Episode:4 人の世と呪い
村を離れて、森の中を歩き続けてどのくらいの時間が経過しただろう。
青年が抱きかかえている幼い弟は、少しずつ命の灯火が弱くなっていく。
『人の世』の片隅、近くにある小さな国へ税金を納めることで、賊から守ってもらうようなとても小さな村で青年は生まれ成長した。
歳離れた弟と大切な両親、親しい友人達や隣人たちとずっと村の中で暮らし、いつか大切な人と結婚し、子供をもうけ、笑いながら幸せに暮らしていくものだとずっと思っていた。
しかし、そんな未来は突如として奪い去られた。
その日は日差しが暑いくらいの晴天で、青年は両親とともに畑で仕事をしていた。今年は気温が高く雨が少ない、作物はなんとか育っているが例年より売り上げが少ないかもしれないと、周りの大人達は呟いていた時、村の中へ1人の魔術師が現れた。
フードをふかく被り、ボロボロの身なりをし、フラフラとした足取りの魔術師に、村で一番腕の良い魔術師が近寄った瞬間……
「皆逃げろ!!コイツは感染型呪術を発動しようとしている!!」
そう叫んだ。
しかし、遅かった。魔術師は自らの命を犠牲に呪術を発動させた。魔術師の体は灰となって風に舞い、村全体に呪いを振り撒いた。
『感染型呪術』
『人の世』で突然出現した呪術。発動したら最後、感染した人は死に至る恐ろしい術。人間にしか解くことはできないのに、種族問わず感染する。感染すると瞳は濁り始め、死亡する直前には白くなる。その期間は約1ヶ月。老若男女、魔力がどれだけあろうと呪術を解いてもらえない限り必ず死亡する。
しかし、呪術を解こうとした魔術師は呪いを解いた代償に二次感染し、やがて灰となる。
その呪いを戦争に利用した国が過去にあるらしく、国民を含め小国が1つ滅んだと言われるほど強力で、今となっては誰も助けてくれない。
1人、また1人と村人は倒れていき、青年の両親も友人も呪いで命を落とした。まだ感染していない村人が、税金を納めている国へ助けを求めたが、救ってもらえるどころかその村人は二度と戻ってこなかった。
村が滅ぶ、青年が肌でそれを感じ始めた頃……青年の弟が呪いにかかった。
両親を失い、このままでは弟も死ぬ。そしていずれ自分も……
「村を離れれば……でも呪いが……」
脳裏には二度と戻ってこなかった村人の後ろ姿が浮かんだ。
おそらく、村を離れることで自分自身が呪いに蝕まれることはなくなるだろう。だが、呪いにかかった弟はどうなる。受け入れてくれる国どころか村はない、苦しみながらたった1人灰となって消えていく。
大切な家族を失いたくない、弟を抱きしめながら青年は弟を助ける方法を考えた時、根も葉もないがとある噂のことを思い出した。
『亜人の世にある、冷気を纏う森の番人は、全ての呪いから解放してくれる』
どういう経緯でその噂が流れてきたのかは思い出せない。だが、村から遠く離れた場所に夏場でも空気が冷たく、中を歩けば来た道に戻されると言う森があるらしい。そこが『亜人の世』のため、これ以上の情報はない。
雲をつかむような話だが、今はこの噂を信じる以外、弟を助ける術はない。
「絶対にお前の呪いを解いてもらうからな……だから、絶対に死ぬな……!!」
「……」
弱々しくなった弟は言葉を発することはなかった。けれど、抱きしめている青年の腕を強く握りしめた。
青年は持ち歩けるだけの食料と水、そして両親の形見だけを持ち、弟を連れて村を離れた。森の場所は分からなくても、『人の世』と『多種族の世』の境界線がどこにあるかは知っていたため、そこまで休むことなく歩き続けた。
他種族の世に入ってから、青年はひたすら歩き続けた。歩くのを止めたら崩れ落ちそうな足を無理矢理動かし、人目を避け、青年は森を探し続ける。
けれど、冷たい空気に触れるどころか、同じ風景が続く森の中に入ってしまったため、完全に方向感覚を失っていた。
地面に伸びた木の根に足をとられ、抱きかかえていた弟を投げ出して倒れた。起き上がろうとしても、ここで止まってはいけないと分かっていても体に力が入らない。徐々に視界が霞み始め、遠くで倒れている弟の姿が見えなくなってきた。
「だれか……おとうとをたすけてくれ……」
そのまま青年は意識を失った。
