272不幸少女と帝国ダンジョン17階層
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「へぇ……これは、綺麗ですね」
17階層。16階層を流れていた水は、どうやらそのままこの階層に流れてきているようであった。渓谷の底に立つシャーロットの視界では、両脇の壁に存在するいくつもの穴から水があふれ、しぶきを上げていた。降り注ぐ太陽光を反射していくつもの虹を作り、苔むした岩や木々を含めた色彩豊かな光景は幻想的だった。
進む先の苔の上を、小さな赤いトカゲがちょろちょろと尾を振りながら歩いていく。頭上を見上げれば海のように青い空を、真っ白な鳥が悠然と泳いでいた。
「ふぅ、中々有意義な時間だったね」
「……それで、なぜついてきているのか聞いてもいいですよね?」
現実逃避も含めて階層の景色を眺めていたシャーロットは、眉間にしわを寄せながら、未だ居続ける同行者へと冷たい視線を注いだ。
「そりゃあシャルと一緒にいると面白いことに遭遇できそうだからさ。僕の感覚が言っているんだ。非常に興味深い観察対象だ、とね」
先ほどからそうしてシャーロットの後ろを歩くエルマール。残念なことにシャーロットにはエルマールと別れる明確な理由を持ち合わせていなかった。しいて言えば信用できかねるといったところだが、あいにくエルマール一人いることでシャーロットの戦闘は格段に安定していた。
前衛後衛をともにこなすシャーロットと、後衛かつサポートタイプのエルマールの組み合わせは、こうして実にあっけなく次の階層へ足を運ぶことを可能とするものであった。
「それよりも、あれはいただけませんね」
によによと不快極まりない笑みを浮かべるエルマールから視線を外し、シャーロットは眉間にしわを刻みながら上空を見上げる。
そこにあるのは、空の半ばにぽっかりと開く穴。亀裂が走るそこには暗い空洞が広がり、その真下の地面にも大きな穴が存在していた。それは、ダンジョンの崩落部分。
景観を台無しにする物理法則など投げ捨てたようなおかしな光景は、けれどここがダンジョンという摩訶不思議な場所であることを思えばひどく当たり前のようでもあり、シャーロットは自分の認識の変化にわずかに首を傾げる。
(これは、よくない兆候ですかね。ファンタジーなどと言って思考停止に陥るのは駄目ですよね)
「崩壊はダンジョン深くから階層を突き破って上がって来た魔物——ドラゴンが原因だからね。流石Sランク、やることが異常だよね」
「ドラゴン……よく斃せましたね?」
「いや?斃せていないよ。帝都を防衛しているうちに、飽きたのかどこかへ飛び去って行ったからね。まあドラゴンによる被害よりも、ダンジョンをぶち抜いた結果起こったスタンピードによる人的被害の方が大きかったし、それはもう大事だったよ」
「……エルマールさん、年齢と外見が釣り合わないとよく言われませんか?」
よく言えば若々しい、悪く言えば童顔なエルマールは苦笑を浮かべながら肩をすくめる。その瞳にわずかに闇が落ちているのを見て、シャーロットはふいと視線をそらして階層の観察に戻った。
「……ん?そろそろ夜、ですよね?この階層、外と時間がかなりズレていますね」
「ああ、そうだね。そういえばもうそんな時間か。この階層での休憩場所としてのおすすめは崖にいくつかある、水の枯れた穴だよ。魔物が住処にしていることもあるけれど、身を隠すには都合がいいから大抵の冒険者はそこで一夜を明かすかな」
エルマールの言葉を聞きながら、シャーロットは目を閉じて探知魔法に集中する。使用する魔力を増やして感知範囲を引き上げれば、それらしい洞窟が一つ、少し歩いた先右手側の壁に見つかった。
「なるほど、探知魔法って便利だね。これは習得を目指すべきかな?とはいえ探知魔法もなかなか発動の難しい魔法だったと思うんだけどね。よくそれだけ簡単そうに使えるよね」
