ウィルビス
レイラが去った後、アルマークは改めて「星の守り号」に目をやった。
甲板には相変わらず人の気配はない。
出直そうか。
アルマークがそう思った時。
「うちの船に何か用かね」
背後からそう声をかけられた。
振り向くと、初老の男性が歩み寄ってくるところだった。
「あ……この船の方ですか」
アルマークの言葉に、船乗りというよりは商人といった風情のその男性は鷹揚に頷く。
「いかにも私の船だ。君は?」
アルマークは丁寧に自分の名を名乗ったが、その目は男性の背後に控えるもう一人の男に向けられていた。
長身の、研ぎ澄まされた雰囲気を持つこの男は、朝ウェンディと一緒に港に来たときに見た船員だった。
コスターと名乗った初老の男性に対し、アルマークは自分が北の出身なので大きな船が珍しかったのだ、という説明をする。
「君は北の出身なのか」
コスターは目を丸くしてそう言うと、後ろに控える男を振り返った。
「ウィルビス、この子は北の出だそうだ」
ウィルビスと呼ばれた男は、じろりとアルマークを見下ろす。
「北の出? 北のどこだ」
ぶっきらぼうな問いにアルマークは、アルネティ王国、と答える。
「アルネティか。俺はフィランだ」
ウィルビスは、アルマークもかつて滞在したことのある国の名を挙げて、右手を差し出してきた。
「こんなところで北の人間に出会えるとはな」
アルマークも右手を伸ばし、その手を握る。
ごつごつとした、硬い手だった。この手に比べれば、朝握ったウェンディの手はまるで羽毛のようだった。
「おう、これは」
そう言ってウィルビスは笑った。
「坊主。お前もずいぶんと剣を握ってきたようだな」
「えっ」
アルマークは思わずウィルビスを見上げる。
「俺は傭兵だったからな。それくらいのことは手を握れば分かるぜ」
そう言われて初めて、アルマークは自分の手もウィルビス同様、皮膚が硬く変質してしまっているのだということを思い出した。
この手で、ウェンディの手を握ってしまった。
アルマークは悔やんだ。
ウェンディは、どう思っただろう。
「坊主も傭兵の子供か」
動揺していたアルマークだが、ウィルビスの問いに辛くも首を振る。
「いえ。僕は鍛冶屋の息子です」
「そうか。どうりで手が硬いわけだ」
ウィルビスは勝手に納得してくれた。
「ウィルビスは昔、北の白燐傭兵団で傭兵をやっていたんだ」
コスターが口を挟む。
「今は引退して、私の護衛をしている。旅は色々と物騒だからね」
「そうなんですか」
アルマークは頷く。
白燐傭兵団。
聞いたことがある。有名な傭兵団の一つだ。
「商売で、北まで行くんですか」
「いや。さすがに北までは行かないよ」
コスターは首を振る。
「船でまわるのは中原までだ。メノーバー海峡に近付いたら、船が何艘あっても足りないからね」
「そうですか」
アルマークの顔にありありと失望の表情が浮かんだのが分かったのだろう。コスターは、
「北で商売している連中との取引もしているからね。北の情報も色々と入ってくるよ」
と付け加えてくれた。
「まだその歳だ。何か知りたいことがあるんだろう?」
コスターの言葉に、ウィルビスがにやりと笑って頷く。
「北の人間は船になんかそうそう興味は持たねえからな。俺も船員みたいな面してるが、いまだに仕事に慣れねえ」
「すみません」
さすがに、北の人間に見え透いた嘘は通用しない。
アルマークは素直に、港に戻ってきた目的を果たすことにした。
「もし知っていたら、教えてもらえませんか。今、バスティア王国は」
アルマークは自分が旅立った後、父たち黒狼騎兵団が向かった国の名を出す。
「一体どうなっているんでしょうか」
「バスティアか」
コスターは顔をしかめてウィルビスを見た。
「だいぶ荒れ果ててしまったみたいだな」
「ああ。俺が傭兵をやっていた三年前でも五本の指に入る激戦地になっていたからな」
