朝
長い夜が過ぎていった。
アルマークは椅子の上で膝を抱え込んだそのままの体勢で、まんじりともせずに一晩を過ごした。
ウェンディの穏やかな寝息を、自分の心臓の鼓動のように感じていた。
最も寒い時間を過ぎ、窓の外で鳥の鳴き声がし始めた頃、不意にドアが開いた。
「やはりここか」
そう言いながら入ってきたのは、ウォリスだった。
ベッドで眠っているウェンディを一瞥したあとで、アルマークの顔を見る。
「ひどい顔だな」
ウォリスは言った。
「一晩徹夜しただけでそんな顔になるとも思えん。どうせつまらんことでも考えていたんだろう」
アルマークが答えないでいると、ウォリスは窓際に歩み寄り、大きく窓を開け放った。
冬の冷たい空気が室内に流れ込んでくる。
「空気と一緒に頭の中も入れ替えるんだな」
「どうしてここにいるってわかったんだい」
毛布から頭を出したアルマークがそう尋ねると、ウォリスは肩をすくめる。
「イルミス先生から連絡があった。ウェンディが体調を崩して医務室で休んでいて、君がそれに付き添っていると」
「そうか。イルミス先生が」
「今、キュリメに台本を書き直してもらっている」
「え?」
ウォリスの言葉に、アルマークは顔を上げる。
「どうして?」
「君とウェンディが出られない可能性も考慮してだ。君たちが出なくても物語の辻褄は合わせなくてはならないだろう」
そうか。
アルマークはウェンディの寝顔を見る。
劇には、当然のように出られるものだと思っていた。
でも、もしもウェンディがこのまま目を覚まさなかったら、そういうわけにはいかないのか。
「そうなったら、皆に迷惑をかけてしまうね」
「そこは僕が考えればいいだけの話だ。僕はそういうことに頭を使うのを厭う人間ではない」
ウォリスは言った。
「劇は、どちらに転んでもいいようにしておく」
それから、覇気のない表情のアルマークを睨みつける。
「いいか。悩む価値があるのは、悩んで結論が出せることだけだ。いくら悩んだところで今はまだ何の結論も出ないようなことに頭を悩ませる意味などない。そんなことをいつまでもうじうじと悩み続けるのは」
ウォリスは、アルマークの一番言われたくない言葉を言った。
「臆病者のすることだ」
言葉に詰まるアルマークを呆れたように見やって、ウォリスは医務室を出ていく。
「限られた脳みそは、結論の出せることに使え」
最後に背中を向けたままでそう言って、ひらひらと手を振った。
「アルマーク、ウェンディ」
ウォリスが出ていってしばらくしてからだ。
両手に露店の食べ物をどっさりと抱えて、モーゲンが飛び込んできた。
「ウェンディが具合悪くなったって聞いたよ。なにか変なものを食べたんじゃないかな」
「ああ、モーゲン。おはよう。いや、違うんだ」
アルマークはモーゲンに押し付けられた串物を受け取りながら慌てて否定する。
「そういうことじゃなくて。あいつが来たんだよ」
「あいつ?」
「うん。僕の右手に呪いをかけた魔術師が」
「えっ」
モーゲンは目を丸くした。
アルマークはモーゲンに簡単に昨日の成り行きを説明する。
「僕が露店巡りをしている間に、そんなことが」
モーゲンは首を振る。
「じゃあ、ウェンディはあの冬の屋敷のときと同じような状態になったのかい」
「うーん」
アルマークは首を傾げる。
「少し違うな。あのときは、ウェンディの強い意思で力が解放されたようにも見えた。でも、昨日は明らかに無理やりあの状態にされたんだ」
「なるほど」
モーゲンは難しい顔で頷く。
ウェンディの顔をそっと覗き込んで、アルマークを振り返る。
「ウェンディは、眠ってるだけかい」
「うん。セリア先生は、心配ないって」
「それなら良かった」
モーゲンはテーブルに食べ物をどさどさと置いた。
「ここに置いてくから、ウェンディが目を覚ましたら二人で食べてよ」
「ああ、ありがとう」
「じゃあ」
モーゲンは手を振って、ドアの方に歩いていく。
「もう行くのかい」
「ごめんよ。劇の準備でいろいろと忙しいんだ」
モーゲンは振り返るとすまなそうに答えた。
「本当はほかのみんなもここに顔を出したがっていたんだけど。でも君たちが抜けた場合の演出とか、ウォリスが急遽いろいろと変更を考えてくれて、その打ち合わせと練習をこれから大急ぎでしないといけないんだ」
「ああ、そうか」
アルマークはうなだれる。
「すまない。迷惑を掛けるね」
「でも、待ってるよ」
モーゲンはそう言って笑った。
「準備だけはするけど、アルマークとウェンディなら大丈夫だって分かってるから。二人で来てよ」
アルマークが顔を上げると、思いがけず真剣な顔のモーゲンと目が合った。
「僕はアルマークが舞台でかっこよく戦うところを、いろんな人に見てほしいんだ。僕の友達はこんなにかっこいいんだって、僕にも自慢させてよ」
「ありがとう、モーゲン」
アルマークは頷いた。
「きっと行くよ」
モーゲンは笑顔で医務室を出ていった。
どこか遠くで、ずずん、と低い地響きのような音がした。
「またやったか」
開け放たれた窓から、どこかの教師たちの声が聞こえてくる。
「今年はどこだ」
「中等部の二年ですって」
「毎年どこかで爆発が起きるな。これだから魔術祭は」
慌ただしくそんなことを言いながら足音が遠ざかっていく。
いつかウェンディが教えてくれたっけ。
アルマークは思い出す。
魔術祭は魔法が暴走して危ないから、王族は来ないんだって。
困ったときはいつもウェンディが教えてくれた。
なんでもウェンディに訊けば何とかなると思っていた。
それは間違いない。
でも、それだけじゃなかったな、とアルマークは窓の外に目をやった。
昨日の夜は、世界にまるで自分とウェンディの二人だけになってしまったような、そんな気分で、ぐるぐると出口のない思いを頭で巡らせていた。
けれど、朝が来たら、ウォリスが窓を開け放ってくれた。
そしてモーゲンが、二人を待っていると言ってくれた。
僕たちは、二人きりじゃない。
ここに、たくさんの仲間がいる。
アルマークはそれをあらためて思い出した。
窓から入ってくる風は、北生まれのアルマークにはちょうどいい冷たさだった。
その風に吹かれながらウェンディの顔を見ているうちに、アルマークはいつの間にか眠っていた。
ふと目を開けると、目の前にウェンディの顔があった。
「おはよう、アルマーク」
ウェンディはそう言って、微笑んだ。
アルマークが少しまどろんでいる間に、どうやらウェンディのほうが先に目を覚ましてしまったらしい。
もうウェンディはベッドから起き上がって、アルマークの傍らに座っていた。
窓の外の太陽は、すっかり高く昇っていた。
「時間になっちゃうね。私、寝過ぎちゃった」
ウェンディは恥ずかしそうに言った。
その顔に少し赤みが差していた。
アルマークはそれを見ただけで、なぜだか泣きそうになった。
「行こう、アルマーク。私達の劇が始まっちゃうよ」
ウェンディが立ち上がって、アルマークの手を取った。




