補習
「ダメだ」
イルミスはあっさりと首を振った。
「君の魔法習得は急務だ。闇の罠が迫っているからというだけではない。初等部が終わるまでに一通りの魔法を身に付けねば、中等部に進級できないからだ。魔術祭があるからとはいえ、補習を休むことは許されない」
「……はい」
アルマークは頷いた。
確かにイルミスの言うことはぐうの音も出ない正論で、アルマークとしては頷くしかなかった。
先生の言うとおりだ。
僕はここに何をしに来たんだ、とアルマークは自分を叱る。
役者になるためにはるばるこんな南の果てまでやって来たのか。違うだろう。
一日も早く立派な魔術師になって、堂々と北へ帰るんじゃないのか。
そう言い聞かせてはみたが、やはりどうしても微笑むウェンディの顔が、張り切るネルソンの顔が、ちらちらと脳裏をよぎる。
これじゃダメだ。
アルマークは頭を振る。
集中。集中だ。
目の前の魔法に集中しなければ、また取り返しのつかない失敗をするぞ。
アルマークは険しい顔をして、雑念を消そうと試みる。
「とはいえ」
不意にイルミスが言ったので、アルマークはイルミスの顔を見る。
「私にはもう一人見なければならない生徒がいる」
イルミスはそう言って、顎でアルマークの背後の壁際を示した。
そこに、真っ青な顔で目を閉じて座っているのはラドマールだった。
「今日も顔色が悪いですね」
アルマークが言うと、イルミスは苦笑して頷く。
「闇払いの薬湯は、数ある薬湯の中でも屈指の苦さだからな。それでもまあ、小指の先くらいは飲めるようになった。最初は舐めただけで悶絶して気を失ったからな」
「気持ちは分かります」
アルマークは頷く。
ラドマールの飲んでいるのは、アルマークが武術大会の時に飲んだ薬湯よりもさらにひどい味の薬湯だ。
聞いたところでは、これを小瓶一本飲み干せるようになったら学院に残ってもいい、と学院長は言ったらしい。
期限がいつまでなのかは知らないが、先は長そうだ。
その恐ろしい試練に挑戦中のラドマールは、今は吐き気をこらえて基礎の瞑想の真っ最中だ。
「彼は闇への耐性が高い」
イルミスは声をひそめて言った。
「だが、それは闇との親和性の高さと紙一重だ。うまく導いてやらねばならん」
「はい」
アルマークは頷く。
「でも、彼ならできると思います」
「その根拠は何かね」
「なんとなくです」
アルマークは笑った。
「それではダメですか」
「ダメも何もあるまい」
イルミスはため息をついた。
「とにかく、彼は手がかかる。私も君をじっくりと見ている余裕がなくなる」
「えっ」
アルマークがイルミスの顔を見ると、イルミスは口許をわずかに緩めた。
「これから当分の間、君の補習はラドマールの瞑想が終わるまでに済ませることにしよう。瞑想が終わったあとは私は彼の指導に懸かりきりになるからな。君は帰って自習したまえ」
イルミスの言わんとしていることが分かり、アルマークは目を輝かせる。
「先生、ありがとうございます」
「お礼を言われる筋合いはない」
イルミスは顔をしかめた。
「短い時間で最大限の集中をしたまえ。それができないなら、いくら準備に時間をかけようが魔術祭でもろくな結果にはならないぞ」
「はい」
アルマークは頷き、今度こそ雑念を振り払った。
「よし。そこまでにしよう」
イルミスが手を叩いた。
アルマークは集中を解いて、浮かせていた小石を床に落とす。
「最初に比べれば、だいぶ集中力はましになった」
「ありがとうございます」
アルマークは額の汗を拭う。
イルミスは小石を拾うと、アルマークに手渡す。
「私はあとはラドマールを見ることにしよう。君はこれを片付けたら行くべきところへ行きたまえ」
「はい」
アルマークは頷く。
小石を壁際の箱に入れてから戻ると、イルミスがふとアルマークに尋ねた。
「劇には君も出るのか」
「はい。脚本のキュリメ以外は全員出ます」
「全員」
イルミスは目を見開く。
「それでは見ている人が混乱しないように工夫しないとな。誰が誰だか分からずにざわめき出す客席を舞台の上から見下ろすのは辛いぞ」
その言葉に不思議な実感がこもっていて、アルマークは思わず吹き出す。
「先生の実体験ですか」
「違う」
イルミスは首を振った。
「初等部の時の私のクラスの劇は大成功だった。君も会ったというあの、ライヌルという男」
その名前を聞いてアルマークの顔がこわばる。
ガライ王国の宮廷魔術師にして、アルマークの右手に蛇の呪いをかけた張本人と目される人物。
そういえば、ライヌルはイルミスのかつての同級生だった。
イルミスはあくまで穏やかに続ける。
「彼が貴族を、私はその従者を演じた。彼は嫌みな貴族の演技が抜群にうまくて、客は大受けだった」
「先生が従者を」
アルマークは目を丸くする。
「それは、あまり想像できません」
「子供の頃の話だ」
イルミスはそう言って薄く笑った。
「君の劇も楽しみにするとしよう」
「はい」
アルマークは微笑む。
「是非、見にいらしてください」
「何の役をするのかね」
「呪われた剣士の役です」
その答えにイルミスは眉をひそめる。
「穏やかではないな。だが、君に適役と言えそうな気にもなる」
「台本を書いたキュリメが凄いんです。みんな自分にぴったりの役を当てられています」
「そうか。キュリメか」
イルミスは頷いた。
「彼女には天性の観察眼がある。余計なことを口にせず、端的に本質を見抜く」
「はい。僕もそう思います」
「ならば、あとは君たちがその台本を最大限に生かすだけだな」
イルミスは微笑むと、アルマークの肩を叩いた。
「さあ、もう行きたまえ」
「はい」
アルマークは頭を下げた。
「ラドマール。瞑想はそこまでだ」
イルミスに声をかけられ、ラドマールが目を開けてのろのろと立ち上がる。
「この程度の瞑想で疲れたのか。君は基礎体力を付けるところからだな」
イルミスの呆れた声を背に、アルマークは魔術実践場を小走りに後にした。




