デミガル王
幕が上がると、夜。
空にいくつもの星が瞬いていた。
突然、舞台に現れた夜空に、客席から大きなどよめきが上がる。
その星の海の底に、城壁があった。
ぼんやりとした光が、やがて焦点を結び、ゆっくりと城壁の上を照らし出す。
灯りもない暗い城壁の上には、3つの人影があった。
堂々とした体躯で、真っ直ぐに遥か彼方を見つめている、険しい顔つきの男。
その頭には、金色に輝く王冠が載っていた。
ムルボード王国の王、デミガル。
演じるのは、トルクだ。
背後には影のように二人の部下が付き従っている。
どこからか風の音が響いてくる。
デミガル王の髪が、風になびいて揺れた。
「ガレイン。デグ」
低いがよく通る声で、デミガル王は部下の名を呼んだ。
「見ろ。我がムルボード王国の貧弱な国土を」
そう言って、客席に向かって大きく腕を振る。
その勢いで、背に羽織ったマントがばさりと翻った。
「山あいの痩せた狭い土地。そこに同じように痩せた領民がへばりついている」
デミガル王は、顔を歪めた。
「毎年毎年、冬を無事に越せるように神に祈るが、それでも五人に一人は冬を越せぬ」
「偉大なるデミガル王よ。それは王のせいではございませぬ」
背後に控えるデグが声を上げた。
「痩せた土地とはいえ、父祖より受け継いだ国土。我らムルボードの民は、先祖代々この土地を守ってまいりました」
その言葉に、隣のガレインが無言で頷く。
しかしデミガル王はかぶりを振った。
「先祖代々か」
その声には、皮肉な響きがあった。
「そして我らの子々孫々までこの痩せた土地を守っていくのか」
デミガル王は部下を振り返った。
「汝らは行ったことがあるか。デグ、ガレイン」
そう言うと、前に向き直り、客席を越えた向こう、遥か遠くを見やった。
「隣国ガイベルは、豊穣の地だそうだ。冬にも食う物に困ることはないという」
「行ったことはございませぬが、聞いたことは」
デグが答える。
「さぞかし豊かな土地なのでしょうな」
「余は、ガイベルを奪う」
デミガル王は言った。
「戦は近い。ガレイン。軍の用意を怠るな」
「なれど、王よ」
デグが声を上げる。
「ガイベル王国には何の落ち度もない。その戦は、神とともにある戦ではない。勝利はおぼつきませぬ」
「分かっている」
デミガル王は答えた。
「ガイベルの王アモルを我が城に招待する」
そう言って、精悍な笑みを浮かべる。
「まだ蓄えの尽きる季節ではない。贅を尽くし、宴席を飾れ」
王の意図が読めず、顔を見合わせる二人の部下に、デミガル王は低い声で告げた。
「余に考えがある。ガイベルの落ち度を作る」
舞台を吹く風に、デミガル王のマントがたなびく。
「ムルボードの民は、もう冬に飢えることはない」
デミガル王は力強く言った。
「余が、民の運命を変える」
その威に打たれたように膝をつくデグとガレイン。
暗転。
「いいぞ」
演出を終えたアルマークとウェンディの肩を、ウォリスが叩く。
「順調な滑り出しだ」
「ありがとう」
アルマークは答える。
アルマークはこの場面の演出で、舞台に風を吹かせることに集中していた。
強すぎず、弱すぎず。
トルクの動きに合わせて、印象深く髪やマントがたなびくように。
それ以外の演出は全て、ウェンディがやってくれた。
夜空の星の光も。
トルクたち3人を照らした光も、最後の暗転も。
「お疲れ様、アルマーク」
ウェンディがアルマークに微笑みかける。
「ちょうどいい風だったね」
「うん」
アルマークは頷く。
「ウェンディもさすがだね。完璧だった」
幕が上がった最初の夜空は、観客の心をつかむためにも重要な演出だった。
