舞台裏
みんながまた本番前の最後の準備に散ったあとで、ネルソンがアルマークの傍らに立った。
ネルソンはもう武術用の防具に塗料を塗った木で装飾を施した衣装の鎧を身に着けて、ほとんど準備万端だ。
「もう時間がねえ。ぶっつけ本番だぞ、アルマーク」
ネルソンはもう一度確かめるようにアルマークを見た。
「大丈夫か」
アルマークは力強く頷く。
「ああ。大丈夫だ」
「よっしゃ」
ネルソンが握りこぶしを作る。
「今日の朝早くに父ちゃんが着いたんだ」
「君のお父さんが」
「ああ」
ネルソンは嬉しそうに頷く。
「お前との立ち回りがすげえって手紙に書いちまったんだ。正直、あのシーンがなきゃ締まらねえなって思ってたところだ」
「そうか」
アルマークは微笑む。
「お父さんにいいところを見せよう」
「おう」
ネルソンはアルマークの肩を叩いて、きょろきょろと辺りを見回す。
「ノリシュ! 最後の確認……あれ、ノリシュは?」
「向こうでウェンディの衣装を着せるのを手伝ってるわ」
そう言いながらキュリメが歩み寄ってきた。
他の生徒はもうみんな衣装姿だが、劇に出ないキュリメだけはいつもの制服のローブ姿だ。
「おう、そうか。悪りい!」
そう言って走っていこうとするネルソンの耳を黒いドレス姿のセラハが捕まえた。
「着替えてるって言ってるでしょ。どうしてそっちに行こうとするのよ」
「いてて。お、おう、そりゃそうだな」
ネルソンは顔を赤らめて頷く。
「それじゃあ仕方ねえ。俺はそろそろ騎士になってくるわ」
そう言ってみんなから離れていく。
騎士になる。
それは格好のことではないだろう。
配役が決まってからずっと、悩みながら煮詰めてきたネルソンの騎士像。
いつものネルソンから騎士ネルソンに変わるために、一人になりに行ったのだ。
「キュリメ、君にも迷惑をかけたね」
アルマークの言葉に、キュリメは首を振る。
「ううん、いいの。ウォリスに急に台本変えてくれって言われたときは驚いたけど、ああいうときって自分でも驚くくらい頭が回るのね」
「ちゃんと辻褄を合わせたもんね」
セラハがそう言って頷く。
「大したものだわ、キュリメは」
「でも、君の苦労も結局また無駄になってしまって」
アルマークが言いかけるが、キュリメはやはり首を振る。
「無駄じゃないわ。これはこれでいい経験になった」
キュリメはアルマークの顔を見て、いたずらっぽく笑った。
「でも、もし私に申し訳ないと思っているのなら、それは劇で返してね」
「劇で」
「うん」
キュリメは頷く。
「私が、ああ、この台本を書いてよかった、みんなにこの劇をやってもらってよかったって思うような、すごい演技を見せてよ。間違っても、やっぱりあの二人を抜いた台本のほうが良かったかも、なんて思わせないでね」
「分かった」
アルマークは頷いた。
「約束する」
「何でも約束するんだから。アルマークは」
セラハが笑った。
「さて、ネルソンが騎士になりに行ったし、私もそろそろ魔女になろうかな」
そう言って、黒いドレスを翻して去っていく。
セラハも、これからいつもの自分ではない魔女セラハになるのだ。
「みんなかっこいいな」
「アルマークも早く着替えないと」
キュリメがアルマークを急かす。
「うん。でもまあ、僕の衣装は」
アルマークは舞台裏の隅に丸めて置いてあった汚れたローブを手に取る。
「これだけだからね」
そう言ってその場で服を脱ごうとすると、キュリメは慌てて自分の顔を手で覆う。
「いきなり脱がないで」
「あ、ごめん」
「じゃあ行くね。頑張ってね」
キュリメは顔を隠したままで足早に去っていく。
そこに、すれ違うようにして入れ替わりにバイヤーがやってきた。
森の精霊らしく、服にはたくさんの木の葉があしらわれている。
「アルマーク、間に合ってよかったね」
「バイヤー。君にも心配かけたね」
そう言いながら、ふと思い出してさっき飲んだ薬湯の小瓶を見せる。
「そういえば、セリア先生に今日もらった薬湯は、青い透明のきれいな液体だったよ」
「あ、それは」
バイヤーの顔色が変わる。
小瓶の中に僅かに残った液体に目を凝らして、うめき声を上げた。
「苦味を徹底的に取り除いた献上薬湯だ。やっぱりセリア先生も作れたんだ」
「貴重なものなのかい」
「そりゃそうさ」
バイヤーは頷く。
「王族に献上するために、苦味や渋みといった飲みづらい成分だけを、薬効を変えることのないよう慎重に取り除くんだ。作れる魔術師は何人もいないと言われていて、ものすごい手間がかかってるんだよ」
