487不幸少女と乱入する英雄
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「……イヴァン、制約はそのままだな?」
「ああ。だが、制約などせずに第三試練で全員しとめておくべきだったと思うが?多くが生き延びて最終試練に参加してしまっているな」
「分かってるさ。だが、ここで全力を出せるようにしておかなければ、全てが水泡に帰すからな。世界に名を刻んだ英雄なんて化け物相手に、どれだけ準備したってしたりないってことはないだろ」
それから、スレイは周囲を見回す。近くにいるのはスレイと、それからイヴァンと——アイゼン。仲間の女の姿が見えないのはともかく、イグナイトの姿がないことはスレイにとって大きな痛手だった。
「さて——」
大股で近づいた相手、アイゼンに、スレイは全力で殴り掛かる。
突然の凶行に、アイゼンはなすすべもなく頬を強打され、勢いよく地面を転がる。
「な、何しやがる⁉」
「何って罰を与えるだけだが?粛清とは言わねぇよ。感謝するんだな」
「意味が分からないんだよ。あんたの手を取った時、俺は『お前の正義を貫け』と言われた!俺の正義は、俺がシャーロットを殺すことだ。あんたたちがシャーロットを殺すことじゃない。だからあんたたちに立ちふさがった。それのどこに問題があるんだよッ」
「お前が、本当にシャーロットを殺す気があったなら問題なんてなかったさ」
だが、スレイの目にも明らかに、アイゼンはシャーロットを殺すことをためらった。挙句の果てにシャーロットにさらなる力を覚醒させ、第三試練でしとめそこなった。あれほどの強者を取り逃がしたとあっては、続く試練での行動に大きな制約がかかるのは当然で。共に行動する以上、その責はアイゼンに合った。
こちらの手札を晒してしまった以上、シャーロットは対策を取り、その撃破はさらに困難なものになると簡単に予測できた。
「お前のせいでアレをしとめそこなったんだよ。こちらは一人が死亡、一人が行方不明。分かるか?お前が足を引っ張ってんだよ」
スレイがアイゼンの足を踏みつける。ぎりぎりと加えられる体重が増えていく中で、アイゼンの表情もまた苦悶に満ちていく。
「それでも、俺が斃すんだよ。あいつは俺の獲物だ。俺が斃す。俺が——」
その言葉は、続かなかった。代わりに、アイゼンの口から絶叫が迸る。
「役立たずが」
アイゼンの腹部に内部への衝撃を与える踏みつけを行ったスレイは、口の端から血を流しながら絶叫するアイゼンに怒りの視線を向ける。
「……ここで切り捨てるか?」
「いいや、現状全く手が足りてねぇんだ。せいぜい役に立ってもらうさ」
じっと様子を見守っていたイヴァンに手を振り、スレイが鞄から取り出したのは禍々しい黒の首輪。それの出現に、それがなす効果に、アイゼンはまだ気が付かない。
「思考誘導は頼むぞ。せいぜいコイツの正義感を煽ってやれ」
「……完全な隷属化は困難か?」
「自己主張が強すぎる。本来なら精神をすり減らしたところでようやく機能する程度の代物だからな」
かちりと、アイゼンの首に黒のわっかがはめられる。ひんやりとしたその感触に、アイゼンはスレイたちが自分の首に剣を突き付けて殺そうとしていると判断、両腕を駆使して慌てて後退した。
「これ、は……」
スレイとイヴァンの顔が視界に映る。そこに、下種の笑みを浮かべる二人がいた。
触れた首に、硬質な感触のものがあった。両手を使って確かめる。
ぐるりと、首に巻き付いた輪っか状のもの。
「……首輪?」
「ああ、奴隷の首輪だ。劣化版だがな」
「奴隷⁉俺は奴隷じゃない。俺は——」
「正義の人、か?」
スレイの前に進み出たイヴァンの目が、怪しく光る。黄色に、白に、赤に、その目にじっと見つめられたアイゼンはゆっくりと口を閉じる。その目からは、感情の色が消えていた。
