467不幸少女と怨念の爪痕
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己を中心に吹き荒れる風によって、シャーロットは周囲から魔物を遠ざけることに成功した。
だが、周囲にばら撒いた魔力は、ほんの一瞬とはいえシャーロットの探知魔法の知覚を低下させる。
「しま……ッ⁉」
その瞬間に、奇襲が成る。
シャーロットの足元が、陥没する。
それは、サンドワームが作り上げた地中の穴。
液体なのか固形なのか不明な地面は、けれどシャーロットの足を取り込んだ。
「あああああああッ」
そして、サンドワームの穴の中に潜んでいた小さくとも凶悪な蟻であるクリムゾンアントが、シャーロットの足に食いつく。その肉を噛み、引きちぎる。
瞬く間に片脚の感覚が消え、骨を食らう破壊音が響き始める。
痛覚遮断を発動、魔纏スキルによって右足に炎を纏わせる。
遮断しきれない痛みが脳を揺さぶる。視界が明滅する。
だが、怨念たちの足は止まらない。その攻撃が、耐えることはない。
足を地中から持ち上げる。クリムゾンアントの炭化した死体が床に転がり、赤色の液体となって消えていく。
「空間破砕ッ」
迫る魔物たちに、全力の時空魔法を叩き込む。
一メートル先まで迫っていた魔物たちが、消失する。だが、背後から濁流のごとく迫る集団は、止まらない。恐怖を抱くこともなく、ただひたすらにシャーロットへと襲い掛かる。
「はぁッ」
剣を振るう。
怨念たちの体が両断され、液体となって消えていく。血潮のごとき赤い乱舞の中で、シャーロットは前に進む。
脇腹に爪——肘で叩き折り、斬り捨てる。
酸液による攻撃を手でかばう。皮膚が溶ける音の後に、激痛。酸でぬれた手を伸ばし、キラーアントの頭部をつかむ。
身体強化を施した握力で、頭部を全力で握りつぶす。
メキョ、と異様な音を響かせて、キラーアント一体が絶命し——まだ、無数のキラーアントが背後に並ぶ。
収納を開く。上空から、大樹の雨を降らす。
数多の怨念が押しつぶされ、消える。
だが、その数は減らない。視界の奥まで、怨念の像で赤く染まったこの空間に、戦いの終わりは未だ見られない。
「ッ⁉」
怨念たちが、また一つ学習する。
シャーロットが魔法を使う瞬間、あるいは魔力を放出した瞬間、一瞬だけ探知が緩むと。
サンドワームが即興で掘った穴にシャーロットが落ちたように、今度もまた、シャーロットは怨念たちの奇襲を許してしまう。
体から力が抜け、膝を屈する。
下がる視界は、足下、地中から伸びる影を捉えていた。影のような腕が床から無数に生え、シャーロットの足をつかんでいた。
その黒い腕の正体にあたりを付けたシャーロットは、即座に小さな火球を十数体の腕に叩き込む。
シャドウイーター。接触した相手の生命力を吸い取る魔物が、高温の炎によって斃れる。その断末魔は、けれどどこか笑っているように聞こえた。
キラーアントが、津波となってシャーロットを襲う。
否、そこにはキラーアントだけでなくクリムゾンアントの騎士も混ざった、アントの混成部隊だった。
もはや、それらに個はない。一集団として、自らの滅びも、仲間によって押しつぶされることもいとわぬ完全な連携が、シャーロットの逃げ場を封じる——
「収納——バブルウォーターッ」
渦巻く流水によって泡立つのは石鹸。怨念は魔物であり、それ以前に生き物である。昆虫の姿を取った昆虫は当然その性質は昆虫に近くなり、つまるところ界面活性剤によって呼吸を封じられる——が、シャーロットはまだこの試練の、そして怨念の実態を理解していなかった。
毒が効かない時点で、怨念は生命体でははない。
だから、窒息死などありえない。
石鹸入りの濁流はアントの群れを押し流した。だが、それだけ。
アントは、同胞に押しつぶされた個体を除けばただの一体も死んでおらず、収納を開き大量の水を生み出したには見合わない成果しか得られなかった。
「ッ、く⁉」
人間の、ゴブリンの体が迫る。魔物に投げられたそれが、シャーロットに迫る。
回避、回避、回避——
雨のように降りしきる体を一撃でも食らえば、シャーロットが無事であるかは怪しい。自己治癒という驚異的な回復系スキルこそあるものの、シャーロットは人間という弱い種族だ。頭部が破壊されれば死ぬ——どれだけ鍛えたところで、その生物の枠組みを超えることはない。
