245不幸少女と終結と転落
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上へと駆けるシャーロット。だがその動きはすぐに止まることとなる。
「ッ⁉」
突如シャーロットの前方に広がった黒い膜。シャーロットはそれに左手が触れた瞬間、全身を使って動きを止め、急いで膜から離れる。
たった一瞬。それだけで、シャーロットの左腕にはこれまで感じたことのない痛みが襲っていた。
「腐食?いえ、これは……呪い!」
それは、女性がシャーロットを足止めするために使った呪い。それに対抗しようとでも言うのか、シャーロットの左腕の、オリニオン製のドロップアイテムの短刀に存在していた紋様が光を放つ。打ち消されてたまるかと、この程度の呪いに負けるかというように。
紋様は光と、それから強い熱を帯び、シャーロットは左手の激痛に身もだえしながら、女性が放つ魔法から身をかわす。
「……ッ、なんですか、それは⁉」
先ほどまであれほど美しい輝きを見せていた神具。それが、今やどす黒い不吉な魔力をばら撒いていた。当然神具を身に着けた女性もその余波を受けており、服からはみ出した肌のあちこちが黒ずみただれていた。
そのおぞましさにシャーロットは吠え、女性はただ困ったように笑う。今度は、シャーロットにもはっきりと表情の変化が読み取れた。
女性の何かを懇願するような強い視線に、シャーロットは固まる。
殺してくれと、戦いの中で死なせてくれと、そういっているようだった。
「~~~このッ」
のどまで出かかった言葉は、形をとることはなく、ただ苛立ちにまみれた叫びをあげてシャーロットはどっしりと地面を踏みしめる。
不快だった。
昔のシャーロット自身も、ただ当たり前のように害をその身に受け、そして大切なものを次々と手放していき、最後には自分の現状を嘆くばかりだった。
奴隷の首輪をされ、ここにとらわれていた彼女がどんな目にあっていたか、想像できないわけがない。それはおそらくシャーロットの想像の上を軽々と越えていくような「悪意」にまみれた時間で、そこから解放され、そうして彼女がようやく死を得られるということはわかる。
——理解できる、が、シャーロットはそれをよしとしない。
自分自身がそうやって命を絶ち、けれど今なお生きる羽目になっている。心の中には後悔と憤怒と怨嗟が入り乱れ、常にシャーロットを破滅の道にいざなおうとする。こんな世界の行く末など知ったことではないと、勝手に滅びてしまえと——滅ぼしてしまえと。
死は、救いではなかった。
死という安易な選択に、自分と同じように逃げ、そうしておそらく無事に逃げ切ることができるであろう女性に、シャーロットは自分でも気が付かないうちに嫉妬していた。
荒れ狂う感情に翻弄されながら、シャーロットは女性へと突撃する。
その身を魔法に切り裂かれながら、呪いに侵されながら、シャーロットはまっすぐ、女性へと向かっていく。
女性を殺したいのか、無力化したいのか、それともただ自分の命を守るために立ち向かっているのか。
ただ、結果としてシャーロットの握る短刀は、女性の心臓を貫いた。
口の端から血を流す彼女は、静かにシャーロットへと微笑む。顔をしかめるシャーロットはその体から短刀を引き抜き、そうすれば体から力の抜けた女性は、ゆっくりと背中からシャーロットが突き破って這い出てきた穴の先へと落ちていく。
女性が操っていた土も制御が失われ、落下を開始する。
女性、ドールについて、シャーロットはほとんど何も知らない。ドールが呪術使いであることも、その本来の戦闘スタイルが神具と「呪歌魔法」という呪術と歌魔法の複合・上位スキルによるものだということも。
ドールが全力を出していればおそらくシャーロットは負けていて、だが結果として勝利を収めたのはシャーロットだった。