「催眠か……便利だよな」
「相手が見つめているような状態でなければ使えないスキルは戦いでは無用の長物だ」
「まぁな。だが、俺たちは戦うだけがすべてじゃない。既存権力の転覆のためなら、世界をひっくり返すためなら、むしろそういう手札が大いに越したことはないだろ」
スレイの言葉を聞きながら、イヴァンはアイゼンの耳元で小さくささやく。彼がなすべきことを、イヴァンたちが望むことを、アイゼンに吹き込んでいく。やがてそれは、アイゼンの心に確かに芽吹き、自己の考えとなるはずで——
「ッ、おいおい、早すぎねぇか?」
だが、その効果を検証する前に、スレイとイヴァンは顔を上げる。敵が、迫っていた。
ひりつく肌が、乾いた口が、近づく敵の強大さを知らしめる。勝てるかどうかも分からないほどの強者が、「英雄」が、三人のもとへ近づいていた。
「……ガキ、か?」
油断はない。だが、スレイがついそんな言葉を口にしてしまうのも仕方がなかった。
姿を現した存在は、この試練において参加者の行く手を阻む英雄は、若い少女の姿をしていた。その特徴的な緑の瞳が、じっとスレイたちを見つめる。
ぼろきれをまとった、一見ただの浮浪児で。けれど確かに、強者の風格が彼女にはあった。
「……イヴァン、知ってるか?」
「いや、情報が足りない。これまでの試練のことを考えると、相手は試練参加者に何らかの縁がある敵か、あるいは試練参加者の力に類似する能力を持つ相手なはずだ」
「つまり、参加者の誰かの強化版、と。コイツをぶつけて確認するか」
スレイの視線を読み取ったイヴァンは、おもむろにアイゼンに近づいてその耳元でささやく。目の前に斃すべき敵が現れたと、お前の家族を奪う敵が現れたと、正義のもとに敵を滅ぼせ——と。
パン、とイヴァンの手が鳴る。それにより、アイゼンの意識が現実に戻る。
その視界の先に、一人の少女がいた。緑の目が、感情の見えない眼が、じっとアイゼンを見つめていた。
その目が、赤に染まる。髪は白くなり、そして、能面のような無表情に、狂気を宿した笑みが浮かぶ。
否。少女の姿が、無表情のまま。その髪の色も瞳の色も変わらず、けれどアイゼンの目は、少女に「シャーロット」の姿を重ねていた。
少女がわずかな殺気を漏らす。敵が自分を、家族を殺そうとしている——
怒りがこみ上げる。理不尽な殺害に対する怒りが、自分の無力さに対する怒りが、アイゼンを突き動かす。
「シャーロット?シャーロットか?いや、違う……違う?いや、アイツはシャーロットだ。俺が滅ぼすべき敵だッ」
憤怒の形相で、槍を握ったアイゼンが走り出す。
「…………しゃー、ろっと?」
その少女の口が、小さく動く。名前を、告げる。何かがかみ合ったことを示すように、少女は目を眇める。
「はあああああああッ」
突き出された槍は、何の抵抗もなく少女の体を貫いた。
抵抗を見せないことに動揺するアイゼンの視界で、少女の姿がブレる。シャーロットの幻覚が緩み、そこに実在する少女の姿が重なる。
だが、アイゼンは止まらない。心に宿る正義が、こいつは滅ぼすべきだという叫びが、アイゼンを突き動かす。敵ではないかもしれない、シャーロットではないかもしれない——そんな思いは、あっけなく捨て置かれた。
一閃。
腹を横一文字に切り裂かれた少女が、後方へとたたらを踏む。
間違いなく致命傷。肋骨を折り、おそらくは心臓まで届いた一撃に、アイゼンは勝利を確信した。
だが、倒れると思った少女の体が地面に崩れることはなかった。背後へと数歩下がり、それでも少女は立ち続ける。だらりと傷ついた両腕をぶら下げ、首も垂れていた。
感情の見えない少女が、アイゼンにはひどく不気味だった。
