167不幸少女と街への帰路
翌日。シャーロットは体に鞭打って回復した魔力で左腕を癒し、その結果にほっと息を吐いた。魔石化していた左腕は再び生えてこないなどということはなく、自己治癒スキルで回復すれば元の健康な状態に戻っていた。
その代わりに腕一本はやす魔力の大量消費で体の魔石化していた部分は広がり、さらなる苦痛が待っていたが、少なくともこれは悪くない結果だった。症状がおさまるまで耐えてしまえば、もしもの場合は石化した部分を切り落としてから自己治癒スキルを発動すれば完治できるということが判明したのだから。
「オスカーさん、右前方から狼型五体、ワキさん、後ろから蛇型一体来ますッ」
「承知ッ」
「おう、任せろッ」
十数人の集団が街を目指して進む。シャーロットが探知に専念し、残りの三人で魔物を斃す戦闘スタイルは、休憩が取れないという点以外は安定していた。夜の見張りという課題もあったが、少なくともシャーロットの索敵によって彼らは集中力が切れるのを遅らせ、一方のシャーロットも体の状態の維持ができていた。
「あの、オスカー、さん……お話があり、ます」
本日の野営地。
魔物肉の串焼きを食べ終え、一日歩き通しだった者たちは、慣れない移動ゆえ早々に力尽きて眠りに落ちていた。そんな中、真剣な顔で口を開いたアリスへと視線を向け、オスカーは二人で話をしてくると告げて木の陰へと入っていった。
「……あと四日くらいか?」
「ああ。予想より歩くペースが遅い。敵拠点が壊滅したという情報は、味方の気を緩める原因にしかならなかったか」
「まあ、ぎすぎすした雰囲気よりはよほどいいですよ。背後から刺されるのや、守ってもらえて当然と思って威張り散らされるのは堪りませんから」
シャーロットら三人は、焚火の火を観察しながら会話を続ける。そんな三人のすぐそばでは、やはりどこか遠慮のある薬剤師のマイケルと、魔道具師見習いのトレビアがいた。
「お二人もお早めに眠ることをお勧めしますよ。いつ何があるかわかりませんからね」
当初考えていた、全員で夜の見張り番を回すという計画はとっくに破棄されていた。というのも、戦闘未経験者が警戒したところで、魔物の接近に気づくことなどできないことに気がついたからだ。狼タイプなど組織的行動あるいは威嚇のために声をだす魔物であれば、気づくことはできる。最悪の場合は、隠密行動に長けた魔物が見張りの認識をすり抜けて襲撃することだ。
パニックになった先は、この集団の崩壊であり、戦闘未経験者が散り散りに逃げ出して魔物の餌になる未来しか予想できない。
「いえ、その……」
トレビアはちらりと隣に座るマイケルの顔を見上げる。マイケルはがりがりと髪をかき、それから彼の視線に応えるように口を開いた。
「俺たちにも何か手伝わせてほしい。さすがにこのままおんぶにだっこで街まで送ってもらうというのは気が引ける」
マイケルの提案に、シャーロットたちは顔を見合わせて話し合う。
「いいんじゃねぇか?実際、やることがないわけじゃねぇんだ。明日の行軍に支障がない範囲ならいいだろ」
「そうだな。薬剤師と魔道具師見習い、か。薬の調合……は材料がないか。魔道具は持ってないからなぁ」
「んー、夕食の用意を手伝ってもらえればよかったですかね……ああ、マイケルさん。お聞きしたいことがあるのですが」
手伝いをしてもらうことには賛成だが、あいにく即座にしてもらいたいことが浮かんでこなかった三人。シャーロットはふと思い至ったことを尋ねようと、マイケルの方に顔をお向けた。
「俺にわかることであればなんだって答えよう」
「魔力蓄膿症の、治療薬を知りませんか」
予想外の質問にマイケルは固まり、それから小さく首を横に振る。
「わからない。魔力蓄膿症の治療は、魔力を使わず安静にしていることだけとされている。周りの人間に知らせることもせず、静かに宿に引きこもるのが最善だ。……間違っても周りにばれるような行いはするなよ?面倒な連中が群がってくるぞ」
想定していた回答にうなずき、シャーロットは今後のことを考え始める。
一方マイケルは、シャーロットの体をざっと確認し、それから片腕の欠損だけではなかったのかと、内心シャーロットの状況の悪さに息を吐いた。こんな小さな少女にこれほどまでに不条理を課すのか——
