117不幸少女と最後の関門
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(これは、まずいですね。完全に身動きを封じられましたか。この状態で進むか否か——進みますよね。このまま危険地帯で立ち尽くすのは何の解決にもなりませんし、それに私を呼ぶ声がしますからね)
声など聞こえはしない。だが、その悲痛な叫びが、嗚咽交じりの声が、シャーロットの耳朶にこびりついて離れなかった。呪いのように脳内で繰り返される言葉を振り払い、シャーロットは暗闇の中一歩を踏み出す。
ぴちゃん。どこかで水が跳ねる。一応空気を循環させる気は合ったらしく、何処か遠くへ向かってわずかな風が吹く。からんと小石が一つ転げ落ちる。
ゆっくりと前に進んでいたシャーロットは、危険察知スキルの反応が止んだことに気付き、探知魔法を再開、それからゆっくりと耳から手を離した。
「——洗脳……いえ、廃人化魔道具、魔力干渉ともに問題なし。……ですが、これはひどいですね」
目の前に広がる、地雷原すら可愛らしく思えるような殺意が可視化していそうな通路。床にも、壁にも、天井にも、あちこちにおかしな魔力反応があり、そしてその間を縫って誘うように何の違和感もないか細い道が続いていた。
その一直線の通路の遥か先、シャーロットの探知範囲ギリギリのところに、目的の場所へと続く扉があった。
「この何もなさそうは細い道は明らかに罠でしょうね……というか、屋敷の元主はこの道を余裕で通り抜けるわけですよね。何か抜け道か対策があるのでしょうが……はぁ、仕方ありませんか」
先ほどより幾分か大きくなった少年の声を聞き取りながら、シャーロットは小さく溜息をこぼし、魔力を練り上げていく。
「上の孤児院にどれだけの影響があるか……ああもうッ、後悔なら後でいくらでもしてやりますよッ」
変質させ、効果を引き上げられた魔法が発動される。それは、これまでシャーロットが何度も試みて失敗してきた魔法であり、そして見るだけとはいえ少しの進展があった、空間魔法。
空間把握、空間固定、空間断絶、空間転移——
ドランザに見せられたいくつもの妙技、その一つ。空間転移。
暴れ、ゆがむ魔力を気力で抑え込みながら、シャーロットはイメージを確実なものにしていく。
とはいえ、シャーロットがやろうとしているのは不完全なそれである。つまるところ、目の前の空間にある物全てを「収納」してしまう、ただそれだけの事。
言葉にすると容易く、だが生半可なモノではないが、ドランザに見せられた魔法は、確かにシャーロットの中に宿っていた。
(ドランザさんが私の短刀に触れることなく、収納の扉に放り込むのでもなく、一瞬の内に収納にしまって見せたように——目の前のすべてを、空間ごと放り込むッ)
「~~~強制収納ッ」
荒れ狂う魔力が渦巻き、それはシャーロットのイメージに沿って動き出し、現象へと変換されていく。四方から風が流れ込むその中心は、恐ろしいほどの魔力の塊が発生、そこを中心として少しずつ世界が歪んでいく。
渦を巻いて、飲み込む——それはブラックホールのように貪欲に、世界を削り取っていった。
ふっ、とほんの一瞬。とシャーロットの気が揺らいだわけでもなく、けれど完璧だったはずの魔力操作は、真っ黒な手袋で覆い隠されたシャーロットの指先、そこから流れだす魔力に生じた些細な誤差により、その効果を変動させる。ゼロに限りなく等しい時間の中で、魔力の渦はわずかに効果範囲を広げ、シャーロットに襲い掛かった。
ずるり、とシャーロットの腕を飲み込み、押しつぶしながら、空間は少しずつ収縮、痙攣を繰り返し——やがてシャーロットの目の前には何もなくなった。
静寂と、それから下部の支えがなくなったことで滑り落ちる土砂と土煙の中。シャーロットはずるりと崩れ落ちた。
「~~~~~~ッ⁉」
無、それからカッと熱を帯び始め、荒れ狂う痛みという刺激がシャーロットの脳を揺さぶる。カチカチと目の奥が点滅し、全身から汗が吹き出し、頭痛は止むことはない。だが異常なほどにシャーロットの脳は冷え切っていた。
それは、ガーゴイル戦で感じた、腹部に攻撃が突き刺さった時の比ではなく、だが、その傷そのものは奈落で負った腹部の傷の方がよほど広いものであった。
強くなった代わりに痛みに弱くなったのか、それとも敵がいない戦闘とも呼べない状態であったためにアドレナリンが出ておらず感覚が麻痺していなかったのか。
これまでにない痛みにシャーロットは泡を吹き、地面をのたうち回り、けれど気絶することも死ぬこともできずに苦しみ続けた。
ガスッと鈍い音が闇の中に木霊する。
それは、シャーロットが地面に思いっきり拳をぶつけた音であり、シャーロットの手からは骨が折れる嫌な音が響いた。
別の部分の痛みに気をそらす粗治療とも言えないような悪あがきは、けれどシャーロットの思考にごくわずかな余裕を生んだ。
(自己治癒————)
ゆっくりと痛みだけが引いて行き、けれど肘から先の無い右腕には熱だけがこびりついていた。
「短刀は……ああ、そういえば置いてきてしまいましたか。まあいいですか。幸い今はお金に困っていませんし、先に進みましょうか」
残り少ない魔力で止血だけ終え、シャーロットはすぐ目の前の扉を開く。
そこはゲームにも登場した風景そのままで、けれどシャーロットは何の感傷にも浸ることなく、元公爵家の財産が収められた小箱をひっつかみ、収納へと放り込む。収納へと放り込む際、またしても左の指先がぴりりと痛んだ。
「……さて、無事に——かどうかはわかりませんが、罠エリアを抜けたここらはおそらく居住スペースのはずです。実に運のいい少年らですね。正規ルートを辿っていれば、間違いなく死んでいたでしょうに……いえ、今も三人中二名の状態はあやしいのでしたか?急がなければ……」
——なぜ見ず知らずの他人のために自分が傷つかなければならないのか?
胸の奥底から沸き起こる感情を押し殺しつつ、シャーロットは血液不足でふらつく足を一歩、また一歩と進めて、とうとう声の主のもとまでたどり着いた。