次に青年が意識を取り戻した時、最初に見たのは茶色い地面ではなく、どこかの天井だった。ゆっくりと体を起こすと、そこはどこかの一室で自分はその部屋にあるベッドに寝かされていた。視界はかすんでいないが少しぐらついている。
ここは一体どこだろう、弟は……
「そうだ、弟は!?」
部屋を見回すも、弟の姿はどこにもない。ベッドから降りるが体に力が入らずその場に倒れてしまった。ガタンッと大きな音を立てて倒れたからか、遠くから足音が走ってこちらに向かってくる。
バンッとドアが開かれ、金髪の少年と思われる子供が飛び込んできた。
「凄い音がしたけど大丈夫!?」
訂正、少年ではなく少女であった。少女は慌てて青年の方へ来れば、怪我ないかを確認する。
「良かった。無理しちゃだめだよ、お兄さん森の外側で倒れていたんだから」
「森の……外側?」
少女は青年がここまで運ばれてきた経緯を簡単に説明し、それを聞いて青年は驚いた。
ここは自分が探し求めていた冷気を纏う森で、青年と弟はその森の周辺で倒れていたらしい。
「じゃあ弟は!?一緒にいたはずの弟はどこに!?」
少女の肩を掴み声上げて言う。少女は驚きながら、落ち着いて!と叫んだ。その声にハッと我に返り、肩から手を離し謝罪する。
「えっとね、弟君なんだけど……」
「イルうるせーよ。廊下まで声が響いてんぞ」
開かれたままのドアからまた誰かが入ってくる。その姿を見た瞬間、青年は驚いた。頭部に生えた2つの角、ひきずりそうなほど長い尾、そして……畳まれた翼。
「ドラゴン……!?」
人の世ではけしてみることのない種族。おそらく擬態化しているのだろうが、図鑑でみた特徴と一致していた。
「ふーん、やっぱ人間でもこの姿じゃあすぐ気づくのか」
ドラゴンはそう呟くと、青年の元へ近づき腕を掴んでベッドの上に放り投げた。
「弟は別の部屋に隔離してある。あのチビ、感染型呪術にかかっているんだろ」
ドラゴンの言葉に、青年は言葉を飲んだ。
人の世では誰もが知る感染型呪術の存在。それを亜人の世に暮らすドラゴンが知っていると言うことは……それがどういうものなのかも知っていると言うこと。
隔離しているということは、万が一灰になっても被害がその一室で済むようにしているということ。助けてくれているとばかり思っていたが、実は死ぬのを待っているだけではないだろうか。
そんな考えが思考を停止させ、青年は何も発することができない。
さらに追い打ちをかけるように
「おおよそ、人の世の人間が解いてくれないからこっちで解いてもらおうって魂胆なんだろ。残念だったな」
「でも、うわさでは……」
「噂?」
「なんか、人の世では綿雪の森に来れば呪いが解けるって噂が出回っているんだって。リーダーも耳にしたって言ってた」
「は?なにそれ」
1人と1匹の反応を見て確信した。やはり、噂は噂だった。
感染型呪術を完全に消し去ることはできない。誰とも知らない相手に自らを犠牲にしてまで解除してくれる人間など存在しない。自身が感染する前にその土地を捨て、故郷を捨て、生き残るために移住する……それが常識なのだ。
「あ、あのね、センセーが弟君のことで話があるって」
少女は、絶望しきっている青年にそう言うと、部屋を出て行った。その間にドラゴンは何も話すことはなく、長く沈黙が続いた。
しばらくして、少女は部屋に戻ってきたが、肝心のセンセーと呼ぶ者の姿はどこにもなく、代わりに足元に灰色の毛玉が青年の方を向いていた。シンプルな見た目、真ん中に白い目。両サイドから簡単に取れてしまいそうなほど細い紐の先に丸い手と思われるパーツがついている。
「えっと……これは?」
「この子はセンセーの召喚獣みたいな存在の毛玉ちゃんだよ」
「え、召喚獣?」
『少し事情があってな。それよりも……弟はあと数日で死んでしまう』
灰色の毛玉は、ベッドの上に乗り弟の容体を説明した。方向感覚と同じく日付感覚もくるっていたため青年は弟の死期を正確に把握できていなかった。
だからこそ、灰色の毛玉の言葉に心臓が締め付けられた。
『感染型呪術の存在は、既に全ての世に広まっている。そしてそれに対処できるのは人間の魔術師のみとも。おそらく、こちらの世で探し回っても解除する魔術師はいないだろう』
「そう、ですか……」
『しかし、条件次第では俺が解こう』
「え……?」
灰色の毛玉の言葉に、目を丸くした。目の前の召喚獣の主は、弟のために自らの命を犠牲にしてくれるというのか……?
