魂
黒い蛇を全て断ち切られ、魔影はその巨体を維持できず崩れ始めていた。
アルマークは魔影から離れて、レイラのもとに走った。
「レイラ、大丈夫か」
レイラは魔力の尽きかけた青ざめた顔で、それでもアルマークを見て微笑んだ。
「何でも斬ってしまうのね」
「君が教えてくれたからだ」
アルマークはもう一度魔影に向き直った。
巨体はもはや見る影もなく、そこには無数の魔影がひしめいていた。
「一掃する」
アルマークは杖にもう一度魔力を込める。
焼き払え。
魔力が叫んでいる。
そうだな。
アルマークは魔力の声に頷いた。
お前達の言うとおりだ。焼き払おう。
アルマークが杖を振るうと、巨大な炎の壁が地を這うようにして魔影たちに走った。
「そんな魔法も」
レイラが目を見開く。
「僕の力じゃない」
多分、これは杖の力だ。
杖の力を自分の力だと過信するな。
イルミスの言葉を思い出す。
確かに、これは勘違いしてしまいそうだ。
炎に包まれて、魔影たちが消滅していく。
「やったわね」
レイラの声に、アルマークは頷く。
「ありがとう。君のおかげだ」
振り向いてそう言いかけたアルマークの目に、信じられない光景が飛び込んできた。
壁をすり抜けるようにして出てきた巨大な魔影の手。
それがもうレイラの背中に迫っていた。
「レイラ!!」
アルマークは腕を伸ばしてレイラを抱き寄せるようにして抱えると、後ろに跳んだ。
そのアルマークの背中を、魔影の手がなぞっていく。
実体のない手。だが、アルマークの魂を引き裂いていく。
魂を奪われる。
アルマークは瞬時にそう悟った。
闇の魔影。
奪うのは、魔力ではない。
魂だ。
以前、図書館で魂を奪われた経験から、アルマークはとっさに自分の魂に魔力を込めた。
よく分からないながらも、それで魂を守ろうとした。
経験と野性の勘から、アルマークは無意識にごく原始的な護りの術のようなものを自分の魂に施していた。
それが、かろうじてアルマークの命を救った。
急速に遠ざかろうとする意識を、アルマークは必死に繋ぎ止めた。
まだ来るのか。あの手が。
とどめをささないと。
「アルマーク!!」
レイラがアルマークの腕の中で悲痛な叫び声を上げた。
アルマークの視界の隅で、魔影の手がもう一度鎌首をもたげる。
アルマークは力を振り絞ってその手にマルスの杖を向けた。
消えろ。
発せられた炎が魔影の手を包んで焼き尽くす。
それとともに、全ての魔影が溶けるように姿を消した。
闇の罠の最後の悪あがきだったのか。
アルマークは杖を下ろした。
一瞬の気の緩み。
アルマークの身体はもう動かなくなっていた。
その場に崩れ落ちる。
身体と魂がずれている。
そう感じた。
魂を抜かれかけたせいだ。
身体から、熱が逃げていく。
「アルマーク、しっかりして」
いつの間にかレイラがアルマークを抱きかかえて叫んでいた。
レイラが、無事でよかった。
アルマークはぼんやりとそう思う。
「ああ、どうしよう」
レイラが呟いた。
「アルマーク、死なないで」
そんな風にうろたえるレイラを初めて見た。
大丈夫だよ。僕は死なない。
アルマークはそう答えたかったが、身体は毫も動かなかった。
「アルマーク」
レイラの声がだんだんと遠ざかる。
「私を一人にしないって言ったじゃない」
そうだった。
僕は、君を一人にしないって言ったんだった。
ごめん。それはプロポーズじゃないんだ。
でも、さっきは本当にそう思ったんだ。君を一人にしてはいけないって。
北の傭兵は約束を守る。
父さん、僕に力をください。
僕はもう傭兵ではないけれど、僕に約束を守れる力を。
アルマークの意識が混濁していく。
いけない。
魂が、離れる。
不意に、暖かい光を感じた。
アルマークの身体に熱が戻ってくる。
アルマークは目を開けた。
目の前に、レイラの真っ青な顔があった。
その目から、涙が止めどなく零れ落ちている。
レイラの手が、優しい光を放っていた。
これだ。
アルマークには感覚で分かった。
この光が、僕を救ってくれた。
「アルマーク」
レイラが、聞いたこともないか細い声で自分の名前を呼んだ。
「レイラ」
アルマークは自分の右手に力を込めた。
