準備
「君たちのクラスは、今度の休日が夜間薬草採取実習だったね」
その日の補習で顔を合わせるとすぐに、イルミスはアルマークにそう言った。
「はい」
アルマークは頷く。
「グループは、ウェンディとモーゲンと一緒なんです」
「そうか。仲のいい者同士で歩く夜の森もまた、楽しいことだろう」
イルミスはそう言いながら、アルマークの身体を点検する。
「薬湯は飲んでいるようだね」
「はい。レイラが毎日、飲んだか確認に来てくれます」
「いいことだ」
イルミスは優しい表情で頷く。
「彼女はだいぶ責任を感じていたように見えた。君が早く元気になってあげないといけないな」
「身体はずっと元気なんですけど」
アルマークはそう言って肩をぐるぐると回してみせる。
だが、そう言いながらも、アルマークもヨーログの言っていた微妙な感覚のずれ、というものをはっきりと感じていた。
魔法を使うときの発動が微妙に遅れる。
かと思えば、微妙に早まる。
魔力たちの声がいつもよりも遠い。
毎日の薬湯のおかげで少しずつ減ってきてはいたが、やはりまだ拭いきれない違和感があった。
「しかし、実習は夜の森だ」
イルミスがそう言ってアルマークを見る。
「絶好の機会だとは思わないかね。君を狙う者にとってみれば」
「はい」
アルマークは頷いた。
「もしかしたら、闇の罠があるかも……とは思っています」
だからこそ、アルマークは今回事情を知る二人とグループになれたことに、ほっとしてもいた。
「当日は、フィーア先生だけでなく、私やセリアも待機する」
イルミスは言った。
「何かあればすぐに助けに行く」
「ありがとうございます」
アルマークは微笑む。
「先生方がいてくれるなら、安心です」
「君は、とりあえずは実習に専念するといい。最低限の警戒心は忘れてはいけないが」
イルミスはそう言って、思い出したように付け加える。
「マルスの杖はまだ使わない方がいいな。危険だ」
「はい」
それはアルマークにも分かる。
今のこの身体の状態であの杖を使うことは危険だ。
自分はともかく、ウェンディやモーゲン、引率している2年生たちにまで何か被害をもたらしてしまうかもしれない。
「マルスの杖には、学院長の施した護りの術がかかっている。寮に置いておいても大丈夫だろう」
「分かりました」
「しかし、闇の罠があるかもしれないのに、丸腰というのではいかにも不用心」
そう言ってイルミスは薄く笑った。
「だから、君には特別に自分の長剣を持っていくことを許可する」
「僕の長剣を」
アルマークは目を丸くした。
「いいんですか」
「やむを得ない状況だ。学院長にも許可を得ている」
「分かりました」
アルマークの嬉しそうな顔を見て、イルミスは微笑んだ。
「モーゲンが言っていたよ。君は長剣があれば、無敵だと。誰にも負けないんだと」
「モーゲンがそんなことを」
アルマークは恥ずかしそうにうつむく。
「それは言い過ぎです」
「言葉は言い過ぎかもしれないが、信頼は本物だ」
イルミスはそう言って、アルマークの肩を優しく叩く。
「信頼を裏切らないよう、努めなさい」
「はい」
アルマークは頷いた。
モーゲンの信頼。ウェンディたちの信頼。
裏切ってはいけない。
「そういえば、これを泉の洞穴で見付けた」
イルミスはそう言って、ローブから何か小さなものを取り出した。
「指輪……ですか」
アルマークはイルミスの手元を覗き込んで、言う。
黒ずんで輝きを失っているが、それは何の装飾もないごく質素な指輪だった。
「君たちが闇の魔影を倒したと言っていた辺りに落ちていた。これがおそらく、たくさんの魔影を一つに纏めあげて闇の力を付与した“環”の正体だ」
「これが」
アルマークはイルミスから手渡されたその指輪を、つまみ上げて顔の前に持ち上げ、しげしげと眺める。
「ただの指輪に見えます」
「今は、な。もう力を失っている」
イルミスは頷いた。
「その指輪を、あの泉の洞穴の深くまでわざわざ持ち込んだ者がいるということだ」
「中等部に……ですか」
「まだ分からない」
イルミスは首を振る。
「だが、気を付けたまえ」
「はい」
手の込んだ罠。
アルマークは目に見えないその相手の、明確な悪意をはっきりと感じた。
「さて、今日は新しい魔法を教える」
イルミスは魔術実践担当教師の顔つきに戻って宣言する。
「炎の魔法ばかりでは、森ではむやみに使えないからな」
「はい」
「しかしもしも剣だけでは対処できない何かが来たら、何かしらの魔法も使わなければならないだろう」
そう言って右手をあげると、その手に現れたのは、一個の鉢植え。
ひょろっとしたツタの植物が鉢植えに挿された支柱に巻き付いている。
「ククリカラミツタ」
イルミスは舌を噛みそうな名前を口にする。
「森でもよく見られる一般的なツタ植物だ」
「はい」
アルマークは頷く。
確かに森でこのツタが木や岩に巻き付いているのをよく目にする。
「これを使って、ツタ括りの術を練習する」
「ツタ括りの術」
アルマークは頷く。
知っている。
戦場で、その効果を受けた草に足をとられたことがある。
僕が初めて受けた魔法。
ゼール迎撃傭兵団。決して倒れない男、“鉄騎士”マリスモーグの部隊にいた名も知らぬ魔術師。
また一つ、記憶に追い付く。
「知っての通り、これはツタを操って何かに巻き付けたり何かを縛ったりする魔法だ。応用すれば、ツタ以外の紐状のものでも操れる」
イルミスは淡々と説明する。
「今までは魔力を自分の身体から変換して出すことに主眼が置かれていたが、この術は物に魔力を通すことが重要になる。魔力の使い方が変わってくるぞ」
「はい」
「集中しよう。今日はほかに風の術も教えたいからな」
イルミスは森での戦いを想定した魔法を教えてくれようとしている。
それがアルマークにも分かった。
「まずは、魔力を標的に飛ばす」
イルミスがツタに向けて指を振る。
「あとはその魔力で、ツタの中にある魔力を活性化させて動かすだけだ」
イルミスが言い終わるか終わらないかのうちに、ツタは巻き付いていた支柱から離れ、ぐねぐねと蛇のように動き始めた。
「意思を持たないが魔力を持つ、という意味で植物が最も動かしやすい。ただの紐やロープには意思もないが魔力もない。動かすのに少し工夫がいる」
イルミスはそう言って、アルマークを見た。
「この魔法で一番大事なことは」
「イメージです」
アルマークの答えに、微笑む。
「そうだ。魔力を飛ばすときに、植物の中に隅々まで浸透させるようにイメージすることが大事だ。それには、その植物自体の知識も必要になる。植物学の授業は真面目に受けているかな?」
「はい」
アルマークは頷く。
「よろしい。では、それを証明してもらおう」
イルミスはそう言って、ツタを指差す。
「分かりました」
アルマークは自分の魔力を練りながら、ツタをきっと見据えた。
その日も、夜遅くまで魔術実践場の明かりが消えることはなかった。