ウェンディは、夜空に名のある星々まで丁寧に再現してみせた。さっきまで魔力を失って医務室で眠っていたとはとても思えない出来映えだった。
「お客さんが喜んでくれてよかった」
ウェンディは嬉しそうに頷く。
「でも、すごかったね、トルクの迫力」
声をひそめて、ウェンディが囁いた。
「本物の王様みたい」
「うん。やっぱりトルクには人を率いる素質があるよ」
アルマークは答えた。
「トルクが話す言葉には、力がある」
「うん」
ウェンディが頷く。
「私もそう思う」
二人で並んで舞台を見つめる。
と、ウェンディが思い出したように呟いた。
「あ、私ノリシュの手伝いに行かないと」
「ああ」
アルマークは頷く。
「それは大事だ」
「うん。また後でね」
ウェンディはアルマークに小さく手を振って、舞台裏に駆け込んでいった。
場面は変わる。
ムルボード王国の王城。
ガイベル王国のアモル王を招いての宴席の場面だ。
アルマークは舞台袖からそっと客席を窺った。
観客たちはもうすっかり劇に見入っているようだ。真ん中やや後方で、フィッケが口を半分開けて、身を乗り出して舞台を見つめているのが見える。
ここまでは、いい反応だ。
レイドー演じるアモル王が、デグに先導されて宴席に入ってくる。
どちらかといえば暗い色合いのデミガル王の衣装に比べ、豊かな国を治める王に相応しい明るい華やかな衣装のアモル王。
その対比は観客にも一目瞭然で、客席から、あっ、アモル王だ、という囁き声が漏れる。
やはりこの物語が人口に膾炙しているおかげだろう。デミガル、アモルの二人の王の名だけで、観客の殆どがたちまち物語の流れを理解してしまった。
クラスの全員を劇に出演させる。
そして、そのせいで登場人物が多すぎて観客が混乱してしまわないよう、物語の題材に誰でも知っている伝説を選ぶ。
そこまで計算していたのか。
アルマークは改めてキュリメの台本の完成度に舌を巻いた。
アモル王は、どこかごつごつとした武人然とした印象のデミガル王に比べ、実に優雅に洗練された動きで、勧められた椅子に腰を下ろした。
宴席を彩る侍女たちの配役はないので、魔法の演出で女性の影を舞台に躍らせる。
演出の担当はバイヤーとセラハだ。
流石に二人とも練習を重ねてきただけあって、そつなく影を動かして、まるで侍女たちが席の間を動き回っているように見せている。
影が動きを止めると同時に、デミガル王が重々しく立ち上がった。
「両国の変わらぬ友情に」
そう言ってグラスを掲げ、アモル王を見る。
アモル王はグラスを持ち上げ、それに応える。
そのしぐさにも気品が溢れていて、客席からはため息が漏れた。
「レイドー、貴族よりも貴族みたいな動きだね」
いつの間にかアルマークの隣に来ていたモーゲンが、アルマークにそう囁いた。
「トルクが、レイドーをよく王同士の作戦会議だとか言って連れ出していたでしょ」
「うん」
アルマークは、いつかそれでレイドーが昼に帰ってこなかったことを思い出して頷く。
「あの時間に、トルクが徹底的に貴族の身のこなしをレイドーに叩き込んだらしいよ」
「へえ」
アルマークは目を見張った。
「トルクがかい」
あの、貴族としての強烈な自負で平民の生徒を見下していたトルクが、平民出身のレイドーに貴族の身のこなしを教えた、だって。
「意外だよね」
モーゲンの言葉にアルマークは頷く。
「うん。出会った頃のトルクならね。でも、今のトルクなら分かる気がするよ」
みんな変わっていくんだ。
僕も、ウェンディも、モーゲンも。
トルクだって。
野心を内に秘めて、かりそめの笑顔をアモル王に向けるデミガル王。
それはまるで、いつも何かに苛立ち、反発しているトルクのもう一つの姿のようでもあった。