「そうか。どうりで飲みやすかったわけだ」
「うらやましい」
バイヤーは恨めしそうに空の小瓶を見た。
「僕も飲んでみたかった」
「少し残してあげればよかったね。そんな貴重なものだとは知らなかったものだから」
「いや」
悔しそうな顔でバイヤーは首を振った。
「欲しいものは自力で手に入れなさい、という天の声だよ、これは」
それから、気を取り直したようにアルマークの顔を見る。
「でも、君はいい具合に力が抜けたみたいだね」
「僕?」
アルマークは首をひねる。
「そうかな」
「こんな劇の直前で、薬湯のことが思い出せるわけだからね」
「ああ」
アルマークは頷いた。
「そうかもしれない。だとしたら、君のアドバイスのおかげかな」
「違うと思うけど」
バイヤーはそう言って右手を出す。
「もし君が感謝してるのなら、その小瓶、僕にくれないか」
「いいとも」
バイヤーが小瓶を大事そうに両手で持って立ち去っていくと、アルマークは今度こそ、上衣を脱いで手早く衣装のローブをまとった。
そこにトルクとレイドーが通りかかった。
王様役なので、二人とも上質の貴族の服にマントを羽織っている。
トルクが似合うのは当然だが、平民のレイドーがその服を着こなしているのに驚く。
本番では付け髭もする予定だ。
「やあ、アルマーク」
レイドーが微笑む。
「大変だったね」
「君たちにも心配をかけたね」
「とにかく二人とも来てくれてよかったよ。本番は頑張ろう」
レイドーが穏やかにそう言って歩き去ると、トルクがそれを見計らったようにそっと顔を寄せてきた。
「おい」
低い声で辺りを伺うようにしながら、尋ねる。
「ウェンディが倒れたって聞いたが、やっぱりあれか。お前と許嫁の板挟みになって、どっちも選ぶことができずに」
「いや、違うよ」
アルマークは苦笑いする。
「実は、邪魔が入ってその件はちゃんと訊けなかったんだ」
「なんだ、つまらねえ」
トルクは顔をしかめた。
「許嫁が劇を見に来てるんじゃねえのか」
「えっ、来てるのかい」
「来てるかもしれねえ」
トルクはにやりと笑う。
「来てねえかもしれねえ」
それから、ちらりとアルマークの顔を見て意外そうな顔をする。
「なんだ。ずいぶん落ち着いてやがるな」
「うん」
アルマークは頷いた。
「まあ、許嫁が来てるなら、それはそれで」
それはウェンディの事情だ。仕方ない。
もちろんアルマークだって気にならないわけではない。
でも、今は目の前の劇に集中する。
「トルク、ウェンディにたとえ許嫁がいたとしても」
アルマークは言った。
「この劇の中では、僕がウェンディの恋人なんだよ」
「なんだ、そりゃ」
トルクは呆れたような声を出した。
「当たり前だろ。キュリメがそういう台本を書いたんだからよ」
「そうさ」
アルマークは微笑んだ。
「だから、今はもうそれでいいんだ」
「なんだか知らねえが」
トルクは舌打ちして首を振った。
「つまらねえな。吹っ切れた顔をしやがって」
「さあ、もうそろそろ時間だよ」
トルクが去った後、狩人姿のモーゲンが舞台裏に入ってきて、そう声を上げた。
時間を惜しんで露店巡りをしていたようで、その手にはまた何かの食べ物が握られている。
「モーゲン、その格好で外に出たのかい」
ピルマンが呆れた声を上げる。
「うん。結構みんな面白がっておまけしてくれたよ」
モーゲンは肩の獣の皮をひらひらさせながら、平然と答える。
「モーゲン」
アルマークは手を上げた。
「ありがとう。僕とウェンディで食べたけど、結構残ってしまった」
そう言って、包み紙で包んだ食べ物の残りを差し出す。
「おっ」
モーゲンは嬉しそうな顔をする。
「じゃあそっちは劇が終わってから食べよう」
そう言って受け取ると、モーゲンは周りを見回す。
「あれ、ウェンディは?」
「今、衣装に着替えてる」
「そうか」
モーゲンは頷く。
「君はもう着替えたんだね」
「うん」
アルマークは両手を広げてみせる。
「僕の衣装はこれだけだからね」
「そうか。簡単だね」
モーゲンはそう言って、自分のかぶっている鳥の羽根の付いた帽子を片手で持ち上げる。
「まあ僕も大した衣装じゃないけど」
「そういえば君は」
アルマークはふと思い出して、モーゲンに尋ねた。
「僕とウェンディが来たとき、驚いていなかったね」
「そりゃそうだよ」
モーゲンは笑う。
「君が、きっと行くって僕に言ったんだもの。来るに決まってる」
モーゲンはアルマークの顔を誇らしそうに見た。
「僕は君に約束を破られたことは、一度もないからね」