『ここで見たこと、知ったことを誰にも口外しないこと。そして、二度と人の世へ戻らないこと』
灰色の毛玉が出した条件はたった2つ。それも、故郷をすでに失っている青年は1つだけ守れば弟を助けてくれると言うではないか。
甘い話、噂以上に信じがたい話。
「どうして、そんな簡単な条件で……」
『感染型呪術には秘匿された事実がある、俺はそれを知っている。解除するよりも、俺の存在を人の世に知られる方が非常に困るから』
「しかし、解除すればあなたは……!!」
『弟を救うためにここまで来たのだろう、決断するんだ』
「……」
毛玉から、強い意思が伝わってきた。
弟をこのまま死なせるか、目の前の灰色の毛玉を召喚した魔術師を犠牲にして弟を救うのか。どちらを選んでもどちらかが犠牲になる。
青年は
「……おとうとを、たすけてください……!」
前者を選んだ。
そこからの行動は早く、灰色の毛玉は少女……イルナミルにどこかへ連絡するよう告げるとイルナミルと共に部屋から出て行った。去り際に、終わるまでゆっくり休むように言われたが、弟の事と、罪悪感から心を休めることができない。
「大方、ダンナを犠牲にすることに罪悪感があって休めないんだろ」
部屋に残されたドラゴンは、近くに合った椅子にドカッと座った。
「これで良かったのかって……アンタからも主を奪うことになるし……」
「いや、俺はダンナと契りを交わしてもいなければ、召喚されたわけじゃあねえし」
癪に障ったのかドラゴンはそっぽ向いてしまい、青年は小さな声で謝罪した。つまり、目の前にいるドラゴンは、好きでダンナと呼ぶ存在の傍に居るということ。
ドラゴンはけして多種族に心を開かないと本に書かれていたが、あの図鑑の内容は案外間違っている箇所が多いのかもしれない。
「……あまり口にするなって言われているけど、感染型呪術を完全に消す方法はあるんだよ」
「それ、本当に……!?」
ドラゴンは突然そう呟いた。
人の世に存在しない方法を、このドラゴン……つまりダンナと呼ばれる存在は知っていると言うのか。何度も追及してみたが、ドラゴンはこれ以上口を開くことはなかった。
どのくらいの時間が経っただろう、イルナミルと灰色の毛玉が再び部屋に戻ってきた。毛玉の上には青年の弟が乗せられている。
青年はベッドから飛び降り、弟の側に駆け寄る。死にかけていた弟は生気を取り戻し、小さな寝息を立てている。
本当に解除されている。一度呪術に侵されたら待つのは死と恐れられているあの呪術が。
「ありがとう、本当にありがとう……」
青年は灰色の毛玉に何度もお礼を言う。しかし、灰色の毛玉から帰ってくる返事はなく、上に乗せていた青年の弟をベッドに寝かせた。
ドラゴンはその様子を見てから、部屋を出て行った。
「弟君、もう大丈夫だって。目覚めたらこれから暮らす場所へ案内するね」
イルナミルは青年の弟の頭を優しく撫で、笑顔でそう言う。
青年は黙って何度も頷いた。
* * * *
「ただいまお兄ちゃん!」
「おかえり」
青年の弟が感染型呪術から解放されてから、数ヶ月が経過した。弟は丸1日眠り続け、十分な体力が回復した頃、イルナミルは青年と弟を森からかなり離れた場所にあるギルドへと連れて行き、そこのギルドメンバーに引き継ぎをした。
「それじゃあ、頑張ってね!」
イルナミルは再び弟の頭を撫で、笑顔で去って行き、残された青年はギルドメンバーにこれから住む場所へと案内された。
そこは、人の世に戻れなくなった青年たちは、様々な理由で自分達の世を捨てた亜人……様々な種族がこちらの世の生活に馴染めるよう、ギルドがバックアップをしてくれる村。生活に慣れ、希望があれば学校へ通う援助、もしくは生活資金を稼ぐための職を斡旋してくれる。職によっては引っ越しをしなければならなくなった時の協力もしてくれるらしい。
その他道中で説明を受け、何か質問はあるかと問われため、青年は故郷の村が今どうなっているかと尋ねた。ギルドメンバーはしばし沈黙した後、ポツリポツリと語り出した。
「君たちの村があった場所は、大勢の魔術師を犠牲にして呪術を解除して……戦場になって焼き尽くされたらしい」
ギルドメンバーが言うに、青年の村は自分達が税金を納めている国とその隣国との争う場所の一部になっていた。隣国は村があるのなら戦場を変えるべきだと何度も通達をしたらしいが、国はならば隣国が近づけないよう呪いという壁を作ってしまえばいい。……と。
なんという自己中心的な理由で多くの命を奪った国に、青年は怒りを覚えた。同時に、そんなことが平然と行われる人の世に戻りたいと二度と思うことはなかった。
「これでよかったんだな」
「なにが?」
「いや、なんでもない」
「そう?……あ、僕友達と遊ぶ約束をしているんだった!お兄ちゃん行ってくるね!」
「ああ、気を付けるんだぞ」
大きく手を振りながら弟は駆けて行った。
生活が落ち着いた頃、青年は一度あの森を訪れた。しかし、弟の呪いを解いてくれたダンナという人物には一度も出会えないどころか、森の中へ入ることもできなかった。
世話になっているギルドに森の事を尋ねるも、あそこへは行かないほうがいいと言われるだけ。
ドラゴンの言葉が正しければ、おそらくダンナという人物は生きている。
「いつか、恩返しができればいいのだが」
青年は、そう呟きながら空を見た。今日は一段と日差しが強い……そんな気がした。