罠
くるくるとよく動く侍女たちの影が、宴席の時間の経過を観客に伝える。
「デミガル王」
やがて、レイドー演じるアモル王がゆっくりと呼びかけた。
「今宵の素晴らしい歓待、心から感謝いたしますぞ」
「なに、この程度のもてなししかできず」
トルク演じるデミガル王は笑顔で首を振る。
「何しろ田舎の山国ですからな。肥沃な貴国の宴席には比ぶるべくもないでしょうが、我らの気持ちがアモル王に伝わったのであれば、それはありがたいこと」
「伝わりましたとも」
アモル王は人の良い笑顔で頷く。
「これからも友好を深めあっていきましょうぞ」
「無論です」
デミガル王が立ち上がり、グラスを再度高く掲げた。
「両国の末永き友好に」
「我ら二人の友情にも」
アモル王がそう応えてグラスを掲げる。
デミガル王は笑顔で会釈して、腰を下ろす。
この辺りの会話は、全てトルクとレイドーの自作だ。
確か台本には、王同士の和やかな会話、程度の記述しかなかったはずだ。
アルマークには、トルクとレイドーがどう話し合ってこの会話を作ったのか、少し想像がつかなかった。
今度、レイドーに聞いてみよう。
そう思いながら舞台を見つめる。
「次はぜひ、我が国にもお越しいただきたい」
アモル王が言った。
「心より歓迎いたしますぞ」
「ありがたい申し出」
デミガル王は頷いた。
「ちょうど来月、国境まで行く用事がございましてな。その際にそちらまで足を伸ばさせていただこうか」
「おお。それはぜひ」
アモル王は微笑む。
「我が宮殿でともに語り合いましょう」
「楽しみですな」
デミガル王は笑う。
「アモル王の奥方、レイラ王妃の美しさは我が国まで届いております。宮殿に伺った際には、ほかのどんな歓待も必要ない。このデミガル、レイラ王妃の笑顔が何よりも楽しみでございます」
「それは」
アモル王の顔が不意に曇る。
「レイラの笑顔、でございますか」
「さよう」
デミガル王は大きく頷く。
デミガル王、トルクの身体がまるで一回り大きくなったように見えた。
「ああ、今から楽しみでなりません。絶世の美女と謳われるレイラ王妃の美しい笑顔。それをこの目で見られる日が来ようとは」
立ち上がってそう言ったあとで、困った顔のアモル王を見て不意に笑顔を引っ込める。
「それとも、まさか」
デミガル王の声が低くなった。
城壁でデグたちに話しかけていたときと同じ声、こちらのほうがトルクの地声に近い。
「王妃にはこのデミガルに向ける笑顔などない、とは言いますまいな」
「いや、そんなことは」
取り繕うようにアモル王が言うと、デミガル王は再び破顔した。
「そうですか。そうでしょうとも」
そう言って、アモル王の手を取る。
「ああ、楽しみだ。今から楽しみでならぬ」
その笑顔は、先ほどまでの無邪気なものではない。
獲物を追い詰めた獣を彷彿とさせるような、凶悪な笑顔。
アモル王はデミガル王に見られぬよう顔をそっとそむけると、客席だけに見せるように苦悩の表情を浮かべた。
暗転。
トルクは大股で舞台袖に戻ってくると、そこに立っていたアルマークの肩を叩いた。
「さあ、俺の出番はもう最後までねえぞ。それまでは演出だ」
その額に汗が滲んでいて、堂々と演技していたように見えたトルクも実は相当緊張していたのだということがアルマークにも分かった。
「お疲れ様。とても良かったよ、トルク」
「当たり前だ」
そう言い捨てて、舞台裏へと戻っていく。
それと入れ替わるように、ネルソンがアルマークの隣に立った。
「いよいよだね」
そう声を掛けると、ネルソンは静かに頷いた。
「ああ」
さっきまでのネルソンではない。
まとっている雰囲気が、現代に生きる人のそれではない。
ネルソンの憧れを具現化したような、古代の騎士。
しかし、ノリシュとぶつかったときのような鋭く尖った感じは消えていた。
むしろ、どこか柔らかさを感じさせるような。
その二人の横を、美しく着飾ったレイラとリルティが通り過ぎていく。
舞台の椅子やテーブルは前回のシーンの使いまわしだ。
