484不幸少女と雨の騎士2
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「奇襲とは、騎士の風上にも置けぬのである」
「私は騎士じゃないもの。なんの問題もないわね」
突き出された手のひら、その先からまっすぐ放たれたであろう魔法を転がって躱し、ソンはそれもそうかと、頷いて同意の意を示す。
脳を揺さぶる何らかの攻撃。魔法、振動——おそらくは、音魔法の類。
「なんで避けられるのかしら?目は見えてないのよね?」
「ふむ、わが輝きを見抜く思いをもってすれば容易いことなのである」
「意味が分からないわ。まあ、私は与えられた役目をこなすだけよ」
敵の攻撃手段を判断したソンは軽い口調で話しを続けながら、けれどその内心は動揺しきりだった。
もし敵の攻撃が音魔法であるならば、その音がソンの耳には聞こえないようなものならば、手のひらの先から音を放つ理由もないはずだった。
敵は自分の周囲に音を、振動をばらまけばいい。それをしないのはおそらくはすぐそばで仲間が戦っているから。
そして、女は少しずつ、仲間から距離を取る方向にソンを巧みに誘導していた。
その距離が開けば開くほど、負ける可能性が高くなるとソンは判断した。
「吾輩の輝きを見るがいいのであるッ」
「輝き……ッてただの水魔法じゃない⁉」
「水魔法ではなく、コート王国流雨水剣術である」
「うすい……雨の水、ね。やっぱり水魔法じゃない」
女の手から魔法が放たれる。それを感じ取ったソンは、その軌道から素早く逃れて見せる。周囲の建物にも一切効果がない、脳を揺さぶるだけの攻撃。けれどそれは、ソンのあらゆる動きを不可能にさせうる、致命的な不可視の死神の鎌だった。
「というか、なんで剣を鞘に納めたままなのよ。それで騎士って言われても説得力がないのよ」
「わがコート王国は武力を嫌う国なのである。国民に剣を見せて心労を与えぬよう、騎士たちが必死になって生み出した剣術を否定するのは言語道断である」
「……そう、国民の安寧は重要よね」
会話を続ける二人は、やはり少しずつスレイたちから離れていく。戦いの転換点まで、あと少し。
「うむ。おかげで剣がさびることも少なくなり、文官が、特に財務官が大喜びしていたのである」
年中ほぼ雨が降っている国、コート王国。海岸付近に存在するそこは吹きすさぶ海風の影響もあり、鉄製の武器がとにかく傷みやすい土地だった。そんな場所で、特殊加工した湿気の入らない鞘に剣を収めたまま戦えるというのは非常に意味のあることではあった。
とはいえ剣の刃という強みを自ら封印している時点で明らかに間違ったあり方であると思われるのだが。
「……コート王国はバカの集まりなの?魔物の骨製の武器でも作ればいいじゃない」
「剣身を市民に見せぬことが大切なのであって、鉄じゃなくて骨ならばいいという話ではないのである」
「わかってるわよ、そんなこと」
そこで、女はにやりと笑って見せる。それは、自分の勝利を確信した者が浮かべる笑みだった。
「ふむ、効果範囲外、あるいは十分に弱まる距離であるか」
「なんだ、分かっていたのね?慢心が過ぎるんじゃないかしら、騎士様?鞘に刃を封じたまま倒れるなんて、本当に滑稽よね」
騎士が騎士の命にも等しい剣を使うことなく死んでいくなどおかしくてたまらないといった様子の女の言葉に、ソンは首をかしげる。
国民の目さえなければソンとて魔力温存のために剣を使うのだ。おそらくはそのことを知らないが故の嘲りなのであろうが、今のソンにそのようなことを指摘する余裕はなかった。
「別に吾輩もなんの策もなくここまで誘導されてきたわけではないのである」
ソンが、鞘ごと剣を腰から外す。そして、剣を抜き、その鞘を地面に転がした。
「あら、いいのかしら?大事な鞘なのでしょう?」
「うむ。確かに大切ではある。だが命を守れてこそ、武器にはその価値があるというものである」
「何が言いたいのかしら。自分が勝つと、そういうことわけ?」
「その通りである。吾輩の輝きを、吾輩たちコート王国騎士の本領を見せるのであるッ」
