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【書籍化】アルマーク ~北の剣、南の杖~  作者: やまだのぼる@アルマーク4巻9/25発売!
第十九章

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(閑話)シシリー 後編

 放課後、タルウェンは本当にシシリーを呼びに来た。

「シシリー」

 タルウェンが教室のドアの前で、シシリーの名を呼んで手を振る。

 シシリーが立ち上がってそちらに歩いていくと、エルドがちらりともの問いたげな目でシシリーを見た。

「ええとね」

 シシリーはエルドに言った。

「隣のクラスのタルウェンが、今日シシリーと一緒に帰ろうって」

「ふうん」

 エルドは目を見張った。

「そうなのか」

「うん」

 何か聞かれるかと思ったが、エルドは何も聞いてこなかった。

 彼がタルウェンのことを知っているのかどうかも分からなかった。

 シシリーが教室を出てくると、タルウェンは嬉しそうに顔を綻ばせた。

「さあ、帰ろうぜ」

「……うん」

 シシリーは頷いて、ちらりとエルドを振り返った。

 エルドは難しい顔をして何かの本を読み始めたところだった。



 見せたいものがあるんだ、と言って、タルウェンは寮とは反対側の道へと歩き出した。

「あれ、こっちって森に行く道だよ」

 シシリーが言うと、タルウェンは、うん、と頷く。

「最近、森に行ってないだろ」

 そう言われて、シシリーは確かに自分がここ最近は森に寄り付いていなかったことを思い出す。

「行ってない」

 答えてから、すぐにその理由を思い出す。

「だって、試験があるんだから。放課後はすぐ寮に帰って勉強しないといけないんだよ」

「一日くらい、関係ないよ」

 タルウェンが言う。

「一日でやれることなんてたかが知れてるじゃないか。その分、明日まとめてやればいいだけだろ」

 確かに、そのとおりだ。

 タルウェンの言葉は、シシリーの心にすとんと落ちた。

「そうだね。明日頑張ればいいのか」

「そうそう」

 タルウェンは気楽な調子で言う。

「明日ダメなら、明後日頑張ればいいのさ」

 その口ぶりに、思わずシシリーがくすりと笑うと、タルウェンは嬉しそうに頬を赤らめた。

「明後日だめなら、その次の日だ」

 シシリーの気を惹くように、わざと乱暴な口調で言う。

「そんなに延ばしてたら、試験の日になっちゃう」

 シシリーが言うと、タルウェンは真面目な顔で頷いた。

「そうしたら、来年の試験で頑張ればいいのさ」

 タルウェンと話しているうちに、シシリーは自分の心がどんどん軽くなっていくのを感じた。

「来年か。うん、そうだよね。いつでも間に合うもんね」

 そう言って笑うと、タルウェンも嬉しそうに頷いた。



 久しぶりの森は、すっかり冬の装いだった。

 乾燥して丸まった枯れ葉をさくさくと踏みながら二人は歩いた。

「どこに行くの?」

 シシリーが尋ねると、タルウェンは、いいところ、と答える。

「冬はね、暗くなるのが早いから、そんなに深いところまで行っちゃいけないって。エルドがそう言ってたよ」

 シシリーの言葉に、タルウェンは少し眉をひそめる。

「エルドが?」

「うん」

 シシリーは頷く。

「大丈夫。そんなに深いところじゃないさ」

 そう言って、タルウェンは足を早めた。

 やがて二人は小川のたもとに出た。

 夏には生徒たちが水遊びをする川だが、今は誰の姿もない。

「小川くらい、シシリーも来たことあるよ」

 シシリーが言うと、タルウェンは首を振った。

「この先だよ」

 タルウェンが指さしたのは、小川の上流、小さな滝の脇にぽっかりと開いた洞穴のようなくぼみだった。

 その滝は、よく男子生徒たちが上から度胸だめしで飛び込むので、シシリーもよく知っている。

「あの洞穴も入ったことある」

 シシリーは言った。

「すぐに行き止まりになって、なんにもないんだよ」

「そう思うだろ」

 タルウェンは待ってましたと言わんばかりの笑顔を浮かべた。

「おいでよ」

 並んで足を踏み入れた洞穴の天井を、タルウェンが指差す。

「あっ」

 見上げたシシリーは思わず声を上げた。

 頭上に、きらきらと光る透明な牙。

「氷」

 シシリーが呟くと、タルウェンが訂正した。

「つららっていうんだ」

「つらら」

 シシリーが繰り返すと、タルウェンは頷く。

「ここは冷気がたまる場所みたいなんだ。だから、天井に付いた水滴が凍って、こういうつららができる」

「きれい」

 シシリーは目を輝かせた。

 生まれて初めて見る光景だった。

 天井から不揃いの牙のように何本も伸びる氷の柱。

 それが外からの淡い光を受けて、輝いている。

 手を伸ばしてみるが、シシリーの背では届かない。

「取れない」

「危ないぜ」

 タルウェンがシシリーの手を引いた。

「揺らしたりしたら、結構簡単に折れて落ちてくるんだ。当たったら怪我する」

「そうなんだ」

 そう答えて後ずさるが、それでもつららから目を離せない。

「きれいだね」

「そうだろ」

 タルウェンは胸を張る。

「俺が見つけたんだ」

「どうしてシシリーに教えてくれたの」

 そう言って見上げると、タルウェンは、照れたように視線をそらした。