こちらへ吹き飛んでくる女が、ネクロの元幹部にして狂気の研究者が、笑う——その禍々しい腕を大きく開き、シャーロットを切り裂かんと迫る。
剣を構える。わずかに動きが遅くなろうが、ここで斬って捨てようと、シャーロットはそう判断して——
「ッ⁉」
女の体が、視界から消える。巨大な狼が、女を咥えてシャーロットの目の前を横切った。そして——空間に、魔力の奔流が沸き起こる。
魔力を、そして生命力から変換された魔力を吸い取られた怨念たちが、絶命していく。その体を液体に変え、床に沈む。
開けた視界の先、次々と怨念から魔力を徴収しながら、一体の獣がシャーロットを睨む。
赤一面のこの世界にあって、その獣は真っ白な光を宿していた。赤い体表から、陽炎のように白い光を立ち昇らせていた。
それは生命を抱く陽光であり、世界の熱の源。
自らの体内に太陽の光を取り込み、あるいは自らの中で太陽光を生み出す力を持つスコルが、シャーロットに一撃を食らわせようとしていた。
その魔力がどこから来たか、シャーロットは防御のために魔力構築を急ぎながら、頭の中で考える。
研究者の女を食らい、力を得た。研究者の女、人間——
「ッ、生誕の秘宝⁉」
答えは、出た。その可能性は、最初からシャーロットの目の前にあった。
怨念は、生前の記憶をもとに己の像を創り上げている。では、「生前の自己」とはどこまでを含めるのか。この場にいる人間は衣服を身に着けていた。ゴブリンやオークなどは腰布や武器を持っていた。つまり、衣服や武器は、彼らという存在を為す一部だった。
では、魔導具はどうか?人間が生前所有していた魔道が、その人間を構成するものの一部として、この場の存在が所有していてもおかしくなかった。
ましてや、狂気の研究者クイーンはその魔道具を体内に取り込み、融合すらしていた。
周囲の魔力を根こそぎ吸い尽くす生誕の秘宝が、クイーンの体と一緒にこの場に存在しない理由はなかった。
きっと、クイーンはまだスコルの中で生きている。
あるいは、シャーロットへの復讐を狙うクイーンの怨念が、スコルとの共闘の道を選んだのかもしれない。
結果として、クイーンとスコルは、シャーロットに届きうる一撃を、そしてその一撃のために必要な魔力を、確保するに至った。
『ガアアアアァァッ』
光の奔流が、迫る。
サンシャイン・レイ。莫大な熱量をはらんだ太陽の光が、シャーロットへと一直線に突き進む——が。
魔法のイメージ構築が終わる。
己を守り、敵への反撃に繋がる一手が、紡がれる——
「影纏いッ」
それは、体に影を纏い、その影によってあらゆる攻撃から身を守る魔法。
シャーロットが放出した魔力が己の影に干渉し、影が全身を包んで——いかない。
「ッ⁉」
それは、シャーロット痛恨のミス。この世界に、影という概念はなく、影魔法は成立しなかった。
試練参加者の精神力を見極めるために精神時間を肉体時間の数千倍、数万倍に引き伸ばすという無茶をしているこの空間。怨念などという存在を形にするためにも、この空間は現実の物理法則がゆがんでしまっていた。そんな空間に存在するシャーロットの体は、実は実体ではなく、その体に影が生じることもない。
ゆえに、影纏いという魔法は成立しなかった。
光の奔流が迫る。
回避も、魔法発動の時間もない。
腕を頭部の前でクロス。腰を低くする。
自己治癒スキルを限界レベルで発動して——
「ああああああああああッ」
シャーロットは、閃光に飲み込まれた。
永遠にも等しい責め苦が続く。絶叫が喉を枯らす。けれど、叫ばなければ意識が飛びそうだった。痛みは戦う気力をそぎ、体は今にも倒れてしまいそうで。
それでも、陽光の奔流が消えたそこに、シャーロットは立っていた。
全身が黒ずみ、髪は焼け、無事かどうかの判別もつかない——明らかに死んでいるようにしか思えないシャーロットは、けれど確かに生きていた。
肩が、呼吸に合わせてわずかに上下する。
息をするだけでも喉が痛く、けれどそれも自己治癒スキルによって癒える。
だが、魔力は尽きた。そして、周囲の空間に存在していた魔力は生誕の秘宝に根こそぎ吸われ、残っていない。
次の回復は、厳しい。戦況は絶望的で。
それでも確かに、目に見える形で、戦いの流れが変わっていた。