「やれ、確実に殺せッ」
ひりつく感覚は、敵の強大さを伝えてくる直感が、スレイに叫ぶ。敵を殺せと、アイツを生かしておくとまずいと。
だから、スレイはアイゼンに命令する。シャーロットの時のようなことをするなと。
スレイが少女に手を出すことはない。不気味な敵の力が分からないうちに不用意な攻撃がためらわれたというのが理由の一つ。アイゼンが殻を破る儀式として手を出さずにいたというのもあった。
だが、最大の理由は、スレイの震える膝が伝えていた。
恐怖が、彼の動きを縛っていた。すくんだ足は、そこから一歩も前に踏み出そうとはしなかった。
目の前の存在はただの少女のはずで。ただの人間のはずで。けれどスレイは、魔物——それも、これまで出会ったどの魔物よりも強大で恐ろしい存在のように、少女のことを認識していた。
それはイヴァンも同様で。ぶるぶると震えながら彼にしがみつく妖精の白狐が、逃げようとイヴァンに声を届けていた。
ただ一人。イヴァンの催眠が残る状態で、なおかつ敵にシャーロットの姿を重ねて怒りと正義感に心が縛られたアイゼンだけが、少女に得物を向けることができていた。
「これで、終わりだッ」
アイゼンが槍を突き出す。少女の頭部へと。その骨を砕き、頭蓋の中に切っ先を届かせうる一撃を、放った。
「……は?」
その一撃は、少女には届いていなかった。血で赤く染まった腕が、力など入らない重傷を負っていたはずの腕が、アイゼンの槍を、その穂先をしっかりと握りしめていた。
その槍は、少女の頭部には、届いていなかった。
アイゼンの驚愕は自分の渾身の攻撃が視認することもなく止められたからであり、そして、その後の少女の変化に合った。
少女の傷が急速に癒えていく。体を染めていた血が、地面を濡らしていた血が、まるで逆再生のごとく少女の体へと消えていく。
そしてそこには、傷一つない肌を破れた衣服からのぞかせる、一人の少女がいた。
その回復は、アイゼンに目の前の少女とシャーロットとの相似性を強調する。憎むべき敵との共通点が、アイゼンを奮い立たせる。
「はは、ははははははははッ」
少女が笑う。その顔は、髪に隠れていて見えない。けれど、アイゼンはその先に、狂気に彩られた表情の存在を確信した。脳裏によぎるシャーロットの声が、少女のそれに重なる。
「うわああああああああッ」
槍を握る手に力を籠める。敵を斃すために、目の前の存在を殺すために、もう一度槍を引き戻そうとした。
けれど槍は、まるで大地に縫い付けられたように動かなかった。少女の細腕が、槍の先をつかんで離さない。
少女が顔を上げる。そこには、隠し切れない喜色があった。けれどそれは、アイゼンにもスレイにもイヴァンにも向けられていなかった。
「私を扱えると、そう思ったのか。実に滑稽だなッ」
少女の体から、膨大な魔力が吹き荒れる。新緑のごとき緑の光を帯びた魔力が渦巻き、空へと立ち昇る。
ピシ——空に、ヒビが入る。それはこの空間が作り物であるという証明。少女の力を抑えきれない世界が、悲鳴を上げていた。
『エラー、エラー、エラー……原因を確認中……特定。対象、個体名ヒスイ。英雄——最後の勇者』
空間に、声が響く。初めて耳にする、無機質な音の羅列。けれどその声には、驚愕と焦燥が滲んでいるように思えた。
「最後の……勇者?」
アイゼンの問いかけに、少女は笑ったまま一歩を踏み出す。
これは、彼女が望んだ可能性の一つだった。神聖剣の儀式に乱入する時を、彼女は待ち望んでいた。
それは、この試練によって彼女の「望み」が叶う可能性があるからで——
「さて、私を殺してみなさい。現代に生きる強者たちよッ」
試練のために世界が作り出した虚像に乗り移った最後の勇者が、スレイたちに立ちふさがった。