そして——
パキン、と音が響いた。
それは女性が胸に抱いていた、キューブ状に戻った神具から響いた音で、そしてそのヒビ——開口部から、先ほど以上に悍ましい闇があふれ出し、女性の体にまとわりつく。
驚愕と、それから全身に広がる痛みに、女性は体を震わせ、シャーロットへと手を伸ばす。一瞬でその体は闇に覆われ、ずるずると神具の中へとその身が吸い込まれていく。
全身の激痛にゆがんだ顔。女性はその瞳に恐怖を宿しながら、「闇」に覆われていく中で何かを告げようとして、口もまた闇に覆われる。最期まで外気にさらされていた瞳には強い懇願の光があり——シャーロットは反射的に穴へ飛び込み、女性へと手を伸ばす。
もう助からないとわかっていて、それでも、自分へと伸ばされたその手を、つかまなければいけないという強迫観念に囚われて——
だがその手は空を切り、女性は神具の奥へとその身を引きこまれていった。
「~~~~~~ッ」
声にならない絶叫が、女性の口から響く。そうして、彼女を飲み込んだ神具は、がれきの山と一緒に穴の底へと落ちていった。
「~~~ッ」
二度目、だった。
伸ばした手が空を切り、誰かが死ぬのは。
一度目の時、そこには「死」の予感はなかった。まるでシャーロットにその重荷を背負わせないようにしようとでもいうかのような、恐怖の欠片もない笑みを、シャーロットは今でも覚えている。
それと対照的な今回。シャーロットが伸ばした手の先には、望まぬ「死」を予感した絶望の顔があった。
フラッシュバックした視界に、その少女の顔が映る。髪をもてあそぶ湿った空気、夕方の燃えるような西日、廃棄ガスの混じった空気。シャーロットの手から、少女の手が、命が、滑り落ちる。それから、ゆっくりと彼女は遠くなっていき、地面に真っ赤な大輪が咲き、少女は動かなくなった。
「あ、ああ、あああああああああッ」
落下していたがれきを蹴り、シャーロットは近くの床へと着地する。握りしめた拳を、何度も、何度も地面に打ち付ける。
皮膚が裂け、血が流れだし、骨が悲鳴を上げる。
ただ、何度も、シャーロットは拳を地面に叩きつけた。
自分の無力さを噛みしめ、過去の弱い自分を呪い、今の弱い自分を呪う。
闇の中、シャーロットの左手の甲の紋様だけが、怪しく光り続けていた。
「……?」
トカゲのアジトから出たシャーロットは、その入り口にいるはずのセオドアの影を探すが見当たらない。
「帰ったのですかね……?」
——何かが、おかしい。
シャーロットが周囲を見回すも明確な違和感のもとは存在せず、けれど危険察知スキルがわずかに反応を見せていた。
貧民街の一角。朽ちかけた小屋が乱立し、汚物が道に散乱し、悪臭が立ち込めるその場所。家の軒下や路肩、小道には座り込む者の姿が散見されるはずで。
「いない?人が、一人も?」
シャーロットの探知範囲には、ただの一人も存在しなかった。まるでここら一体から逃走でもしたようで、貧民街という場所で磨かれた危機を予感する力が彼らを逃亡せしめたのだとしたら、その原因は先ほどのシャーロットとドールの戦闘か、あるいは——
「ッ、な⁉」
突如、シャーロットの視界が消え去った。否、正確にはシャーロットが発動していた探知魔法が何らかの理由で制御不能となり、魔力による周囲の把握がかなわなくなった。
突然の出来事にシャーロットがうろたえる中、いくつもの魔法がシャーロットへと飛来する。魔法の存在を感知できないシャーロットは、けれど警鐘を鳴らす危険察知スキルから現状を予期、即座に何らかの攻撃を迎撃しようと魔法を発動する。
だがシャーロットが放出した魔力は探知魔法同様、強烈な力に引っ張られて空気中へ霧散した。
火球、火の矢、風の刃。いくつもの魔法がシャーロットに襲い掛かり、着弾する。
「~~~ッ⁉な、にが⁉」
