台本
薬湯実習を無事に終えてから数日後のこと。
その日は朝から霧のような雨が降っていた。
雨足は弱いので、雨避けの外套まで羽織る必要はないが、頭が濡れないようにフードをかぶっていかなければならないだろう。
アルマークは制服のローブのフードを目深にかぶって寮を出た。
校舎への道では、誰もがフードをかぶっていて、後ろからでは顔どころか髪の毛すら見えないのだが、アルマークはすぐ前を歩いているのがウェンディだとすぐに気付く。
「ウェンディ」
小走りで隣に並んで声をかけると、ウェンディは顔をあげて嬉しそうに微笑んだ。
「おはよう、アルマーク」
「おはよう。雨だね」
言わずもがなのことを言うが、ウェンディは頷いてくれる。
「うん。雨」
二人で並んで歩きながら、アルマークは思い付いた話をする。
「そういえば魔術祭がだんだん近付いてきたね」
「うん。劇だね」
ウェンディが頷く。
「そろそろキュリメの台本が出来てこないと忙しいかなぁ」
「え?」
「ほら、劇って道具や背景を作ったり、台詞を覚えたりしなきゃならないし。それにただの劇じゃないから魔法の準備もあるしね」
「なるほど」
アルマークは頷く。
「あ、でも、台詞を覚えるのは劇に出る人だけだから、残りの人で一気に準備しちゃえばなんとかなるのかな」
ウェンディの言葉に、アルマークは、いや、と答える。
「キュリメが、自分以外は全員出るって言ってたよ」
「えっ」
ウェンディがアルマークを振り返ると、その動きに合わせてフードの上を雨粒が滑る。
「全員出るの? じゃあ私も出るのか」
「普通は違うのかい? 僕にはその辺が分からないんだけど」
「去年と一昨年の上級生の劇を見たけど、出てたのはせいぜいクラスの半分くらいかなぁ。残りの人は裏方で光を出したり音を出したりしていたけど」
ウェンディは思い出すように人差し指を唇に当て、そう答える。
「ほら、あんまりいろんな人が入れ替わり立ち替わり出ると、見ている人にはよく分からなくなってしまうでしょ」
「確かにね」
アルマークは頷く。
「15人も出るんだもんな。そこはキュリメの腕が問われるわけか」
「そうね。もちろん台本の良し悪しもあるだろうけど」
ウェンディは言った。
「あとはクラス全員で実際に動いてみて、やりやすいよう、分かりやすいように変えていかないと。台本を書いた人一人のせいにはできないでしょ」
「なるほど」
アルマークは微笑む。
「みんなの劇だからね。君の言うとおりだ」
「うん」
ウェンディはアルマークに笑い返してから、でも楽しみだな、と呟く。
「どんな劇になるのかな」
「話し合いのときはいろんなアイディアが出ていたよね」
アルマークは言う。
「ネルソンは騎士物語がいいとか、ノリシュは悲恋物語がいいとか。ピルマンかバイヤーが歴史を題材にした物語がいいって言ってたっけ。あと、レイドーが大家族ものとか言って、モーゲンが……なんだったかな」
「モーゲンは、森のなんとか……だった気がするけど。よく覚えてないなぁ」
ウェンディもそう言って首を捻る。
雨の降りは弱いが、昨夜遅くから降りだして、もう長いこと降り続いているのでそこかしこに水溜まりができている。
道の真ん中に大きな水溜まりがあったので、アルマークは先に飛び越えて、手を差し出してウェンディが飛び越えるのを助ける。
「ありがとう」
ウェンディは嬉しそうにそう言って、手を離した後で話を続ける。
「アルマークは、どんな劇がしたかったの」
「僕?」
「うん。アルマークにだって何かあるでしょ」
アルマークはしばらく考えて、首を振る。
「実は、何も思い付かないんだ。確か、話し合いのときも何も考えていなかったと思う」
「そうか。アルマークは魔術祭も初めてだもんね」
ウェンディは頷く。
「イメージがわかなくても仕方ないよ」
「君はどうなんだい」
アルマークが聞き返す。
「やっぱり何かやりたかった劇が?」
「私はね……」
ウェンディはそう言って微かに笑う。
「やりたいと言うほどじゃないんだけど、素敵だなって思った劇があって」
ウェンディはアルマークを見る。
「私が1年生の時の3年生がやっていた劇で、ヒロインをやった先輩がすごく素敵だったの。勇敢に戦って最後は死んでしまう役なんだけど、迫力もすごくて」
それから、恥ずかしそうに、私、見てて泣いちゃったの、と付け加える。
「そうか。僕も見たかったな」
アルマークは頷いて、自分の知る下級生たちの顔を思い浮かべる。
エルドやシシリー。ザップやフィタ、ラドマール。
彼らが思わず涙するような。
