403不幸少女と献身
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瞳に強い光を宿してシャーロットをにらんでいた子どもだったが、ふとその目に影が落ちる。そこには、これまでの苦悩がありありとうかがえた。
シャーロットが、ほんの少しだけ眉間に力を籠める。
「……九人。これまでに九人、治癒師とか薬師とかに治療を頼んだんだ。けど、俺らの奴隷化とか、大金とかを要求された。足下を見やがって、普段売ってる薬の数十倍の値段を要求されたんだぞ⁉それに、リーダーとして仲間は売れない。あんただけが、頼りなんだよ。もう、こいつには時間がないって……」
子どもたちも、仲間の少女を助けるためにあらゆる手を尽くした。慈悲深いと有名な教会所属の回復魔法使い——治癒師の元を訪ねて治癒を依頼するもすげなく断られ、なけなしの金をもって薬を買いに薬師の店に行けば、貧民街の服装から足下を見られてぼったくりの値段を請求された。薬のかっぱらいを試みた仲間は捕まって行方知れず、闇薬屋から薬を買おうとすれば、依存性の高い治癒効果などない麻薬を提示される。
挙句の果てに、貧民街の奥に生きのいいガキがいるなどという情報が出回り、奴隷商たちの動きが活性化する有様である。戦争中の帝国において、自爆要員として優秀な子ども奴隷の相場が上がっていて、奴隷商はこれ幸いと下っ端を動かした。
こうしている今も、自分たちを探す畜生どもが動いていて、捕まってしまえば病気で弱った少女など処分される——彼らは、そう考える。
時間が、なかった。
だから、賭けに出た。現在帝国で一番名が知れている英雄に、接触を試みた。話もさせてもらえずに殺されるかもしれない、騙されて売りさばかれるかもしれない、治療など請け負ってもらえないかもしれない。
か細い蜘蛛の糸に、それでも彼らはしがみついた。仲間を助ける、そのために。
「……俺が奴隷になって金を稼ぐしかないのかよ……」
リーダーの言葉に、反論する者はいなかった。束ねる頭脳の消失はこのグループの崩壊を意味していて、けれど「仲間は見捨てない」という唯一の血の掟を守るには、リーダーの自己犠牲が必要だと誰もがそう諦めていた。
最も、貧民街の子どもが自分を奴隷に売ったとして、真っ当に金額が支払われる可能性など微々たるもので、無銭で捕まるか、あるいは捕まった上で仲間を一網打尽にするための情報袋にされるか。焦りで盲目する彼らは、最悪の末路を見ることもできていなかった。
「頼む……あんただけが、頼りなんだ」
深く、深く頭を下げる。手のひらから零れ落ちた包丁だった鉄さびが、床に転がって音を響かせる。リーダーの動きに合わせて、闇に身をひそめる少年少女が、頭を下げる。最年少にして、この一団の華である少女の治療をこい願う。
少女の体を診ていたシャーロットが、ゆっくりとこの一団のリーダーの方へと振り向く。身じろぎの音に、頭を下げるリーダーの肩が震える。続く言葉を、唇を強く噛み続けながら待つ。
だが、いつまでたってもシャーロットの返答はなく、リーダーはゆっくりと頭を上げる。ぼろぼろのフードの布が、めくれる。視線の先に、虚ろな目をしたシャーロットが映る。
同胞だ——そんな感覚が、リーダーの心によぎる。目の前の英雄は、自分たちと同じ弱者だった、弱者としての生を知る者だと、直感が働く。その思考が何かをもたらすことなどなく、暗い瞳から消えた光は、きっと仲間が犠牲になりながらもたった一人の仲間を救おうともがく、本末転倒でひたすらに甘い自分たちを見捨てた証拠で——
瞬きが、一つ。
頭を上げたリーダー格、その少年の顔を見ていたシャーロットの目が、少しだけ揺れる。驚愕の表情を、少年は確かに見てとった。そして、シャーロットの口が言葉を紡ぐ。小さく、半ば無意識に。
「……シュナイツァー?」
シャーロットには、少年の顔に見覚えがあった。灰色の短髪に、釣り目がちで鋭い武人の光を宿した水色の瞳。高い鼻に、固く閉ざした口元。
色合いに、目元や鼻、口といった顔つきに、既視感があった。その既視感の正体を口にする。ゲーム攻略対象の一人、シュナイツァー・エド・グランスミスのその名を。
「~~~~ッ、あんた、兄ちゃんを知ってるのか⁉」
シャーロット以上に驚愕の感情に飲み込まれた少年が、一団の長としての虚勢すら放り投げて叫ぶ。生き別れの兄を知る人物が目の前にいることへの驚愕、兄の無事を知りたいという焦燥感、暗闇の中に差した一筋の希望の光に、彼は叫ぶ。妹分の治療のことすら、一時頭の中から抜け落ちて。
「……ええ、まあ。気が変わりました。治療をしますよ」
それは、シャーロットの中で少年とその仲間が、顔見知りに格上げされた瞬間だった。治療する理由は未だそれほどなく、けれど薬剤師あるいは薬師としての意地と共に天秤の片側に乗った情報が、シャーロットを行動に移させる。
「~~ッ、ありがとう!それで、兄ちゃんは——」
「………………死んだと、そう聞いています」
収納から検査用の魔道具や薬を取り出しながら、シャーロットは迷いの末に確かに伝える。ネクロ幹部の複数離脱の後、彼らの同行を精査していたファウストの書類。シャーロットはそこに、シュナイツァーの末路を見ていた。
安堵と、絶望。
ない交ぜになった二つの相反する感情が許容値を超えた少年は、糸が切れたように意識を失って崩れ落ちる。少年の同胞が慌てて彼に駆け寄り、体を抱く。筋違いな恨み、あるいは怒りの感情の一切を無視して、シャーロットは少女の治療を開始した。
