全員入り、その門が下ろされたのは夕日が地平線に沈む頃のことだった。




