黄泉と現世
本日、私は死にました。
生前は死は恐怖の象徴的な印象だったが、いざ当事者になってみると何のことはない。
気がついたときには生前とさほど変わらない感覚で、和式の葬儀場の様な場所に佇んでおり、死んだといいう実感だけは不思議と持っていた。
そこは葬儀場と温泉旅館を足して2で割ったような雰囲気で、和室の上座と呼ばれる側が1段高くなっており、そこに自分のものと思われる棺桶が鎮座していた。
下座には旅館の大広間の様に長机と座椅子が並べられており、そこがこちらから見た現世になるのだろうと容易に想像がついた。
とはいえ、そこに現世との境界線があるだけで、死後の世界が生前見えなかったように生前の世界の様子がこちらから見えることはないらしい。
棺桶の奥に目を向けると、奥に玄関があり、玄関扉の横の窓から外が雨であることが確認できた。
自分の棺桶に腰掛けて外をぼーっと眺めていると、70~80歳ぐらいだろうか。
博識で温厚そうな老人が現れて私の隣にゆっくりと腰掛けた。
彼によれば、死ぬと四十九日を過ぎるまでは現世と黄泉の間であるこの場所を宿泊施設のような形で利用して現世にとどまるらしい。
もっとも、君より少し早くこちらに来てここの従業員に話を聞いた受け売りだがね、
といって彼は笑っていた。
それからしばらく話しているとぞろぞろと棺桶を囲むように人が集まり始めた。
みな、私より先にこちらに来ているからだろうか。
穏やかに生前の話や死んだ経緯を語り合い、談笑している人すらいた。
40代以上の年齢層が大半を占める中、30代ぐらいの父親と娘の姿があった。
父親の話によると、彼らは一緒に交通事故に遭ったらしかった。
どう声をかけていいか分からずに困っていると彼は、
妻と別れるのはさみしいし割り切れる日が来るのかは分からないですが、今は娘だけこちらに連れてくるようなことにならなくて良かった、とも思えるようになってきたんですよ。
と少しさみしそうな顔で笑って答えていた。
それからしばらく色々な話をしながら時間を過ごし、ふと窓に目を向けると外はすでに真っ暗だった。
気がつくと先ほどの親子が消えており、どこに行ったのだろうと思いながら、何の気なしに
暗くなりましたね、
とつぶやいた。
すると途端に会話が止み、空気がピンと張った感じがした。
何事だろう、と様子を見ていると施設の従業員らしき人物が青ざめた表情で玄関に飛び込んできた。
手には先ほど父親と一緒にいたの女の子が血の気のない顔で抱きかかえられている。
しばらくの間、父親が娘を揺さぶりながら泣き叫ぶ声だけが響き渡っていた―――。
父親が少し落ち着いたところで、隣にいた博識そうな老人に、何が起きたんですか、と聞くと、次のように答えてくれた。
施設の周りには夜になると、”悪霊”と呼ばれる霊が集まる。
その”悪霊”に襲われてしまうと、今の私たちの存在そのもの、魂が死んでしまうと言われている。
だから夜にこの施設から出ることは基本的には禁止されているのだが、、、。
この子供のように無知な者や、自殺してこちらに来たような人間が夜に外に出てしまうこともあるらしい。
そう言われて怖くなり外に目を向けると、白い服の女の幽霊が恨めしそうにこちらを見ていた。
目を見開き、窓をなめるように舌を出し、アメーバのように原型のない体で窓に張り付いている。
体には所々ボロ布のように穴が開いていて痛々しい。
今回襲われた女の子は、父親が少し目を離した隙に外に出てしまい、そのまま悪霊の餌食になってしまったらしい。
彼女は苦しそうに肩で息をしていた。
博識そうな老人は女の子に向けて祈るように手を合わせながら続けた。
死後、魂が死ぬと言うことは存在そのものが消えてなくなることに等しい。
輪廻の輪から外れ、二度と生まれ変わることはできない。
もし、悪霊から受けた影響が大きければあるいは、、、。
そう話し終える前に、慌てふためく父親の横で
手遅れです。
施設の従業員がそんなことを言っていたのが聞こえてきた。
どれぐらいの時間がたったのだろう。
長い沈黙を破ったのはあの博識そうな老人だった。
彼は少し考えるようなそぶりをした後、少し口ごもりながらしゃべり始めた。
消えかかった魂と、別の魂を結びつけることで魂が消えることを防ぐことはできる。
しかし、そうして消えることを拒んだ魂は、この子を襲った悪霊と同じ存在になり果て、永遠に現世と黄泉の間をさまよい続けることになる。
結びつけは意図せず起こることもある。
辛いだろうが、そろそろその子から離れなさい。
娘から数歩だけ離れ、父親は棺桶に拳をたたきつけた。
そしてしばらく思い詰めた表情で固まった後、それでも、魂だけでも、救えるならと娘に詰め寄った。
慌てて従業員と老人が引き留めに入ったがもう遅く、その騒ぎに乗じて数人の悪霊が施設内になだれ込んできた。
辺りは混乱に包まれた。
-fin-