170不幸少女と王都への帰還1
新章開始。今後も毎日投稿が続きます。
翌朝、早くに目覚めたシャーロットは隣で眠るアリスを起こさないように、静かに出発の準備を始めた。といってもすべきことはそこまで多くなく、シャーロットは一階に降りて朝食をとる。
「昨日は娘がすまなかったね」
「いえ、構いませんよ。しばらくは眠るときにうなされるかもしれませんが、そのうちに記憶も薄れていくと思います。最も、あの子は強いですし、もう大丈夫かもしれませんが」
頭を下げるアリスの母に、シャーロットはかぶりを振る。昨日はぐっすり眠れたのか、彼女の顔色はずいぶんよくなっていた。
「本当に、アリスが帰ってきたんだね……。もう、二度と会えないかもしれないと思って、覚悟を決めていたのに……いや、覚悟を決めようとして、できずにいたのに……。本当に、シャルさんにはなんとお礼申し上げたらよいのか……」
「構いませんよ。もともと、私が気まぐれで起こしたことですし、そんなにかしこまられたら私の方が申し訳ないですよ」
そう、シャーロットがアリスのことを救出に向かったのは、ほんの気まぐれのようなものだった。ただ、アリスに会いたいと思い、アリスの行方が分からないことを聞いて、彼女が理不尽にさらされているかもしれない。そう聞いたらいてもたってもいられなくなっただけで。
シャーロット自身、いまだにアリスを助けるために死地に飛び込んだ自分が理解できていなかった。
「また、いらしてください。アリスもそれを望んでいるでしょうし、私たちもこのまま二度と会わないというのは心苦しいですから」
「そう、ですね。またいつか……」
未来は、わからない。けれど、そんな日がまたくればいいと思いながら、シャーロットは最後のパンの切れ端を口に放り込み、席を立った。
結局、シャーロットが宿を出発するまで、アリスが目を覚ますことはなかった。連日の行軍で体に疲労が蓄積していたのは明白だったのだ。活動し始めた住民の姿が目に付く中、シャーロットは街を進む。行きかう人々の顔には、笑みが浮かんでいた。すでに盗賊壊滅の報は街に行き渡っており、不安が解消された人々は、今日も仕事に精を出す。
「シャル、さん!」
どたどたと慌てた足跡と共に、シャーロットを呼ぶ声が響く。振り返ったシャーロットは、まだ少年の域を出ない人物が、息を切らしてこちらに走り寄ってくるのを捉えた。
「……トレビアさん」
「はぁはぁ……シャルさん。おはようございます。まずは、これを」
差し出された革袋には、いくつもの金貨が入っていた。
「ああ、そういえばそんな約束をしていましたか」
シャーロットが偶然遭遇し助けた四人。そのうちの二人がシャーロットから武器をかすめ取ろうとする際、トレビアはシャーロットに自分がその武器と、それから護衛料を払うと宣言していた。だが——
「少し、いえ、かなり多くないですか?」
「護衛料には色を付けました。それから、一つお願いがあります。私を、王都まで連れて行って、国の重鎮につてがある人に紹介していただけませんか?私には、使命があるんです。どうか、よろしくお願いしますッ」
「……この街から、王都までの護衛依頼に、人の紹介、ですか……」
シャーロットはしばらく悩み、頭をひねる。冒険者ギルドを通した依頼では、ギルドは依頼者と冒険者の間を取り持ち、依頼料の未払いや冒険者側の契約無視などを取り締まる。その分ギルドは、依頼料の一定額を仲介料として得るのである。
このシステムは依頼側と冒険者側の信頼関係を必要としないが、二者の間に信頼関係が成立するのであれば、冒険者ギルドを通さない依頼の方が金額は低く済み、そしてより迅速な行動が可能であった。
両者それぞれにメリットがあり、そして今回はトレビア側が依頼料を前払い、つまりシャーロットを信頼しているという宣言をして見せていた。依頼の押し付けとも取れなくなかったが、シャーロットもまた王都へ行く理由があり、そのついでに依頼を受けてお金を稼ぐというのは、決して悪い話ではなかった。問題は、護衛に付随する部分である。
「国の重鎮にアポを取りたい理由というのは?」
「お話できません。ただ、私は、一刻も早く情報を届けなければなりません。……どうか、どうかよろしくお願いします」
必死に頭を下げるトレビアに、シャーロットはどうしたものかと首をひねる。無茶苦茶な依頼ではあるが、その重要性は高く、そしてこの依頼を自分が受けなかった場合、トレビアが危惧しているであろう最悪が、この国のシャーロットの知人に襲い掛からないと断言できない。
