開演
劇の開始時間が迫り、みんながざわざわと慌ただしく動き始める。
そこに、ウェンディとノリシュ、リルティが連れ立って戻ってきた。
ウェンディも劇の衣装に着替え終わっていた。
衣装自体は簡素なワンピースだったが、ノリシュたちに手伝ってもらったのであろう丁寧に編み込まれた髪とそこに付けられた銀の髪飾りが美しく目を引いた。
可憐な王女の衣装のリルティと、王妃の侍女らしく派手さはないが上品な色合いの衣装のノリシュ。
二人の衣装もウェンディが中心となって何日もかけて作ったものだ。
衣装だけを比べてみれば、二人に明らかに見劣りするウェンディだが、真っ白な顔の色と相まって、今はこの世のものではないような不思議な美しさがあった。
「もう始まっちゃうね」
ノリシュが辺りをきょろきょろと見回す。
「あれ? ネルソンは?」
「今、騎士になりに行ってるよ」
アルマークが答えると、ノリシュは、ああ、と頷く。
「そうか。一人になってるんだね」
「ノリシュはいいのかい」
アルマークが尋ねると、ノリシュはきょとんとした。
「私?」
「うん。一人になる時間はいらないのかい」
「ああ」
ノリシュは笑って手を振る。
「私はいいの。そういうのは要らない」
「ネルソンとは違うんだね」
「うん」
ノリシュは微笑む。
「いろいろ考えたし、試してもみたんだけど、やっぱり私は私のままで行くことにしたの。それがいいってウェンディも言ってくれたし」
そう言ってウェンディを振り返る。
「ね」
「ええ」
ウェンディも微笑んだ。
髪飾りがきらりと光る。
昨日の一件でまだ血の気が戻りきらない白い肌に、さらに亡霊という役柄の雰囲気を出すための化粧も施している。
いつもと全く違う古風な髪の編み込みといい、普段の明るくて元気なウェンディとはまるでまとっている空気が違った。
その微笑みさえ儚げで、手を触れたら幻のように消え去ってしまいそうだ。
「頑張ろうね、アルマーク」
思わず見とれていたアルマークは、ウェンディにそう言われて我に返った。
「うん」
慌てて頷く。
「頑張ろう」
二人の別れの場面をどうするのか。
ウェンディは何も聞いてこなかった。
アルマークも何も言わなかった。
でも、ウェンディもきっと最後の練習のときの演技のままでいいとは思っていないはずだ。
「心を込めるわ」
ウェンディは言った。
「そうすれば、きっと大丈夫だと思うの」
「うん」
アルマークは頷いた。
「僕も心を込めるよ」
それで大丈夫なのか。
はっきりとは言えないけれど、アルマークにもそれが一番正しい気がした。
舞台袖から客席を覗きに行ったデグが頬を紅潮させて帰ってくる。
「すげえすげえ。満員だぜ」
その言葉に、みんなの間に緊張が走る。
「ああ」
胸を押さえてノリシュが言う。
「緊張してきた」
「のどが渇いてきたな」
ピルマンが急に咳払いを始めた。
どこかから帰ってきたネルソンとセラハはもうすっかり別人の顔をしていたが、それでも満員と聞いて、少し顔を強張らせた。
「みんな、心配は要らない」
その空気を感じ取ったウォリスが、すぐに声を励ました。
「適度な緊張は、演技にいい効果を及ぼす」
それでも、みんなの表情は緩まない。
「台詞、もう一回確認しようかな」
モーゲンまでがそんなことを言い出す。
「ちょっといいかい」
アルマークはウォリスの肩を叩いて、みんなの前に立った。
「参考までに聞いてほしいんだけど」
そう言って、クラス全員の顔を見回す。
「客席全体を見てしまうと、その人数の多さに圧倒されるんだ。たくさんの人と一人で対峙しているような気になってしまうからね」
アルマークは自分が旅芸人の一座で初舞台に立った時の気持ちを思い出していた。
