438不幸少女と変態
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ガチリと、デーモンの口が閉じる。ウーパールーパーのような体、その巨大な頭部を持ち上げる。ごくりと喉を鳴らし、何かを、飲み込む。
四つの腕を使って起き上がり、同じく四つの足でデーモンは大地に立つ。その巨体は、どんどんと肥大化していき——
ゴウ、と炎の渦が巻き起こる。デーモンを包んだそれは、体表からデーモンの体を焼き、削っていく。
「……あれは無理だ。俺だけでは斃せない」
大地を踏みしめ、ふらりとシャーロットに近づいてきたイグナイトが、額に脂汗を浮かべながらシャーロットに告げる。絶対的優位性を、上司としての強制命令権を持つシャーロットに、刺し違えてでもデーモンを殺してこいなどと言われないように祈りながら。
「あ、ああ……」
のどが引きつった声が聞こえる。喪失感のにじむ声は、言うまでもなくローザのもので。涙を流す光なき目は、じっとデーモンの体を捉えていた。今すぐデーモンの体内から妹を救い出したい、そう願うもローザの体はもう一歩も動こうとはしなかった。絶望が、今度こそローザの足を止めていた。
デーモンを包んでいた炎が、消える。
そして、中から炭化したデーモンが姿を見せる。両腕を縮め、体を丸めるようにするその防御姿勢らしき姿は、これまで戦ってきたイグナイトにも見覚えのないもので。
イグナイトの警戒を認識してか、シャーロットもまた探知魔法でデーモンの動き出しをつかもうとしながら、己の内で魔力を高ぶらせる。収納から取り出した臨界魔石から、魔力を引き出す。
ピシ——デーモンの体表に、ひびが入る。真っ黒な炭に次々と亀裂が入り、その奥から禍々しい気配が世界に広がる。
シュナイツァーが膝から地面に崩れ落ちる。ローザは呆然とその変態を見上げる。シャーロットとイグナイトはすぐさま攻撃に出られるように準備しながらも、それに目をつけられた場合助かるかもわからず、攻撃をためらう。二人は自分一人なら助かる可能性が高いことを理解していて、それでも藪を叩いて出してしまった化け物とその怒りが向いてしまった先、巻き込まれる無関係な街の市民のことを思えば、簡単には手を出せなかった。そこが、シャーロットとイグナイトの甘いところで。
球体のようになっていたデーモンの頭頂部が、大きく裂ける。そこから、真っ黒な霧が噴き出し、大気を染め上げる。そして、デーモンが姿を現す。
黒い、光全てを吸い込むような黒をした巨鳥。その姿に、イグナイトは見覚えがあった。
「俺の火を消化しやがったのか……」
イグナイトの呟きに反応を返す者は誰もいなかった。
体表に、赤黒い血管らしきものが走っていた。脈動するそれの一部が、ゆっくりと膨らんでいく。
『ギイィィィィェェェェェッ』
硬化したナイフのごとき羽が広がる。翼を広げた巨鳥が——デーモンが、叫ぶ。
血のように赤い脈動する線の一部が、膨らみ、裂ける。そして——
「ヒィ⁉」
誰かが上ずった悲鳴を上げた。
現れたのは、真っ赤な瞳。
黒い体表に生まれた無数の目がうごめき、世界のすべてを睨んでいた。
目の一つがアガニーを捉える。シャーロットを、イグナイトを、シュナイツァーを、ベリナを、ローザを、そして街を、捉える。その目が、細められる。
「……」
すぐにでも戦いを開始できるよう気を引き締めたシャーロットの視線の先で、再びそのデーモンが叫ぶ。天へ向かって、世界に誕生を告げるように。
体を沈める。足がたわみ、長い首が縮まり、そして——
空を、飛ぶ。炭で塗りつぶしたような色をした、無数の目を宿したデーモンは喉元を大きく膨らませる。そこで渦巻く膨大な魔力に、今度こそシュナイツァーは死を確信した。ローザは、そのブレスが向く先を思い、顔をこれ以上ないほどに青ざめさせる。頭部にもともと存在した二つの目が捉えているのは、その口が向くのは、アガニーの方で。そして不運にも、アガニーの背後、直線距離一キロもいかないところに、街があった。ローズガーデン家が治める街が。
闇色の光の奔流が、嘴の形をしたデーモンの口から零れ落ちる。ほとばしる閃光が、不敵に笑うアガニーへと、迫る。その先の街を蹂躙しようと、迫る。