「まあ慣れですよ。一人での活動が多いと周囲への警戒と戦闘を同時にこなす必要が出てきますからね。なかなか便利ですよ……ッと、ストーンニードル」
「切り裂け、ウィンドカッター……やっぱり冒険者稼業はパーティー行動すべきだよね」
「それを私同様一人で行動していたエルマールさんが言うのはどうかと思いますけどね」
会話を続けながら、シャーロットとエルマールは淡々と近づいてくる魔物を斃していく。シャーロットの戦い慣れた様子にエルマールが楽しそうに笑みを浮かべ、時折シャーロットへからかい交じりのセリフを飛ばす。
それにシャーロットはため息交じり、あるいは呆れ交じりに返しながら、二人は今夜の野営場所へとたどり着いた。
「ほら、パーティーでの行動のほうが楽でしょ?」
「戦闘面では、ですかね?正直信用しきれない他人と一夜を共にする方が怖いですからね。違います?」
「ひどいなぁ。これほど協力的なのに一体何が駄目だと言うんだい⁉付与魔法が使えなかったこと、根に持っているのかい?」
「その歌劇のようなわざとらしい口調ですよ……はぁ、収納っと」
「ん⁉あー、へぇ。言葉では色々言いながら、案外僕のことを信用してるじゃないか、シャル?」
「そんなことはないと思います。それよりその発言は、エルマールさんが私のことを信用していると受け取っていいのですよね?」
「もちろんさ。…………それで、これはなんの肉かな?」
言質を取ったシャーロットは、消費の必要のある干し肉を収納の中から取り出し、エルマールへと放り投げる。受け取ったエルマールは、まずその腐臭に顔を顰め、そして一口かじって硬直し、おずおずとシャーロットに尋ねる。
「んー、たぶん、フェンリル?」
「は?あの高級食材のフェンリル肉?この冒険者ギルド販売の発酵臭のする干し肉より不味いこれが?」
エルマールの脳裏をよぎるのは、以前とある大規模の討伐依頼を終えた際の祝勝会、そこで貴族崩れの冒険者が持ち込んだ高級料理店の一品だった。
柔らかかつ肉汁あふれる、芳醇な森の香りのする一品。そんな記憶の中の一品が今、エルマールの脳裏で泥や血で汚れたシャーロットによって無残にも踏みにじられていた。
ああ、と思わず嘆き頭を抱えるエルマールを、シャーロットは冷めた視線で見つめながら干し肉を一口かじり、それからほんの少し眉間にしわをよせる。
「ええ、おそらく。ああ、フェンリルの討伐なんてできるはずがないと思っているわけですか。——収納、ほら、フェンリルの牙ですよ」
「いや、そうじゃなくて……というかフェンリルの討伐についてはあまり疑っていないよ。それより、これがフェンリルの肉だって、本気で言っているんだよね?」
「はい、一応狩った時期と魔物の種類ごとに分類はしてありますし、まず間違いなくフェンリルの肉ですよ。というか、フェンリルの肉ってそれほど美味しいものなのですか?」
「いや、まあ美食と言われるほどには美味しいよ。それに何より、フェンリルの肉は風魔法の威力をわずかにとはいえ一時的に引き上げる効果があってね。風魔法を主力とする高位冒険者なんかは、強い魔物を討伐する前には願掛け的な意味も込めてフェンリルの肉を食べたりするんだよ。……そうか、これもフェンリルの肉…………決めた。シャル、帰ったら美味しい干し肉の作り方を教えてあげるよ。だから、絶対に、これ以上食材を冒涜するのはやめてね?」
「……収納にまだ大量の干し肉がありますよ。正直、ひたすら食べたとしても一人では数年はもちそうなくらいには」
「………あー、わかった。とりあえず誤魔化しを、いや、そういった保存食の調理を教えるよ。だから、わかったね?必ず、ダンジョンから帰ったら、まともな干し肉の作り方を覚えるんだよ?」
先ほどまでの緩い空気感を捨て去って、シャーロットの肩を両手で強くつかみながらエルマールが非常に真剣に告げる。そのあまりの気迫に、シャーロットはこくこくと機械のようにうなずくばかりだった。