は?と、女はソンの行動に疑問の声をつぶやく。己の本気を見せると宣言したソンは、次の瞬間には剣を振り下ろし、己の鞘を断ち切った。
そして、鞘からまばゆい青の輝きが空に昇る。それはほんの一瞬のことで、注意していなければ気が付けないほどの速さで、かつ非常に淡い光だった。
「昇竜……水の竜が空に昇るとき、そこには雨が降るのである」
アクアドラゴン。コート王国に住みつき、王国の住民と共生を続けるドラゴンの一体から授かった鱗。それを用いて作り上げたのが、ソンたちコート王国の騎士が持つ剣だった。
アクアドラゴンは死してその地に雨を降らせ、それはアクアドラゴンの体に宿った魔力が上空に上り、そこで水を生み出すためであった。
水の精霊と同等かあるいはそれ以上に水との親和性が高いアクアドラゴン。その鱗に宿った魔力を空に上げる方法さえあれば、そこに短い間ではあれど雨を降らせることが可能になる。
「雨が降ったところで、何にもならないでしょう?」
頬を濡らした水滴をぬぐい取り、女は上空を見上げる。降り始めた降水量に対して、空に雨雲は見当たらない。つまり、ごく短い間の雨。
「吾輩は雨の国の騎士——雨の騎士である。雨が降る場こそが吾輩たちの領土にして、吾輩たちの戦いの場なのである」
周囲に水気が満ちる。降る雨が大地を濡らし、家屋を濡らし、ソンと女を濡らす。
「雨の騎士、ねぇ……ッ」
女が息をのむ。その先で、膨大な魔力をほとばしらせるソンが、行動を開始しようとしていた。
「行くのであるッ」
濡れた大地を滑るように、ソンが勢いよく女へと走り出す。
「響け、揺らせ、サウンド・ボムッ」
女が魔法を発動する。不可視の音の爆弾が、ソンと女の間に出現し、はじける。
「ぬるいのであるッ」
「な⁉」
ばらまかれる衝撃によって三半規管にダメージを与え、そして脳を揺さぶる攻撃。けれどそれは、ソンには届かなかった。あるいは、届いていても、十分なダメージにはならなかった。その意味を、女は理解していない。
女は音、ひいては振動を操る。振動は、媒体を伝わる運動だと、ソンは認識している。強い音は空気を震わせ、ガラスを震わせる。
では、どうするか。本来音を伝えるはずのものの動きを止めて、その伝播を阻止してしまえばいい。
降りしきる雨に濡れたソンが走る。その体表を伝う微弱な水の膜への干渉が、振動攻撃からソンを守る。それほどの薄い膜を張りながらその運動を一瞬だけ止めるような芸当は、ソンにはできない。だが、絶えず降る雨によって水の膜を生み出すサポートをしてもらえば、不可能ではなかった。
それはまさに慈雨で。
ソンはまさに雨の騎士だった。
「ッ、サウンド・ウェーブッ」
ソニックブームのごとき音の波がソンを襲う。だが、ソンは雨のしみ込んだ泥の壁を生み出し、その破壊を魔法で妨げ、音を減衰させる。直進する振動が、弱まる。
「——レイン・ソードダンスッ」
ソン渾身の剣技が、あるいは魔法が、発動される。それは、コート王国騎士団長たるソンだけが唯一使える、コート王国最強の一手。
「きゃあああああああああッ⁉」
空から降る雨に、ソンが干渉する。その雨は寄り集まり、小さな剣へと形を変えて、地上へと降り注ぐ。
水の剣が、女の腕を切り落とす。女の足に突き刺さる。
だが、彼女もまたスレイたちとともに死地を潜り抜けてきた強者。痛みに悲鳴を上げながら、その思考は一つの魔法の発動に意識を向ける。
「サウン——」
その言葉は、途中で途切れる。
水がまとわりついた剣をソンが振りぬいた。それは、補助機能を持っていた鞘の時とは異なり、ソンが自分の腕で水を操る必要がある、高い技術を要する一撃。
鞭のようにしなる高圧の水の刃が、女の首を切り落とした。
「……命の輝きに感謝を」
同時に、ソンの水の刃が形を失い、地面に広がる。魔力感覚の消失したソンは、こうして間一髪のところで戦いに勝利した。
雨量が減り、やがて雨は終わる。
合掌し、空へと祈りをささげたソンは意識を戦いへと戻す。
「行くのである」
戦闘の音が響き続けるその先へ、ソンは走り出した。




