闇の力
その後も、時折道を行ったり来たりしながら、3人は確実に校舎に近付いていた。
「あと少しだ」
ザップがそう声を励ました。
「うん」
フィタが笑顔で頷く。
「頑張ろう、ラドマール」
そう言って振り向くと、不意にラドマールが道の脇に座り込んだ。
「先に行ってくれ」
「何言ってるの」
フィタが目を丸くする。
「あと少しだよ。ここまで来れば私でも分かるよ。頑張ろう」
「そうだよ。本当にあと少しだ」
「分かっている」
ラドマールは二人の言葉に頷く。
「分かっているが、もう本当に歩けないんだ。たぶん二回目だからかもしれないが、飛び足の術の効果も切れてしまっている。荷物まで持ってもらったが、限界だ」
汗を滴らせて肩で息をするラドマールの姿に、二人は困った顔をする。
「だけど、心配は要らない。もう僕たちの周りに闇の気配は全くない」
ラドマールはそう言って笑顔で二人を見上げた。
「先に行ってくれ。できれば大急ぎで帰って、誰かを迎えによこしてくれると助かる」
二人は顔を見合わせた。
「でも」
フィタが焦れったそうな顔をする。
「もう少しなのに」
「君たちに、僕を支えて歩く力はないだろう」
ラドマールは言った。
「さあ、早く。またいつ闇が来るか分からないんだ」
その言葉に、ザップが意を決したように頷く。
「分かった。急いで帰る。すぐに誰かを呼んでくるから、ここで待っててくれよ」
「ああ」
ラドマールは頷く。
「頼む」
「行こう、フィタ」
「う、うん」
フィタはそれでも心配そうにラドマールを振り返った。
「すぐに誰かを呼んでくるからね」
「ああ」
ラドマールは手をあげた。
「信じている」
ザップとフィタは、校舎への道を走り出した。
さすがは飛び足の術。
たちまち二人の揺れるランプが見えなくなる。
ラドマールはランプを地面に投げ出し、痛む足をさすって、ふう、と息をついた。
嘘だった。
小さな闇の気配が二つ。
後ろから迫っていた。
自分のペースに合わせていたら、逃げ切れない。
3人ともが追い付かれてしまうだろう。
だから、自分が残ることにした。
こうして嘘でもつかなければ、ザップもフィタも自分を見捨てて先に行くことはできなかっただろう。
仕方ない。
それでもちっぽけなプライドを捨てきれなかった。
最後の最後まで、足手まといになるのはごめんだった。
僕はこれから魔物に食われる。
だがそれも、一度は闇に魅入られた者の運命なのかもしれない。
闇を感じ取る能力。
それがたとえ闇の力とはいえ。
一過性の力とはいえ。
ラドマールにとって、それは特別な力だった。
この力のおかげで、初めて人に頼られた。
信頼を受けた。
この力が消えて、また元の何もないラドマール・トレイホルムに戻るくらいなら、ここでこの闇とともに消えるのも悪くない。
いいじゃないか、仲間二人の命を救うことができたんだ。
それだけでも、意味のある生だった。
ラドマールは、二人が消えた先を見て、それから背後の闇を振り返った。
小さな闇の気配が二つ、近付いて来るのが分かる。きっとさっきのジャラノンとかいうやつだろう。
ふと、アルマークたちの顔を思い出す。
次に生まれるときは、僕にも彼らみたいな仲間が欲しいな。
ラドマールは思った。
お母様。僕の示せる誇りは、所詮この程度です。
闇が、深くなった気がした。
突然、迫っていた闇の気配が二つとも弾けるように消えた。
その代わりに、とてつもなく大きな闇の気配が立ち上った。
アルマークたちと一緒の時に感じた大きな闇の気配よりも、さらに大きな闇の気配。
なんだ、これは。
ラドマールは混乱した。
こんな大きな気配が、突然どうして現れるんだ。
全身が、一気に総毛立った。
凍るような思いで、道の先を見た。
一体、どんな闇の魔物なら、こんな力を示せるんだ。
歯がかちかちと鳴った。
怖い。
覚悟はできているつもりだったが、桁がまるで違った。
こんなものすごいのが来るなんて、想定してないぞ。
嫌だ。助けてくれ。
本能的にそう思った。
闇の中から、それはゆっくりと現れた。
ラドマールは、目を見開いた。
「なんだ」
つまらなそうに金髪をかきあげたその少年を、ラドマールは知っていた。
実習が始まるときに指示を出していた、3年生のクラス委員だ。
それは分かる。
だが、こいつから立ち上るこの凄まじい闇の力は何だ。
「闇の小物が3匹と思ったら、一人は人間か」
みんなの前で指示を出していた時とはまるで違う、冷ややかな口調。
何も言えないでいるラドマールの顔を覗きこむ。
「貴様」
その口許がにやりと歪む。
「闇を入れたな。この気配が分かるのか」
ラドマールは何も答えられなかった。
何か余計なことを言えば、殺されるよりもなお恐ろしい目に遭うのではないか。
そんな気がした。
「アルマークの班だな。あいつらはどうした」
その問いに、ラドマールは声も出せずにふるふると首を振る。
ウォリスの目が細くなる。
身体の中に残る闇が、怯えていた。
格が違いすぎる。
今夜この森で感じた中で、最も強い闇の気配。
それは魂が震えるような恐怖だった。
「まあいい」
そう言って顔を離すと、ウォリスは片手で無理やりラドマールを立ち上がらせた。
「ひっ」
「歩けるな」
首を振ろうとしたが、ラドマールは自分の足に力が戻っていることに気付いた。
いつの間にか、身体の疲れが抜けていた。
「弱いな」
ウォリスは冷たい目で言った。
「少しは体を鍛えろ」
その言葉に、子供離れした威厳が込められていた。ラドマールは慌てて頷く。
「鍛えます」
自然とそう答えていた。
「帰るぞ」
ラドマールの返事にまるで構わず、そう言ってさっさと歩き出すウォリスを、ラドマールは慌てて追いかけた。
闇の力とは別に、その言葉には抗えない威厳があった。
「おーい、ウォリス」
道の先から、別の3年生たちの声が聞こえてきた。
「そっちに誰かいたか」
「ああ、ネルソン。こっちで一人見付けた」
そう叫び返すウォリスの口調は、すっかり元のクラス委員のようだった。
気付けば、あんなに巨大だった闇の気配も、跡形もなく消えていた。
訳もわからずに歩くラドマールを、ウォリスが不意に振り返った。
「このことは他言無用だ。それと、そんなつまらんものはさっさと吐き捨てろ。闇と呼ぶのもおこがましい、残りかすのようなものだ」
一瞬。ほんの一瞬だが、また巨大な闇の力が立ち上った気がした。
本当の闇の力の底知れなさに、ラドマールは一も二もなく頷いた。
それは、とても自分が覗いたり、ましてやもてあそんだりしていいような代物ではなかった。
「毎日、きちんと薬湯を飲むことだ」
そう言って笑ったウォリスはもうクラス委員の顔をしていた。