(……重鎮へのつて?貴族……あー、当てがないこともありませんが。あまり借りは作りたくないのですが……さて)
「条件があります。王都への護衛は引き受けますし、私の知人の、貴族につてがありそうな人に紹介はします。けれど、その人のつてがどれほどのものか私は知りません。その人がこの国の重鎮に話を回せなかった場合も、依頼達成という扱いにさせていただきます」
「……はい。構いません。もとより、そちらはできればの話です。無理だった場合はこちらで何とかします」
「では、契約成立ということで」
一人気ままな王都までの帰路は、思わぬ同行者を連れたものとなった。
朝一の街から出発する者は意外と多い。傷みやすい食品などを扱う行商人は早朝、門が開いてすぐから順次街を後にするし、冒険者たちも日が昇っている内に依頼を達成しようと、朝に街を出発する。そうした人たちが街の外に出ようと長蛇に並ぶのが、日が昇ってすぐという時間だった。
朝一というには少し遅めの時間である今は、けれどそのラッシュを回避しようとしたらしい比較的時間や金銭面で余裕のある商人や冒険者が門に短めの列を作っていた。
シャーロットとトレビアもまた、その最後尾に並ぶ。
背後を振り向けば、どうしてかひどく懐かしさを覚える街並みが広がっていた。長い間滞在したわけでもないそこに、けれどシャーロットは自身が不思議と街に愛着を抱いていることに気づいた。
あるいは、それは街に住む特定の誰かに向けた感情かもしれなかった。
門の方へと顔を戻す。
心残りはなくて、寂寥など感じる必要もなかった。愛着などわいてはいけないと、感情を押し殺す。
人とのつながりを積極的に維持しようとは、シャーロットには思えなかった。
いいんですか、とトレビアが横目でシャーロットに語る。
シャーロットは何も答えず、ただ前に並ぶ行商人、その馬車の積み荷の一つからわずかに顔をのぞかせる真っ赤なリンゴを見つめる。
馬が啼く。列が進む。
街から出る時は、入場時より簡素な確認で終わる。十組に満たない行列はあっという間に消化され、シャーロットもまた街の外へと一歩を踏み出し——
「シャルお姉さんッ」
声が聞こえた。シャーロットを呼ぶ声が。
振り向くことはなく、けれどシャーロットの足はまるで地面に縫い付けられたように動きを止める。
ヒヒン、と馬が嘶く。
通行妨害をするシャーロットへ、次に街の外へと出た商人が罵声を浴びせる。
言われるがまま馬車の進路から逸れれば、その顔が目に入った。
まだ半分ほど閉じた目、その端に涙を浮かべる少女が、寝間着姿で門の向こうからシャーロットの名を呼んでいた。
「ありがとう、ございましたッ」
大きく手を振られる。
それに、シャーロットは答えない。ただ背を向けて、歩いていく。
ニヤニヤと笑みを向けるトレビアに、シャーロットは冷たい視線を送る。
大きく息を吐きだす。体の内に広がる熱を吐き出すように。
見上げる空はどこまでも晴れ渡っていて。
顔の火照りが消えるまで、目尻ににじんだ涙がこぼれ落ちないように、シャーロットは上を向いたまま街道を進んだ。
「………?」
恩人の姿が遠くに消えていく。その背中を、アリスはじっと見つめていた。
門の端、ぎりぎりのところまで進んで、彼女は手を振り続けた。溢れる感謝の念を胸に。
同時に、胸の中でチクリと痛みが走った。
目をこする。
やっぱり、それは消えていなかった。
「いうべきだった、よね……?」
遠くなるシャーロットの背中。その体に重なるように、あるいは体の上に浮くように、シャーロットの魂をアリスは見る。
それは黒目黒髪の、シャーロット本人の体とは似ても似つかぬ容姿をしていて。
けれど何より異常なのは、その魂に欠損があったことだ。
顔半分、片目を中心としたあたりにぽっかりと空洞が開いていて、まるで虚ろのように不気味だった。時折揺れるその境界は少しずつ幅を広げて、シャーロットを飲み込んでいるかのようだった。
そして、虚無の暗闇の先に、赤と白の光がのぞいていた。
不気味にうごめく赤の光、そして、髪の動きと連動する白。
見たことのない魂に、見たことのないそのありように、アリスは答えを持たない。
ただ、その事実を胸の内にしまって、アリスは門に背を向けて歩き出す。
二人の道が再び交わるかどうかは、神のみぞ知る——
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