「ディメンションシールドッ」
空間の断層が、それを生み出したシャーロットの時空魔法が、デーモンのブレスと激しくぶつかり合う。バチバチと火花を散らし、そして暗黒の光線は周囲へ散らばり、付近の大地を死の土地へと変えていく。光線が触れた大地から、生命力が抜け落ちていく。まるでモノクロの世界へと変貌を遂げたように、その場所には灰色の大地が広がっていた。
デーモンの攻撃を相殺し、けれどシャーロットが地面に膝をつく。足りなかった魔力を自分の体内から引っ張り出したシャーロットの魔力量はゼロに等しく、無茶が祟ったせいか口から血を吐く。
デーモンの不快気な瞳が、シャーロットへと向けられる。
『ギェェェェェェッ』
まるでシャーロットに向けたように一声鳴いたデーモンが、その頭部の向きを変える。そして一直線に、まるで目的地があるように、わき目もふらずとある一点目がけて飛翔し始めた。
「向こう、は……」
シュナイツァーが、小さくつぶやく。青ざめた顔が意味するところは、おそらく最悪に等しいもので。
「……王都」
デーモンが進むその方向の正体を、イグナイトが代わりに告げる。自分が逃した敵が広げる災禍を思い、唇を強く噛みしめながら。
「……シャル、だったか。魔力が欲しい。今すぐに、できる限り多くだ」
イグナイトは、どちらかと言えば善人だ。ネクロに、そしてスレイたちの集団に所属していた彼だが、その本業を、己の胸に宿した生き方を、忘れたわけではなかった。
理不尽からの解放を、悪意からの救済を。
そんな思いを胸に宿すイグナイトは、ネクロの上司だというシャーロットに要望を告げる。魔力を、今なお高速で遠くへと飛翔していくデーモンを斃すための、魔力を求める。
地面に座り込んだシャーロットが、無言で収納から大量の臨界魔石を取り出す。そして、それが地面に落下して衝撃で爆発する前に、シャーロットは魔石からほんの少し魔力を抜く。
「………あ、」
とある未来に気が付いたローザが、口を開く。妹が食われた、そして今度も守れなかったという絶望に心囚われていたローザが、シャーロットへと手を伸ばす。その魔法を、止めようと。
ここでデーモンが殺されれば、燃やし尽くされれば、体内で生きているかもしれない妹は、エルニアはきっと——
だが、ローザの静止で、シャーロットが、イグナイトが、止まるはずがない。何より、疲れ果て声も満足に出ないローザの動きは緩慢で、その静止は間に合わなかった。
額から汗をにじませながら、シャーロットは膨大な魔力の波長を、操作する。シュナイツァーが行使できるように、彼の魔力へと、臨界魔石内の魔力を近づけていく。目から血がこぼれる。額の血管が裂ける。限界を超えて酷使される脳が悲鳴を上げていた。それでもシャーロットは、イグナイトの要望に応えるべく魔力に干渉する。
「危ないッ」
ベリナが叫んだ。その視線の先には、大地すれすれを滑るように駆けるアガニーの姿があった。
その間に、ベリナが、シュナイツァーが、割って入る。腕を失った方の顔半分までが黒ずんだアガニーが、魔法を発動する。体を染めていく「黒」が広がる。それに呼応するように、彼女の暗黒魔法はさらに力を増していた。
アガニーが狙うのはシャーロット——ではない。シャーロットの心を壊すため、彼女が狙うのはローザ。この場にいる人物の中で、シャーロットが最も信頼を寄せていると思しきローザを、アガニーは仕留めに向かっていた。あれだけの膨大な魔力をデーモンではなく自分に向けられたら復讐を成せずに死んでしまうと認識していたから、アガニーはシャーロットそのものを狙わない。
悪辣に、シャーロットの心を壊すために、アガニーはローザへと漆黒の腕を伸ばす。その腕が、剣によって切り払われる。シュナイツァー——ではない。
たどり着いた騎士たちが、そしてローズガーデン侯爵が、娘であるローザを守るために、アガニーに立ちふさがる。侯爵の顔には憎悪と絶望と、そしてそれを糧に奮い立たせた蛮勇があった。
そして合流したシュナイツァーが、ベリナが、一丸となってアガニーを押しとどめる。




