161不幸少女と異形の者1
「ッ⁉」
それに気づいたのは、少女と向き合うオスカーより、少女本人より、わずかにシャーロットが早かった。魔法の維持に必死だった少女は、目を見開くオスカーの様子にわずかに疑問の感情を抱きながら、その胸を真下から迫るどす黒く染まった鞭に切り裂かれる。
夜の闇に紛れ、音より早く進んだ鞭は少女の胸から鮮血を散らし、そして胸元に入っていた薄汚れた巾着をからめとった。
「かはッ」
「ははははははははははッ」
少女が血を吐き、地面へと斜めに滑り落ちていく中、周囲一帯に哄笑が響き渡った。
「私が、私があのお方に与えられた任務を失敗するなどぉ、あってはならないのですよぉ。私は、あのお方に認められたのですからねぇ?あのお方の手によってぇ、生まれぇ変わったのですよおぉぉぉォォォォォッ」
周囲の壁がドロリと溶けて崩れ落ちていく中、狂気に染まった女のどす黒い声が響く。
少女から奪い取った何かをつまみ、月の光にかざす。それから、満足そうに頬を緩め、女はそれを一息に飲み込んだ。
ボコ、ボコと女の両腕が、胴が、脚が、頭が肥大化していく。闇に包まれるように、赤みを帯びた黒に染まった女は、空に向かって吠える。
「……なんです、あれ?」
「わしに聞くな。どうせろくなもんじゃないわい」
「……二人とも、冷静すぎやしないか?よくそんなのんきでいられるね」
「のんき?まさか。さっさと逃げ出したいですよ。こんな狂気を叩きつけられていてはね」
重く、粘り強く、肌にまとわりついてくる殺気に、シャーロットは女から顔をそらすことなく静かに告げる。その語尾は上ずっていて、けれどその場にいる全員が、シャーロットの様子を気にしている余裕などなかった。
体の奥から気泡が噴き出し、体表ではじける。強烈な腐敗臭が周囲に立ち込める。
思わず顔をしかめるシャーロットたちに、その黒い化け物は口をゆがませ、真っ赤な口内をのぞかせ、走り出す。
向かうのは——だいぶ数を減らし、けれどまだ残っていた実験体のなれの果て。少女の魔法によるコピーではない本体。それに対して化け物は牙をむき、その体にかじりついた。
バキ、ベギ、と骨をかみ砕く音が響く。口元を血で真っ赤に染めたそいつは、次の獲物を求めて走り出す。
「……なぁ、逃げないか?」
それから目を離すことはなく、けれどヴィッツが恐る恐る提案する。
「無理だな。今も肌に殺気が突き刺さってるからな。おそらく、逃げようとした瞬間、一飲みにされる。あの速度じゃかわせるかもわからねぇ」
一瞬。闇に紛れるように、されど盛大な踏み込みで飛び出した怪物が、新たな獲物の腹に両腕を突き刺し、持ち上げ、真っ二つに引き裂く。全身に鮮血を浴び、狂ったように叫ぶ化け物は、それからニタニタと笑みを浮かべながら、シャーロットらの方へ振り向いた。
「嗤っていますね………ああ、腹が立ちます」
脳裏に響く誰かの哄笑と重なり、シャーロットは嫌悪感をあらわに顔をゆがめる。そんな反抗的な雰囲気をまとったシャーロットが不快だったのか、化け物は脚に力を入れ、一直線にシャーロットへととびかかった。
『ヒェヒェヒェヒェヒェ?』
地面へと倒れこむようにして突撃を交わしたシャーロットは、けれど化け物の腕に足がかすり、ゴロゴロと勢いよく転がる。
(予備動作が大きい。見ていれば躱せる。問題は、攻撃が通じるかどうかッ)
「おい、大丈夫か『アースニードル』ッ⁉」
慌ててシャーロットへと駆け寄ってくるワキになど目もくれず、シャーロットはすぐさま魔法を発動する。化け物の肥大化し続ける腹部へと迫る土の針は、けれどその体表にあたってへし折れた。
「……効きませんか」
「はぁ、心配するだけ無駄だったか……」
「心配?それは自分の身にすることをお勧めしますよ。ほら、来ますッ」
狙いを定められたシャーロットのそばによることがどれほど危険な行為か。自殺と取られてもおかしくないような思慮のかけらもない行動を自分がとっていたことに気づき、ワキはシャーロットの言葉の意味を理解すると同時にその場から飛びのき、化け物の移動の余波により飛来したがれきがぶつかって吹き飛ばされる。
周囲を飛び回る羽虫のような不快さを感じたのか、化け物は二つに分かれた計四つの目のうちの一つをワキへと向け、そして口から長い舌を飛ばした。
「なめるなよ。貴様程度わしに切れんことはないわいッ」
鋭い舌先は、ワキの体を貫かんと迫り、そしてその射程上に飛び出したオスカーによって叩き切られた。
『キエェェェェッ⁉』
「なんじゃ、案外脆いの。先ほどの壁の方がよほど張り合いがあったわい」
「そりゃあっちは切れなかったからなぁッ」
変貌を遂げて初めて感じる痛みに絶叫する化け物の腹に、ヴィッツの拳が突き刺さる。
ドゴッ、と重い音を響かせ、化け物の巨体がわずかに宙に浮く。
「おいおい重ぇなぁッ⁉」
踏ん張る両足が地面を滑り、ヴィッツは化け物の腕の振り下ろしを避け、背後へと飛びのいて腕を回す。
ジロリ、と血走った灰色の瞳がヴィッツをとらえ、けれど自分の身に迫る危機を直感しその場から飛びのく。
化け物がいた場所に斬撃が突き刺さり、飛びのいた先には、シャーロットが火魔法を叩きこむ。肌を焦がしながら炎の中から顔をのぞかせるそれに、オスカーの連撃が届く。
一撃目が、腕を切り落とし。
二撃目が、胴を断ち。
三撃目が、頭部を縦にかち割った。
拍子抜けというように地面に崩れる化け物の様子を眺めるワキらに対して、魔力が霧散していかないことに気が付いていたシャーロットは逆に気を引き締めて追加とばかりに火魔法を放つ。
魔力変換によって威力の跳ね上がった炎は肉片を焼き尽くしていき、けれどそれ以上の速度で肉片の内から肉が隆起する。
(これは、魔力が増大していく⁉いや、周囲の魔力を吸収している?)
ゴウ、と化け物へ向かって風が吹く。空気を飲み込むように強風が化け物へと吸い込まれていく。シャーロットの探知魔法には、その化け物の存在感が——魔力が膨れ上がっていくのが、はっきりと手に取るように分かった。