「……治癒師にはこの病の治療は手に負えず、薬屋は治療の可能性がある高級な薬を挙げた。要は、それほどに彼女の状態は危機的だったというわけですよ」
つくづく縁があるものですね——などと思いながら、シャーロットは少女の状態と、彼女の治療を取り巻く「善人」たちの話を告げる。
治癒師は、治療を拒否したのではなく自分の腕では治癒できないと判断して依頼を断った。
薬師は、少女の病状を癒すには高価かつ希少な、治療の可能性がある薬の値段を少年に伝えた。
奴隷商は、少年たち一団が奴隷になることで、少女の治癒に足る代金と釣り合うと判断した。
少女の治癒をめぐる後半のいざこざ、あるいは真っ当でない方法や闇組織へのアプローチを除けば、少年たちへの大人の対応は正当なものだった。
「クォーツ化。人魔結晶その他のための実験の前段階として、龍脈に注ぎ込まれた力によって帝国を中心に発生していた現象の名です。体内に鉱石が生まれるこの病気が、彼女の命を脅かしていて、その治療は非常に高価な薬に賭けるくらいしか、一般市民には打つ手がなかったのですよ」
ドクターの最悪の置き土産の一つ、クォーツ化。主に地中に暮らし、岩石を食らう魔物に多く見られた異常現象が少女の身に起きたのは、クォーツ化によって食べられないと処分されたはずの肉を拾い食いしたからか、あるいはクォーツ化を引き起こすだけの呪い混じりの砂等が付着した食事を摂っていたからか。
おそらくは天帝の塔のあの地下室で龍脈へと流し込まれていたと考えられる力は、そのすぐ側の帝都貧民街にさえ影響を及ぼしていたということだった。
「じゃあなんで、あんたは治療できたんだよ……」
「一度、癒した経験があるからですよ」
リヴァイアサンの一件で、体から鉱石が生えたホノカを、シャーロットは治療していた。おそらくはクォーツ化と思われるあの治療があったからこそ、シャーロットは少女の体に根差す病の原因さえ分かってしまえば、ごく短時間で治療が可能であった。
幸運だったのは、発症からまだそれほど日数が立っていなかったこと。クォーツ化という状態が少女の体に完全に根差していなかったからこそ、「傷」と認識されて刻傷転移でシャーロットへと状態を移し、それから自己治癒スキルで完全治療することができた。
「はぁ?お高い薬でも治せるかわかんない病気をか?さすがは英雄サマってわけだ」
「…………栄養不足からくる体力と免疫力の低下が深刻なので、そこを改善しなければ彼女の回復はあやしいですよ。すぐに別の病を患ってしまうか、力尽きて死ぬか。あなたたちを含め、生き延びる可能性は高くありません」
「だから何だっていうんだよ?まさか、お優しい英雄サマは、俺らを養ってくれるっていうのか?」
「英雄なんて簡単な言葉で言い表せる存在なんて、この世にはいませんよ。悪人か、悪の面を持つ灰色の人間だけが存在しているんです。清らかで正義を体現した英雄などという存在はいませんし、そんな幻想に頼り、幻想を押し付けるなど甚だ不愉快です……が、選択肢を一つ増やすことはできます」
「選択肢?治療の対価か?」
「そう受け取ってもらっても構いませんよ。条件は情報収集部隊として、私の……私が所属する組織の手足になることです」
「冒険者ギルドにそんな組織があるのか?というか勝手に作っていいのか?」
「帝国にはびこる悪と名高い……名高かった組織。帝国上層部とずぶずぶの関係と言われるネクロ、その調査部隊への勧誘ですよ」
ネクロという組織は、もともとは社会に設置された最後のセーフティーネットの意味合いを持つ集団だったという。社会からつまはじきにされた闇の人間を、独自の秩序を元に制御する。ファウストというリーダーを頂点に、極悪人の暴走を最小限に抑えるのが、ドクターやエジテーターといった離反組が抜ける前のネクロという組織だった。
生きていくためには糧を得るための仕事が必要で、真っ当な方法で糧を得ることができない、あるいはできなくなった人間が闇に落ちて闇に染まる。一切の光が届かない闇の底にヘドロのような悪意の一部として沈殿する前に、微かな光が届くネクロという薄暗闇に居場所を作り、仕事を与えて糧を供給して、社会の最下層を統制する。
だから、もし「下」に落ちていってしまいそうな人間がいたら個々の判断で拾い上げていいし、その権限を幹部に与えているんだよ——そんなファウストの言葉を思い出しながら、シャーロットは少年へと手を伸ばす。
貧民街で名を知らぬ者はいないであろう闇組織の名前が出て来たことに驚愕し、不安と不信感を宿した目で、少年はシャーロットを見つめる。ネクロ幹部だと、そう納得できるだけの雰囲気や行動をシャーロットは見せていて、その力は、少年にとっては誘蛾灯に等しい、抗い違い憧憬の光だった。
——力があれば、仲間を守れる。
——ネクロという強者に使いつぶされるかもしれない。
浮かんでは消える思考の先に、少年は一つの決断を下す。リーダーであり一団の頭脳である少年は、振り返った先の面々を見渡す。そこに反感はなく、目を覚ました少女を最後に、少年はシャーロットへと向き直る。
「ラビット・ラットのリーダー、イリガーだ。よろしく、頼む」
小さな肩に仲間の命を背負った若き指導者は、そうしてシャーロットの手を取る。硬く握るその手に引かれた先は地獄か天国か。
未来を知らぬ彼らは、恐れることなく新たな道を歩み始める。




