影
舞台上で、ようやくネルソンとノリシュの話が付いた。
「そなたの王妃を思う気持ちはよく分かった。それではそろそろ北の森へ行ってもよいか」
ネルソンが言うと、ノリシュが頷く。
「はい。それだけ分かっていただけたら、私ももう言うことはございません。今のところは」
「今のところは」
ネルソンがうんざりした声を上げるのを聞いて、観客席がどっと沸いた。
二人はもう完全に観客の心を掴んでいた。
フィッケが大きな口を開けて笑っているのが見える。
その隣のアインは口元を手で覆っているが、時折肩を震わせるのは笑いをこらえているためだろう。
「主役二人が受け入れられたね」
レイドーがアルマークに囁く。
「この劇はもう大丈夫だ」
「ああ」
アルマークは舞台上の二人を見る。
あんなに悩んだりぶつかったりしていたのをまるで感じさせない、溌剌とした演技。
本当に頼もしい二人だ。
そして、この二人を主役に据えたキュリメの見る目の正しさ。
「さあ、いよいよ僕の出番だね」
そう言ってアルマークの隣にモーゲンが立った。
「緊張しているのかい」
アルマークの問いに、モーゲンは頷く。
「してるに決まってるじゃないか。武術大会のときと同じくらいだよ」
そう言ってアルマークに見せた右手が、小刻みに震えている。
「それなら大丈夫だ」
アルマークは笑う。
「緊張しているときの君ほど頼りになるものはない」
「またそういうことを言う」
モーゲンは嫌な顔をする。
「君は僕を買いかぶり過ぎだよ」
「そんなことはないよ」
アルマークは首を振る。
「劇が終わったら、みんなで美味しいものを食べよう」
アルマークの言葉に、モーゲンは少し口元を緩めた。
「食べ物の話をすれば、僕が喜ぶと思ってるでしょう」
「違うのかい」
「違わないよ」
モーゲンは微笑む。
「約束だからね」
「ああ」
アルマークは頷く。
「みんなで食べに行こう」
「うん」
モーゲンが頷いたとき、舞台が暗転した。
アルマークは背景を片付けに走る。
次のシーンは森。
モーゲンやウォリスが登場する大事な場面だ。
鬱蒼とした森の中を、ネルソンが歩く。
その後ろを、おそるおそるノリシュがついていく。
「騎士様」
ノリシュが後ろから呼びかける。
「なんだ」
振り向きもせず、ネルソンが応じる。
「本当にこの道で合ってるんですか」
「道というのはな、ノリシュ殿」
ネルソンは答える。
「必ずどこかに通じているものよ」
「それってつまり」
ノリシュの声が低くなる。
「当てずっぽうで歩いているってことですか」
「言い方が悪いな」
ネルソンはノリシュの表情など意に介さず、穏やかに答える。
「己の心の指し示す方へ、歩いているのだうぐっ」
ネルソンの台詞は、背後から思い切りノリシュに首を引っ張られたことで途切れる。
「何をする」
「それを当てずっぽうと呼ぶのです、世間では」
ノリシュが、だん、と舞台の床を踏み鳴らした。
「どんどん歩いていかれるから、てっきり道は分かっているものだとばかり」
「道というのはな、ノリシュ殿」
ネルソンは言い聞かせるように答える。
「己の歩いた後からできるものなのだ」
その台詞にまた客席が沸く。
「それじゃダメなのです」
ノリシュが首を振ったとき、ネルソンが不意にその身体を引き寄せた。
まるで抱き合うような格好になり、客席の女子から、きゃあ、と歓声が上がる。
「あっ、何をなさるのです」
ノリシュが慌てた声を上げたときには、二人は何体もの黒い影に囲まれていた。
演出のトルクが発生させた黒い小鬼の影。
「魔物!」
ノリシュが声を上げる。
ネルソンはノリシュをかばうように自分の背に回すと、腰の剣を抜きはなった。
「危ないのでな。少し離れておれ」
そう言ったネルソンに小鬼の影が一体、飛びかかった。
ネルソンが水平に鋭く剣を振ると、影が弾けるように飛び散って消える。
おお、と観客席がどよめく。
トルクの出す小鬼の影は、どこかジャラノンに似ていた。
アルマークは、トルクと二人で森にエルドを助けに行ったときのことを思い出す。
トルクは、あのとき初めて僕の名を呼んでくれたんだったな。
そんなことを思いながら、反対の舞台袖で影を操るトルクを見た。
最初の一体を皮切りに、次々とネルソンに飛びかかっていく黒い影。
ネルソンがそれを切り伏せていく。
その鮮やかな剣捌きは、さすがに国一番の勇士と呼ばれるに相応しいものだ。
練習通りの動きを本番でも正確になぞるネルソンもさすがだが、何体もの影を同時に操りネルソンの剣の振りに合わせて消していくトルクもさすがだ。
二人の連携の良さは、きっと武術大会のために毎朝立ち合っていたことでいつの間にか培われたものだろう。
お互いにお互いの動きや手の内がよく分かっている者同士の動きだ。
舞台袖からネルソンの立ち回りを見ながら、モーゲンが大きく息を吸った。
アルマークはその背中を叩く。
「君なら大丈夫」
「うん」
モーゲンが頷く。
舞台上でネルソンが最後の影を叩き割った。
おお、という歓声とともに客席から大きな拍手が上がる。
「いいぞ、ネルソン!」
そう叫んだのはきっとネルソンの父親だろう。
「怪我はないか」
ネルソンが、息を詰めて見守っていたノリシュにそう声を掛けると、ノリシュはこくこくと頷いた。
「さすが騎士様。本当にお強いのですね」
「この程度の相手なら、造作もない」
「今やっと、騎士様が魔女討伐に選ばれたわけが分かりました」
「それは少し遅いのではないか」
二人のやり取りに、客席がまた沸く。
と、ネルソンの背後で影がもう一つ、ゆらりと立ち上がった。
小鬼の影。
二人はそれに気付いていない。
影は、ノリシュと息の合ったやり取りをするネルソンにゆっくりとにじり寄る。
客席の1年生たちから悲鳴が上がった。
ノリシュが遅ればせながらそれに気付き、悲鳴を上げる。
「騎士様、後ろ!」
ネルソンが振り返ったとき、その影が横から弾かれるようにして消えた。
はっ、と二人が舞台袖を見る。
「危なかったね、お二人さん」
のんびりとしたいつもの声。
弓を携えた小太りの狩人がゆっくりと舞台に姿を現した。
「モーゲン!」
客席の下級生の女子たちから声援が上がる。
モーゲンはにこにことそちらに向かって手を振ってみせた。