演出のガレインとデグが背景に投影する壁を明るいものに変え、テーブルのところどころの小物を置き変えることでガイベル王国の宮殿に見せる。
背景や道具の片付けのために舞台袖に待機しているアルマークは、今回はまだやることがない。
レイラとリルティがアモル王を囲むように座り、大臣のピルマンが傍らに立ったところで、もう一人の演出のモーゲンが照明を灯した。
ガイベル王国の宮殿での場面だ。
「王よ」
ピルマンが嘆くような大声を上げた。
「もう一度言ってくだされ、王よ」
「だから」
アモル王は疲れたように椅子に身体をうずめ、顔も上げずに答える。
「デミガル王は来月の宴でレイラの笑顔が是非にも見たいと。そうでなければ許さぬ風であった」
「だから反対したのです。ムルボードなどに招かれても行くべきではないと」
ピルマンは大げさに嘆いてみせる。
「あれ程申し上げたものを」
「隣国の王の招待を、無下に断るわけにもいかぬであろう」
アモル王は顔をしかめた。
「それに、レイラのこともあの場で承諾せねば無事に帰れるかどうかも怪しかった」
「しかし、それにしてもです」
ピルマンは首を振る。
「デミガル王とて知らぬわけがありますまい。そもそもレイラ王妃は」
そこまで言ってから、臣下の立場を思い出したように口をつぐむ。
「そうだ。レイラは笑うことができぬ」
アモル王は言った。
「夫であるこの私にも、一度として笑ったことがないのだ。初めて会うあのデミガル王になど、笑うことができるはずがない」
「父上、私ではいけませんか」
そう言ったのは、アモル王とレイラ王妃の一人娘、リルティ王女。
囁くような小さな声は、だが客席によく届いた。
風の魔法を駆使して、台詞を客席に届けているのはモーゲンだ。
リルティの声が小さすぎることが問題になったとき、魔法の風で客席に声を届けるというバイヤーのアイディアに真っ先に手を挙げたのがモーゲンだった。
「風の魔法なら、僕がやるよ」
モーゲンはそう言って、力強く頷いてみせた。
「大丈夫か。君は確か、風の魔法はあまり」
ウォリスがそう言って心配そうな顔を見せたが、バイヤーとピルマンがすぐに首を振った。
「モーゲンなら大丈夫。ちゃんとやってくれるよ」
「そうそう。ウォリスは知らないかもしれないけど、夏の休暇が明けてからのモーゲンの風の魔法はすごいんだ」
「そうか」
ウォリスは頷いた。
「君たちがそう言うのなら、大丈夫だろう。人は成長するからな。モーゲン、頼むぞ」
「うん。任せて」
モーゲンは微笑んだ。
リルティとモーゲンが一緒に出る場面がないことも幸いした。
モーゲンはリルティ専属の台詞音量増幅要員として、彼女の出番には常に舞台袖に控えていた。
「私ならば笑うことができます」
リルティは言った。
本人はあれでもかなり声を張っているつもりなのだろうが、まともに聞こえているのはせいぜい舞台にいるピルマンたち3人くらい。舞台袖のアルマークの耳にも、かろうじて聞こえる程度だ。
それをモーゲンは、客席の隅々まで届ける。
モーゲンが放課後に講堂で一人、風を吹かせる練習をしているのをアルマークも目にしたことがあった。
自分でよく冗談めかして言うような、のんびりお菓子を食べながら、などという緩い雰囲気は一切なかった。
真剣な顔つきのモーゲンのローブには、冬だというのに汗が滴っていた。
見えないところでの弛まぬ努力。
それは、アルマークがモーゲンに信頼を寄せる理由の一つだ。
アルマークは客席の様子をそっと覗き見た。
台詞が聞き取れなくて顔をしかめたり、きょとんとしたりしている人は誰もいない。
そういうことがすぐに顔に出るであろうフィッケも、食い入るように舞台を見ている。
いいぞ、モーゲン。
君の風は、講堂全体に行き渡っているよ。
アルマークは客席の壁際に、腕組みをして立っているイルミスの姿を見つけていた。
リルティが喋るたびに、その口元が微笑むように緩む。
先生にも、分かっている。
アルマークは、反対の舞台袖で真剣な顔で杖を構えるモーゲンを見た。
必要な努力をし、それをきちんと成果に変える。
モーゲン。
僕も、君のことをみんなに自慢したいよ。