あのとき、座長のダニーはこう言ってくれた。
「だから緊張する人は、舞台から見て、右と左と真ん中。そこに反応のいいお客さんを一人ずつ見つけて、その3人だけに向けて演技するといいよ。ほかは全部、かかしだ。その3人だけしかお客さんがいないと思うんだ」
「かかしか」
バイヤーが頷く。
「いいね」
バイヤーの他にも、何人かが納得したように頷いた。
「僕のお薦めは」
アルマークは付け加えた。
「客席の真ん中やや後ろにいるフィッケだな。きっと彼なら深く考えずに僕らの演技にまっすぐ反応してくれる」
その言葉に、壁に寄りかかっていたトルクが噴き出した。
「おい、アルマーク。遠回しにフィッケをバカだと言うのはやめろ」
「いや、別にそんなつもりは」
しかし、その一言で全体の緊張がぐっと和らいだ。
「フィッケだ。僕、フィッケを探すよ」
モーゲンが舞台袖に走っていこうとする。
「まあ待て、モーゲン」
ウォリスがモーゲンを押し留める。
「だがアルマークの言うとおりだ。その方法は理に適っている。緊張している者は試してみる価値がありそうだ」
ウォリスが言った。
「いずれにしても、今日がこれまでの集大成だ。みんな、悔いの残らないようにやろう」
その言葉にみんなが頷く。
「優勝とか、そんなものは後からついてくる話だ。僕たちは、僕たちにできることを全力でやればいい。今日は、たくさんの観客を泣かせてやろうじゃないか」
ウォリスがそう宣言すると、歓声と拍手が上がった。
いよいよ開演を待つ最後の時間。
アルマークは、自分が舞台裏に入ってきた時からずっと壁際に一人で座ったままのレイラに声をかけた。
「レイラ」
レイラが無表情でアルマークを見上げると、その髪に下げられたひときわ大きな飾りが揺れて澄んだ音を立てる。
「いよいよだね。頑張って」
「ええ」
レイラは立ち上がった。
「あなたはきっと、また大変な目に遭っていたんでしょ?」
そう言って、無表情のままでアルマークの目を覗き込む。
「でも、あなたがここにこうしているってことは、その罠をくぐり抜けたのよね」
「うん」
アルマークは頷く。
くぐり抜けた、と言っていいのか。
猶予を与えられた、という方が正しいのかも知れないが。
「まあ、今回も何とかね」
「それなら、もうあとは劇に全力を注ぐだけね」
レイラは美しい人形のような顔で言う。
今日は、王妃という役柄に合わせた化粧のせいだろう。もともと大人びた顔立ちのレイラが、さらにずっと年上に見えた。
「そうだね」
アルマークは頷く。
「これまでいろいろと不甲斐ないところも見せたけど」
「そうね」
レイラは遠慮なく頷いた。
「剣や杖を握っていないときのあなたは、不甲斐なくて見るに堪えないわ」
「まあ、否定はできないけど」
アルマークは苦笑いする。
「だけど、今日は僕の本気の、呪われた剣士アルマークをお見せするよ」
それを聞いたレイラが、不意に微笑んだ。
「期待してるわ」
精緻な人形に突如生命が吹き込まれたような、見る者が心を奪われる美しい笑顔だった。
しかしアルマークが目を見張ったときには、レイラはもう元の無表情に戻っていた。
「今、笑ったね」
「もう笑わないわ」
レイラは澄ました顔で言った。
「最後に笑う練習をしたのよ。次に笑うのは、舞台の上」
アルマークが口を開こうとしたとき、ウォリスの大きな声がした。
「さあ、始めるぞ」
舞台裏に、もう一度緊張が走る。
「行きましょう」
レイラが言った。
もうその全身に氷のような冷たさをまとっていた。
アルマークは頷く。
ウォリスがもう一度声を張り上げた。
「演者も演出も、全員配置に付け。幕を上げるぞ」
こうして、いよいよ3年2組の劇「笑わない王妃」が幕を開けた。