探知魔法の制御不能と突然の攻撃、魔法の不発。突如積み重なるおかしな現象は、明らかに敵の存在を示唆していた。
(どうする⁉周囲の把握なしに戦うのは不可能。けれど……ッ)
風を切る飛翔音。
シャーロットが即座にその場から跳び退けば、着弾した魔法攻撃が石畳を吹き飛ばす。石の破片が体を襲う中、ゆっくりとこちらに近づく複数人の足音がシャーロットの耳に届く。
「……シャル、ちゃん」
(ラナ、さん?何が——)
「逆賊シャーロット・ヴァン・ガードナー。貴様を王都ガーゴイル襲撃事件、および吸血鬼事件の容疑者として捕縛するッ」
「な⁉」
予想外のその言葉に固まったシャーロットは、パクパクと口を開閉する。シャーロットは、アドリナシアの王都を——王都に住む顔見知りを守るために戦った。ガーゴイルとも、吸血鬼とも、傷つき、死闘を繰り広げ、犠牲を出しながらもなんとか撃退・討伐した。
「ふふ、はは、はははははッ」
その仕打ちが、その末路がこれかと、シャーロットは笑う。もはや自分の本名——昔の名前が知られていることも、シャーロットはどうでもよかった。ただ、すべてがどうでもよくなったシャーロットは、その手を顔へと近づけ、目隠し布をはぎ取る。
「何がおかしい⁉」
「は?たかが十歳に満たない子どもを捕まえて、ガーゴイルと吸血鬼によって王都壊滅をもくろんだ犯罪者だと、そういうおつもりですか?冗談が極まっていますよね」
「ッ、他国の間者の言葉に耳を貸すなッ、月影、魔法師団、用意……化け物がッ」
ゆっくりと瞳を開いたシャーロット。その赤い瞳に、その場の空気が凍り付く。記憶に新しい吸血鬼と同じ色の瞳で、腐ったラーデンハイド王家の血をひく証明であるその色に、指揮官の男は恐怖し、あるいは憎悪する。
シャーロットの視界は、何やら水晶つきの高さ三、四十センチメートルの何かを持った「クソッタレ」一行四人と指揮官らしき男、それから「黒ウサギ」の一員かつ第四王女のミーシェ、アドリナシアの第二王子リオナイト、そしてシャーロットを四方から取り囲む黒ずくめの騎士とその奥に控える魔法師団の姿を捉える。
王族二人の存在が意味するところは、その死をもってシャーロットを地の果てまで追い詰めよという意味だろうか。
「……だから、他人など信用してはいけないのですよ」
他人など——自分以外など、決して信用ならない。信用してはいけない。
吐き捨てるようなシャーロットの言葉に、ラナが、キドが、あるいはミリーサが顔をゆがませる。
シャーロットは、人間不信ではない。何度傷つけられても、何度絶望しても、シャーロットは人間すべてに不信感を抱けるほど、心が壊れていなかった。いつだってシャーロットは「信頼」を欲していたし、信頼せずにはいられなかった。
だから、「クソッタレ」にも「黒ウサギ」にもアリスにもオスカーにも、シャーロットは初対面から関わりを断つようなふるまいはしなかった。
すべての人間が悪であるわけではないのだ。すべての人間が、シャーロットを裏切り、傷つけるわけではないのだ。人間の中には、たとえ一人であっても、シャーロットの味方になってくれる者がいるはずだから。——地球で、シャーロット唯一の親友であった少女のように。
「……私のために、わざわざ破魔結界まで持参したのですか。それ、王城の謁見の間にあるものですよね?」
ゲームでも登場、その絵が少しだけ描かれていた破魔結界。それはアドリナシアの王城、その謁見の間の玉座に備え付けられた魔道具で、謁見の間での魔法発動を封じるもの。それに、キドが持つ魔道具は酷似していた。
(……であれば、使えるのは体外に魔力を放出しないスキルのみのはず。魔法は不可、左手が呪いで負傷中……厳しいですね)
今目の前にいるのは、シャーロットの敵だ。配慮などいらないし、している余裕もない。皆殺しは不可能、なら、取れる選択は逃走か状況の打破——