「僕たちもそんな劇がやりたいね」
「そうだね」
ウェンディが頷く。
校舎が見えてきて、アルマークはいつも、校舎がもう少し遠ければいいのに、と思う。
朝、全員が教室に揃ったところでウォリスが教壇に立った。
「みんな、聞いてくれ」
いつものように賑やかに騒いでいたクラスメイトたちが、何事かと静かになる。
「今日の最初のフィーア先生の授業は、僕たちで使わせてもらえるようお願いしてきた。キュリメ、前に来てくれ」
名前を呼ばれて、キュリメが恥ずかしそうにウォリスの隣に立つ。
「魔術祭の劇の台本を、キュリメが書き上げてくれた」
ウォリスの言葉に、おお、とどよめきが上がる。
「待ってたぜ」
ネルソンが一番に声を上げる。
「楽しみにしてたんだ。早く見てえ」
「うるさいわよ。キュリメが出し辛いでしょ」
ノリシュに睨まれて、ネルソンは舌を出す。
「うるせえのはお前だっつうの」
「まず、前回の実習のグループになってくれ」
ウォリスは二人に構わずそう指示を出す。
全員の移動が終わったところで、ウォリスは紐で丁寧に綴じられた数冊の本を取り出した。
「これだ。ちなみに、劇にはキュリメ以外の全員が出る」
その言葉に、再びどよめきが起きる。
「僕も出るの? お菓子でも食べながら裏方をやろうと思ってたのに」
「ちっ。めんどくせえな」
「主役だったらどうしよう」
「ピルマン、多分それはないと思うよ」
みんなが一斉に喋り出すのを、ウォリスが手を叩いて静かにさせる。
「話を続けるぞ。僕の方でキュリメから台本をもらって、5冊複製を作った。それだけでも休日が潰れたんだ。大変だった。誰か誉めてくれ。誉めてくれないのか、まあいい」
ウォリスは淡々と話し続け、誉めるタイミングを失ったクラスメイトたちは微妙な表情をする。
「各班に一冊ずつ配る。あとは自分たちで必要なところを手で写すなり、写し字の術を使って複製を作るなり、まあ好きにしてくれ」
そう言って、各班のリーダーに一冊ずつ台本を渡していく。
「結構厚いぜ」
ネルソンが呟く。
「まずはみんなで読んでみてくれ。ちなみに僕は素晴らしいと思ったよ」
そう言ってウォリスが微笑みかけると、キュリメは真っ赤な顔でうつむく。
全員が自分の班のリーダーの周りに集まり、額を寄せ合うと、食い入るように台本を読み始める。
ただ一人、教壇の前に残ったキュリメは心配そうな顔でみんなの表情を見つめる。
ページを繰る音だけが響く、静かな時間が流れた。
途中、ところどころで忍び笑いが漏れた。
かと思うと、一転してすすり泣きが漏れるところもあった。
最後まで読み終わった後で、ネルソンが呟く。
「すげえ」
本当に感動した顔をしていた。
「騎士物語だ」
「違うわよ」
すぐにノリシュが言う。
「悲恋物語でしょ」
その言葉に、リルティとセラハが頷く。
「歴史物語じゃないか。実在の人物と題材を使って」
バイヤーが嬉しそうに言い、ピルマンもこくこくと頷く。
「いや。これはテーマとしては家族ものだよ。大家族ではないけれど」
レイドーが口を挟む。
「何言ってるんだ。これ、森の味覚採集物語じゃないか。僕の提案した」
裏方がいい、などとさっきまで言っていたはずのモーゲンが興奮した様子で言う。
トルクは渋い顔をして黙っている。
レイラは冷静な顔でもう一度最初から台本をめくり始めた。
「とにかくすげえ。俺たちの提案が全部入ってたってことだ」
ネルソンの言葉に、ノリシュが珍しくすぐに同意した。
「うん。ほんとにすごいわ、キュリメ。すごいとは思ってたけど、予想以上だった」
それにクラスのほぼ全員が頷く。
自然と拍手が沸き起こった。
キュリメはようやく安心したように微笑んだ。
「よかったな、キュリメ」
再び教壇に戻ってきたウォリスが、キュリメの肩を抱く。
「素晴らしかった」
優しくそう言われて、キュリメは真っ赤な顔でウォリスを見上げた。
「ありがとう、ウォリス。いろいろと相談に乗ってくれて」
「当然だ。僕が君を指名したのだから」
ウォリスはそう言って頷く。
「とはいえ、これからが本番だ。もう一頑張りしてもらうぞ」
「うん」
キュリメは嬉しそうに頷いた。
「ウェンディ」
アルマークは台本から顔を上げ、ウェンディを見る。
「僕は呪われてる」
「私はもう死んでたわ」
ウェンディは苦笑いする。
「でも、恋人同士なんだね」
「そうみたいだ」
アルマークはぎこちなく頷く。
同じようにぎこちない表情のウェンディと目が合い、二人で顔を見合わせて笑う。
「いい劇にしよう」
「うん」