動く。
アルマークは右手を上げて、レイラの頬を流れる涙をそっと拭った。
「ありがとう。君が助けてくれたんだね」
「ごめんなさい。治癒術はきっとこういう時は使ってはいけないのだけど」
レイラは目を閉じた。また涙がぽろぽろと零れる。
「他にどうしていいか、分からなかった」
涙が、アルマークの顔にぽたぽたと落ちる。
温かい。
アルマークは思った。
「君は僕の命の恩人だ」
その言葉にレイラは首を振る。
「もっとうまくできたはずなのに」
アルマークはゆっくりと上体を起こした。
「まだ寝ていないと」
「大丈夫」
言いながら、アルマークは立ち上がった。
怪我をしたわけではない。魂が戻れば、身体は問題なく動いた。
「本当にもういいの?」
レイラが真っ赤な目でアルマークを見上げる。
「うん」
また女の子を泣かせてしまった。
胸に疼くような後悔が走る。
「大丈夫。怪我もないよ」
アルマークはそう言って、元気に屈伸して見せた。
「よかった」
レイラは自分で涙を拭う。
「タフね。あなたは」
「うん」
アルマークは頷く。
「それが取り柄だ」
その言葉に、レイラがようやく少しだけ笑った。
「でも、終わったみたいだね」
アルマークはそう言って通路を見回した。
魔影は、もう影も形もなかった。
「帰ろう、レイラ」
アルマークは、座り込んだままのレイラに手を差し出した。
レイラは、その手を取って立ち上がろうとして、ふらりとよろける。
「魔力が」
恥ずかしそうに言うその身体を、アルマークが軽々と抱き上げた。
「ちょっと」
レイラがうろたえて抗議の声を上げる。
「下ろして」
「歩けないだろ? 君に治癒術まで使わせた僕のせいだ」
「だからって」
「洞穴を出るまではこれで行こう」
そう言ってさっさと歩き始める。
「……出るまでよ」
レイラは小さな声でそう言ってから、アルマークに身体を預けた。
洞穴を出ると、もう外は夕方だった。
「来たときは朝だったのに」
アルマークは驚きの声を上げると、レイラを抱きかかえたままで、そのまま泉の縁を歩いた。
「ちょっと、下ろして」
レイラが慌てた声を出す。
「もう洞穴を出たわよ」
「あの石のところまで送るよ」
アルマークが穏やかに、だが有無を言わせぬ口調でそう言うと、レイラは
「こんなところを誰かに見られたら、もうこの学院にいられない」
と呟いた。
「どうして? 歩けないんだから仕方ないじゃないか」
「あなたねぇ」
レイラは何か言いかけたが、諦めたようにアルマークの胸の中で首を振った。
「いいわ。今日はあなたに従うわ」
アルマークは森の道すがら、レイラに、マルスの杖と闇の罠について簡単に説明した。
「……そう」
レイラは頷く。
「そんなことが」
「うん。だから今回のことも、明日には先生に報告しないといけない。レイラ、申し訳ないんだけど、そうすると君のことも話さないといけなくなってしまう」
そうすれば、泉の洞穴に無断で入っていたこともばれてしまう。
「仕方ないわね」
レイラは意外にさばさばとした表情で言った。
「その報告、私も行くわ」
「え?」
アルマークが思わずレイラの顔を見ると、レイラは頷く。
「ルールを破っていたのは事実だもの。それにその方が話が早いでしょ」
「ありがとう、レイラ」
アルマークが微笑むと、レイラは照れたように目をそらした。
青い紋が描かれた石の前でレイラを下ろすと、レイラは申し訳なさそうにうつむく。
「ごめんなさい。この石の魔法、私以外の人は運べないから」
「構わないよ。僕は歩いて帰る。寮でゆっくり休んで」
アルマークは笑顔で手を振った。
レイラはそれに応えて小さく手を振ると、石を杖で突く。
青い紋から光が発せられた。
レイラの姿が光の中に消えていく。
「……ありがとう」
最後にレイラの声がした。
「……さて」
一人になったアルマークは、マルスの杖を両手で持って大きく伸びをした。
レイラが無事でよかった。怪我もしなかった。
そして。
「この時間ならまだ演奏会に間に合うな」
本当によかった。
さすがにこの汚れた格好では行けない。
寮に戻って着替えてから行こう。
アルマークは森の中の道を元気に走り出した。