「だって、そりゃあ」

 その時、風が吹いた。

 風とともに白い靄のような霧が洞穴の中に吹き込んでくる。

「霧だ」

 シシリーが言うと、タルウェンは頷く。

「風が吹くと、川の水が霧みたいになって吹き込んでくるんだ。ローブが濡れちゃうから、いったん出よう」

「でも、つらら」

「俺が取ってやるから、まず出よう」

「うん」

 頷いて、出ようとしたシシリーの足元に霧が流れてきた。


 行け、シシリー。


 白い霧が、不意にシシリーにあの日の記憶を運んできた。

 足を止めたシシリーを、タルウェンが不思議そうに振り返る。

「なんだ、どうかしたか」

「えっと」

 シシリーは戸惑った。

 忘れていたわけではない。ただ、強烈な体験すぎて、あまり思い出さないようにしていただけだ。

 必死な顔の、エルド。

 突然原っぱに現れた、毛むくじゃらの魔物。


 僕が食い止めるから、お前は行け。早く。


 エルドが命の恩人だということは分かっていた。

 けれど、その日のことについて深く考えたことはなかった。

 その鮮明な記憶を、今、霧が運んできた。


 エルドが、まるで魔物からシシリーをかばうかのように両手を広げる。

 その全身から、霧が噴き上がる。

 霧は魔物を、エルドを、シシリーを包み込んでいく。


 助けを呼んでこい。ここは僕が。


 シシリーの必死の訴えを聞いて森へ駆け出していったアルマークともう一人の3年生が、どうやってエルドを助け出してくれたのか、シシリーは知らない。

 けれど、その翌日のことだっただろうか。

 助けてくれたお礼を言いに行ったとき、エルドは照れたように言っていた。


 霧の魔法が使えてよかった。ちゃんと練習しておいてよかった。


 あの日、魔力を使い果たして気を失ったのだという。

 ベッドから上半身を起こしたエルドは、噛みしめるように、自分に言い聞かせるように言っていた。


 あとで、じゃ間に合わなかった。シシリーを助けられなかった。


「あとで、じゃ間に合わなかった」

 シシリーはぽつりと呟いた。

「え?」

 タルウェンが怪訝そうな顔をする。

「何が?」

 初めて見るつららはとてもきれいだった。

 手に取ってみたかった。

 だけど。

「ごめんね、タルウェン」

 シシリーはそう言うと、身を翻した。

「シシリー、行くところができちゃった」

「え、おい。シシリー」

 タルウェンが驚いて声をかけるが、シシリーはもう一度、ごめんね、と言って大きく手を振ると、校舎への道を駆け出した。

 タルウェンは洞穴の出口で、走り去っていくシシリーの背中を呆然と見つめる。

 やがて、木々の陰にシシリーの姿が消えると、タルウェンはため息をついて頭を掻いた。

「ちぇ」

 やっとあの子と。

 いつもずっとあいつと一緒にいるせいで、話しかけることもできなかったあの子と、やっと仲良くなれたのに。

 あの子が一人で歩いているのを見た時は、胸が高鳴った。

 今しかない、と思って声をかけた。

 試験が終われば、きっとまたあいつと一緒に歩くんだ。だから、チャンスは今しかない。

 そう思って、とっておきのつららも見せることができたのに。

 何がいけなかったんだろう。

 タルウェンは足元の石を川に蹴り込んだ。



 はあはあと息を切らして自分の前に立ったシシリーを、エルドは驚いた顔で見上げた。

「シシリーじゃないか」

 そう言って、目を瞬かせる。

「今日は隣のクラスのやつと帰るって言ってたはずじゃ」

「分からないところが、いっぱいあるの」

 まだ荒い息をしながら、シシリーはエルドの隣に座った。

「教えて、エルド」

「それはもちろん構わないけど」

 そう言って、エルドは周囲を見回す。

「でも、図書館では静かにしないと」

「じゃあ、静かに教えて」

 シシリーは言った。

「それとね、エルド。明日からシシリーも放課後ここで勉強するね」

 その言葉に、エルドは驚いたように目を見開く。

「どうして、急に」

「エルド、シシリーのこと勉強嫌いだと思ってるでしょ」

「いや、別にそんなことは」

 エルドが困ったように首を振ると、シシリーは大きく頷く。

「シシリーね、今出来る勉強をしっかり頑張ることにしたの」

 エルドは呆気にとられたようにシシリーを見ていたが、やがて、分かった、と言って頷いた。

「それなら、僕がお前の順位をぐんと上げてやる」

 その言葉は自信に満ちていた。

 やっぱりエルドは頼もしい。

 シシリーは笑顔で頷いた。





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― 新着の感想 ―
[良い点] ハッとしてグッときて(*^^*) あの日の夜を思い出す過程が素晴らしいですね。 ほんと自然でさり気ない描写。 エルドの勇敢さを思い出し、彼の勤勉さ優しさに改めて気付く。 シシリーが駆…
[良い点] やはりこの2人だよなぁ [一言] 自分も頑張らねばと思いました。
[気になる点] ほぅ、甘酢っぱいじゃないか。 だが、よく考えたら彼等は推定10歳なのである。 ・・・マジかよ!?笑 (自身の10歳頃を思い出しながら)
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