取り立てて反教会派というわけでもないが、この時ばかりは神を軽蔑せずにはいられなかった。
(念のためにアルバート・クレイモアにも聞いておきましょうか。元宮廷薬剤師副所長の彼なら、その手の知識があるかもしれませんね。魔力が多い者の血を取り込んできた王族にとって、魔力蓄膿症に関連する問題は非常に大きいでしょうからね。研究はされているのではないでしょうか)
廃墟に住み着いた亡霊研究者に確認を取ることを決める。
「さて、それじゃあトレビアさんには、これらの魔道具の効果を調べてもらいましょうか。マイケルさんには調合をお願いします」
空間魔法を発動し、収納から無造作に魔道具やしなびた薬草類を取り出す。その光景に四人があんぐりと口を開いていて、それからシャーロットは自分の失態に気づくもすでに遅かった。
頭痛や体のあちこちの痛みに意識の大部分を持っていかれていたシャーロットは、彼らの前で空間魔法を使ってしまっていた。これまで面倒ながらもわざわざ空間魔法を見せないように気を付けて来たのに、そのすべてが水の泡であった。とはいえ——
「……ま、まあ、今になって思えばだが、気づけるところはいくつかあったな。あの量の爆発物をどこから出したかだとか、爺さんの武器の予備を、明らかに長さが足りないだろうカバンから出したことだとか……ああ、いや、誰かに言いふらしたりはしないが……そうか、空間魔法か」
「俺は魔法がさっぱりだからよくわからねぇが、すげぇ魔法なんだろ?気を付けろよ」
「な、何も見ませんでしたよ?ええ」
「命の恩人の不利益になるようなことはしない。この秘密は墓まで持っていく」
ワキ、ヴィッツ、トレビア、マイケルが口々に告げる。彼らの言葉を受け、シャーロットは空間魔法に対する認識レベルを上げた。思っていた以上に、空間魔法が使えるということは大きいらしかった。
「ッと、二人が戻ってきますか。まああの二人にばれても今更な気がしますし……とりあえずトレビアさんは、魔道具の効果を調べて、できれば索敵系か結界系の魔道具を見つけてください。マイケルさん、それで回復薬の調合は可能ですか?あいにくこの場に道具はありませんが……」
「わかりました。けれどこれって……」
「道具は土魔法でガラス器具を作ればいい。材料は多少古いが使えないことはない」
「その魔道具は敵の拠点からかっぱらってきたものですよ。いくつかの魔道具は溶けてヘドロのような塊になっていましたが、無事なものもありましたからね。できれば街に着くまでの夜番を楽なものにしたいですから、よろしくお願いしますね。マイケルさんも、よろしくお願いします」
自分の分野の技術を求められ、目の色を変える二人。似た者同士であった。
「ん?まだ起きておったのか。交代組はさっさと寝に行かんかい」
戻ってきたオスカーは、いまだ起きている早朝見張り組のワキとヴィッツに眠るよう急かす。オスカーの眼光に震える彼らは、無駄口をたたきながら近くの木陰で横になる。
「……能力を隠すのはやめたのか?」
ぱちぱちと火の粉がはぜる中、シャーロットはオスカーのその声がやけにはっきりと聞こえた。オスカーと一緒に戻ってきたアリスはすでに寝息を立てていて、起きているのは四人だけ。そのうちマイケルとトレビアは、与えられた仕事に夢中で話が耳に入っている様子はなかった。
「ミスです。けれど、いつまでも力を隠し続けられると思ってはいませんから。すでにある程度の数の人間は私が異常であるということに感づいているでしょうし、秘密が漏れるのは時間の問題でしょうからね。露呈を恐れて全力を発揮できないというのは本末転倒ですし、何より、私が悪意を跳ねのけられる、または悪意から逃げ切ることができるまでの時間稼ぎ程度にしか考えていませんでしたから」
「空間魔法は、思っているよりもずっと貴重なものだ。理解しているのか?それに、近寄ってくる者すべてが敵に見えるようになるかもしれん。待っているのは疑心暗鬼の日々じゃ」
「正確にわかっているとは言えませんが、その有用性は身に染みていますよ。それに……他人が信頼できる存在だとは、端から私は思っていませんよ。人間は、自分のためなら容易に裏切り、他者を害する存在ですから」
諦観しきったような声音に、今度こそオスカーは何も言うことはなかった。
森の中。二人の間の静寂の間に、パチッという火の粉がはぜる音が響いた。