(……まあ、私もこの干し肉には不満がありますしね。というか…)
「私、別に料理ができないというわけではないですし、保存食をそのまま食べることも最近ではほとんどないですよ?」
「……本気、なんだよね?これが料理です、とか言ってヘドロレベルの命の危機すら感じさせるようなゲテモノを作るなんてことはないよね?」
「さすがに馬鹿にしすぎですよ。人並みの……一般的な冒険者並みの料理はできますよ」
無遠慮な疑いの視線を向けるエルマールに証明するため、シャーロットは収納から荷物を取り出し、調理を進めようとしたところでやはりと言うべきかエルマールに止められる。
「何か?」
「いや、何か、じゃないって⁉それ、解体用ナイフだよね⁉さっき使っていた⁉そっちは薬草と……味をごまかすために入れる悪臭に近い匂いを持つ香草に、明らかに傷んでいる野菜……それで、何をするか聞いてもいいかな?」
「何って、料理ですよ。それに、この香草は薬草と一緒に煮込むことで匂いの大部分が消えて単純な肉の臭みとりになりますよ。あちこちに生えている雑草に等しい植物だからこそ常用できて便利ですよ。あと、この野菜は傷んでいないところだけを使います」
「そういう問題じゃ……はぁ、もういいや。それじゃ、僕はそこらで香草でも採取してこっちで適当なスープをッ、何、かな?」
ガシ、と体格に見合わない握力で腕をつかまれたエルマールは、おずおずと、けれど明らかな恐怖を湛えて振り返る。その先には氷のごとき視線を向けるシャーロットが、静かに笑っていた。
「……はい、わかりました。ご相伴にあずからせていただきます……」
思わず丁寧な口調になってしまうほどには、エルマールには今のシャーロットがひどく恐ろしいものに見えた。
「……釈然としない」
「だから言いましたよね?それなりに料理はできる、と」
それから半刻ほど。処刑台を待つ囚人のようにびくびくしながらシャーロットの一挙手一投足を観察していたエルマールは、湯気を上げる温かいスープに口をつけ、そんな一言を漏らした。
「いや……そうだね、悪かったよ。十分な料理の腕だ。けど、それでも干し肉は最悪だよ。これがもう少しましな干し肉であれば、もっとおいしかっただろうに……」
エルマールは先ほどの腐臭交じりの味を思い出し、嘆息する。それから、料理に使ったという薬草がかなり上等な代物であったことに再度げんなりし、その原価を概算して盛大なため息を吐いた。
「これなら素材を売って得た金で高位貴族ご用達の料理屋で一食食べられるよ」
「?それはエルマールさんが料理の参考としてごちそうしてくださるという意味ですか?」
「あー、まあ、そうだね。機会があったらね。それで、夜の見張りの順番はどうする?年長者として意見を聞き入れてあげるよ」
「私は聖域展開スキルをそれなりのスキルレベルで所有しているので見張りはいりませんよ。それすらすり抜けるような相手は、見張りの有無にかかわらず先手を取られるでしょうからね」
「そう……というか、やっぱり信用してるよね?いいのかい?僕にそんなことまで話してしまって」
「私の最近の単独行動は聖域展開スキルあってのことですからね。使わなかったとしてもエルマールさんであればわずかな違和感から何かしらの隠し玉を持っていることは予想していたでしょうし、仮に黙って使っていたとしても、魔力感知からどんなスキルを使っているかわかってしまうのでしょう?あと、近くで起きていられると私が眠れないのでやめてください」
「まあ、そうだね。じゃあお休み」
「ええ、お休みなさい」
エルマールが荷物から明日のために荷物を整理し終える頃には、シャーロットはその隣ですやすやと寝息を立てていた。
「まったく、素直じゃないよね」
外套からわずかにのぞいたシャーロットの一筋の髪に軽く触れ、それからエルマールは明日からも楽しくなりそうだと独り言ちた。




