炎の蛇
しゃり、しゃり、と落ち葉を踏みしだきながら、ボラパが近付いてくる。
その端正な二つの顔はどちらも無表情だが、四つの目は全てアルマークたちの方に向けられている。
そして、その口から途切れることなく漏れる奇妙な音。
距離が近くなると、ますます不快と恐怖が入り混じる。
「闇の魔人ボラパだ」
アルマークは二人に手早く説明する。
「あの口から出している音に、呪文みたいな力があるんだ。あの音で魔法を使う」
それは、アルマークたち人間とは全く違う魔法の使い方。
「魔法を使うのかい」
モーゲンが顔をしかめる。
「強そうだ」
「強いよ。北で会ったときは、悲惨だった」
アルマークは答えた。
山のようなデリュガンの大群を倒した後に現れた、3人のボラパ。
あの時、黒狼騎兵団は何人の仲間を失っただろうか。
苦く、恐ろしい記憶。
アルマーク、お前は森の外へ向かって全力で走れ。振り向くな。
蘇る父の声。すでにその剣はデリュガンの血でべっとりと汚れていた。
あの時、父はボラパとどう戦ったのか。
聞いておけばよかった。
アルマークは悔やむ。
父はもうアルマークの傍にはいない。
「口が二つあるということは、つまり同時に二つの魔法が使えるってことか」
モーゲンの言葉に、アルマークは頷いた。
「そうだ。モーゲン、冴えてるな」
「護りの術が要るわね」
ウェンディが鞄から手早く小さな壜を取り出す。
「そんなものまで準備をしてきたのかい」
「だって、闇の罠があるかもって思ったから」
ウェンディはそう言いながら、自分たちのまわりに壜の中の液体を撒く。
「これで敵の魔法も多少は弱まるわ」
ウェンディの言葉にアルマークは頷く。
「ありがとう。心強い」
そうだ。
アルマークは思った。
僕の傍にはもう、父さんはいない。
でも、ウェンディやモーゲンがいてくれる。
こんなにも心強い仲間が。
僕は仲間と一緒に戦うんだ。
「まず、ボラパの攻撃の第一波を防ぐ」
アルマークは言った。
「必ず隙ができるはずだ。そこを僕が突っ込む。二人は援護を」
「分かった」
ウェンディが頷く。
「ああ、怖いな」
モーゲンは杖を構えながら、そうぼやく。
「でも頑張るよ」
ボラパは、アルマークたちから二十歩くらいの距離で立ち止まった。
くそ。
アルマークは内心舌打ちする。
まだ、遠い。
ボラパの発する音が急に甲高くなった。
と思った瞬間、その前面の空間に溶岩のような凝縮された火球が現れた。
「対処は一人で」
アルマークが叫ぶ。
火球から、尾を曳いた炎の蛇が二匹、3人に向かって放たれた。
「僕が」
モーゲンが杖をかざす。
その瞬間、ウェンディが地面に撒いた水が光を放ち、明らかに蛇の勢いが弱まる。
モーゲンの出した見えない盾が二匹の蛇を防ぐ。
だが、その威力に後ろに二三歩よろけた。
「弱まっても、この威力なのか」
モーゲンがうめく。
「次がもう来ている」
アルマークが叫ぶ。
「私が」
地を滑るように飛んできた闇の矢を、ウェンディの光の矢が弾き落とした。
ウェンディの髪が揺れる。
その瞬間にアルマークは走り出していた。
第一波の二度の魔法。それが終わったところで必ず隙ができる。
二十歩の距離を一気に詰める。
そのうるさい首を、切り落とす。
そう思った瞬間だった。
ボラパに向かってアルマークが駆ける、その横の茂みから突然何かが飛び出してきた。
黒い獣。
「危ない!」
モーゲンの叫び声。
しまった。
アルマークはモルドに組み伏せられて地面に転がった。
他の小さいのもいくつか。
ラドマールの声が脳裏をよぎる。
情報は、あったのに。
他の魔物もいることは十分に予想できたのに。
僕はボラパに気をとられ過ぎて周りへの注意を怠った。
アルマークは身をよじって剣を振るい、モルドの爪から逃れると、ボラパに向き直った。
だが、その致命的な遅れ。
その時には、炎の蛇が眼前に迫っていた。
無駄と分かっていながら、その蛇に向かって剣を振るう。
風圧で二つに分かれた蛇が勢いを変えずにアルマークを襲った。
凄まじい熱。
胸が魔法の炎に焼かれたのが分かる。
一緒に焼けただれた制服のローブがなければ、一撃で致命傷だった。
「アルマーク!」
ウェンディの声。
さらに放たれた二つの蛇が、ウェンディの光の網に絡め取られる。
アルマークは激痛に耐えながら、気配のした方へ剣を振るった。
アルマークに止めを刺そうとしていたモルドの首から血しぶきが舞う。
同時に響く、ボラパの甲高い声。
よける暇のありようはずもない。
とっさに身をよじったアルマークの肩に闇の矢が突き刺さる。
激痛。
戦場での失敗は、即、死だ。
敵を見誤り、取り返しのつかない失敗をした。
アルマークは死を覚悟した。
だが、それは諦めることと同義ではない。
身を翻してウェンディたちのところへ戻るのは無理だ。前にいるボラパの方が遥かに近い。
ならば、せめて一太刀。
霞む目でボラパを見る。
ボラパの前に浮かぶ火球の大きさが増していた。
そこから同時に四つの炎の蛇が放たれる。
狙いは全て、アルマーク。四方向から。
よけられない。
アルマークは歯を食いしばる。
だが、耐えれば、届く。
これを耐えれば、あの首に僕の剣が届く。
アルマークはボラパの双頭を見据えた。
一つ落とせば、後は二人が何とかしてくれるだろう。
炎の蛇が眼前に迫った瞬間。
後ろから強い力で身体を引っ張られる感覚。
宙に浮いたアルマークの身体は、迫る炎の蛇よりも速く、ウェンディの隣に引き戻されていた。
ウェンディの物体浮遊の術。
目標を見失った蛇が、さっきまでアルマークのいた場所で絡み合い爆発する。
「ひどい火傷」
ウェンディはすぐにアルマークの胸の傷に手を当てた。
「治癒術を使うわ。モーゲン、その間」
「分かってる」
モーゲンは震える声で答えた。
「僕が持ちこたえるよ。ウェンディはアルマークの治療に専念して」
ボラパの目の前の火球が、また一回り大きくなった。