ウィルビスはそう言って頷く。
「荒れ果てはしたが……戦はだいぶ収まったって聞いたぞ」
コスターの言葉に、ウィルビスは思案顔をする。
「そういえばこの前、中原の北の方まで行ったときに聞いた話じゃ、バスティアにはもう戦がねえからほとんどの傭兵は別に移ったって言ってたな」
「この前って、いつですか」
「三ヶ月くらい前か」
三ヶ月前。それでは、黒狼騎兵団はもうバスティアにはいないのか。
「バスティアに坊主の家族でも住んでいるのか」
「いえ。バスティアに向かったとは聞きましたが、旅の鍛冶屋なのでもうどこにいるかは……」
「そうか」
ウィルビスは、アルマークの言葉を特段疑ってはいないようだ。
「バスティアっていえば」
コスターがふと思い出したように言う。
「ほら、ウィルビス。面白い話を聞いたじゃないか」
「ああ」
ウィルビスの方はさして面白くもなさそうに頷く。
「坊主、バスティアの南にマビリオ平原ってだだっ広い平原があるだろ。そこでいくつもの騎士団や傭兵団が一堂に会する大会戦があったんだが」
ウィルビスはそこまで言ってから、こんな話興味あるか?と尋ねてくる。
はい、とアルマークが頷くと、コスターが笑いながら、そりゃ戦の話は男の子ならみんな興味あるわな、と笑う。
それなら話すがな、と言ってウィルビスが話し出す。
「戦いの終盤、敗色濃厚になった側から一人の傭兵が躍り出た。と思うと、そいつは敵の大軍の真っ只中をたった一騎で突っ切って、なんとそのまま総大将の首を取っちまった。それで一気に形勢は逆転さ。バスティアで曲がりなりにも戦がほとんどなくなったのは、その戦いでバスティアの趨勢が決まったからだって話もあるくらいだ」
「傭兵が、たった一人で」
アルマークの言葉に、ウィルビスは頷く。
「マビリオの単騎駆けって言えば、北の傭兵なら今じゃ誰でも知ってるさ。やったのは黒狼騎兵団の“影の牙”レイズだ」
父さんが、と危うく口に出しそうになる。
「相手側には、鉄槌傭兵団も冥府の門もガレット重装傭兵団もいたってのに。その中を堂々と突っ切りやがった。とんでもねえ奴だぜ、“影の牙”ってのは」
ウィルビスはそう言って首を振る。
父さんが。
マビリオの単騎駆けだって。
アルマークは興奮を押し殺して、極力何気ない様子を装って尋ねる。
「その黒狼騎兵団って今はどこにいるんですか」
「さあてなぁ」
ウィルビスは首を捻った。
「あいつらは激戦地にしか顔を出さねえからな。ノールか、ケルマーか、その辺りじゃねえのか」
ウィルビスの出したのはどちらもバスティアと並んで激戦地として知られる地名だ。
アルマークの心は揺れる。
「マビリオの単騎駆け……でも、無傷じゃ済まなかったでしょうね」
「そりゃそうだろ」
ウィルビスは頷く。
「“影の牙”も最後は全身傷だらけだったって話だ。死んだとは聞かねえから、まだ傭兵として戦ってるんだろ」
父さん。
アルマークは思わず目を閉じてしまいそうになる。
「でもあの戦いで、黒狼騎兵団の名は北の全土に轟いたらしいな」
その言葉にアルマークは気持ちを奮い起こす。
今聞けることを、聞こう。
「それじゃ、今一番強い傭兵団は黒狼騎兵団なんですか」
「いや」
ウィルビスは今度ははっきりと首を振った。
「黒狼騎兵団は確かに強いが、連中はいかんせん兵力が少ないからな。兵力の多さなら火龍傭兵団。エースの強さなら冥府の門か凶虎傭兵団。局地戦の強さならゼール迎撃傭兵団や迅雷傭兵団」
ウィルビスの口からはすらすらと傭兵団の名前が出てくる。
引退したとはいえ、やはり北の傭兵はみんなこうなのだ。
そして、その名前はどれもアルマークには馴染みのあるものだった。
「でもなんと言っても、今一番強いのは」
しかし、ウィルビスの口から次に出てきた傭兵団の名前を、アルマークは知らなかった。
「間違いなく、蛇骨傭兵団だ」




