レイドー
ウェンディが応援席からレイラの名を呼んでいる。
しかし、レイラはそちらに小さく首を振った後、そのまま選手席に戻ってきた。
ほつれた髪が汗で頬にへばりついているが、それを気にする様子もない。
その顔は人形のように白く、無表情だった。
整った顔立ちだけに凄絶で、出迎えたモーゲンたちは声を失う。
「ざ、残念だったな、レイラ」
ネルソンが声をかけるが、レイラは何も答えない。
そのままネルソンの横をすり抜けて、四人の後ろに立つ。
「いい試合だったよ、レイラ」
アルマークは前を向いたまま、レイラにそう声をかけた。
「ロズフィリアとの差はほとんどなかった」
「慰めは要らないわ」
硬い声で、レイラが答える。
「自分が一番分かってる」
「慰めじゃないよ。事実さ」
アルマークは言う。
「君は何も失っていない。僕たちの信頼もだ」
「そうだよ」
モーゲンが頷く。
「負けたってレイラはレイラだよ。君は強かった」
「モーゲンの言うとおりだ。別にこれで終わりじゃない。次やる時に勝てばいいのさ」
そう言ってアルマークがレイラを振り返る。
「振り向かないで」
レイラが言った。その声が震えていた。
「ごめん」
アルマークはすぐに前に向き直る。
「謝らなくていい。自分に腹が立っているだけだから」
なおも震える声でそう搾り出したレイラは、最後に普段の彼女からはかけ離れた小さな声で言った。
「……ごめんなさい。今は優しい言葉はかけないで」
「……分かった」
アルマークは頷いた。
ともあれ、次は第四試合だ。
「レイドー。いけるかい」
「もちろん」
レイドーが答える。
打ちひしがれたレイラに、モーゲンもネルソンもどうしていいか分からない様子だったが、レイドーは違った。
いつも通りの様子で剣を携え、アルマークに頷いて見せる。
「こういうときの女子はそっとしておくのが一番だよ、アルマーク」
「そうなのか。さすがだね、僕にはそういうことは分からない」
アルマークは素直に驚いてから、改めてレイドーの顔を見る。
「まるで緊張してないみたいだ」
「まあ、いつも通りだね」
そう答えるレイドーには、確かに気負いは全く見られない。
「相手のルゴンは体型からしてすばしこいタイプみたいだけど」
「うん、うちのクラスにはいないタイプだね」
レイドーは頷く。
「いけるかい」
「ま、なんとかするよ」
さらりと答える。
「今日のレイドーは頼りになる方のレイドーだな」
ネルソンが言うと、レイドーは笑って首を振る。
「僕はいつものレイドーさ」
「とにかく、集中を切らさないことだよ。強い方のレイドーが出れば君の勝ちだ」
アルマークが念を押す。
突然淡白になる悪癖さえなければ、レイドーはネルソンにも匹敵する力を持っているのだ。
「分かってる。モーゲン、そんな顔しなくても大丈夫」
レイドーはそう言って、自分の緊張とレイドーの心配とレイラへの気遣いでおかしな顔になっているモーゲンの肩を叩き、試合場へ向けて歩き出す。
「僕で優勝を決めてくるよ。決められそうだったらね」
そんな気合いが入っているのかいないのか、分からないことを言い残していく。
「レイドー、頼むぞ!」
ネルソンがその背中に声をかける。
「頑張って」
モーゲンの言葉に軽く手を挙げて応え、もう振り返らない。
「すげえな。あれだけいつも通りのやつもそうはいねえぜ」
感心したようにネルソンが言う。
「そうだね。頼りになる」
アルマークも頷く。
「相手のルゴンは緊張してるように見えるね」
「3組はもう後がねえからな。普通は緊張するさ。ロズフィリアの心臓が特別製なんだ」
ネルソンが答える。
確かに、飄々と中央に進み出たレイドーと違い、相手のルゴンはぎくしゃくと、まるで開会式の時のモーゲンのようにぎこちない動きだ。
「いけそうだぜ。優勝が見えてきたな」
「そうだね」
頷くアルマークの横で、モーゲンが祈るようにレイドーを見つめている。
二人の名前が読み上げられ、観客席の拍手に応える時も、まるでいつも通りの調子で女子たちに手を振るレイドーに対し、ルゴンは頭を下げるのがやっとだ。
「ルゴンも強いっていう話だったけど」
アルマークがネルソンを見る。
「ああ」
ネルソンが頷く。
「運動神経がいいんだ。トルクと戦ったフィッケに似たタイプかな。あそこまで跳び跳ねることはねえだろうけど」
「なるほど」
「でもあの様子じゃ、どこまで力を発揮できるかな」
「うん……」
そんな話をしているうちに、試合が始まった。
素早く間合いを取ったルゴンが動く。軽快な足捌き。
「あれ、動きがいいぞ」
ネルソンが呟く。
「緊張していたのは……」
アルマークがそれに答える。
「絶対に負けたくないからなのかもね」
レイドーの目の前でルゴンが軽快な足捌きを見せる。
素早い出入り。伸びのあるいい突きが飛んできた。
レイドーはそれを落ち着いて捌く。
よし。
レイドーは思う。
見えている。
自分でもよく集中できているのが分かる。
八人もの兄弟姉妹に囲まれて育ったレイドーは、大家族の日々の喧騒の中で、人間関係について多くのことを学んできた。
威張って何でも上から命令してくる兄への接し方。
すぐに感情的になって大騒ぎする姉への接し方。
口ばかり達者な妹への接し方。
自分の後をついて回ってくる弟への接し方。
歳こそ違えど、精神的には自分が一番大人だという自覚がレイドーにはなんとなくあった。
この学院に入学した時に、まるで獣の縄張り争いのように力を誇示し合う同級生たちを見てレイドーは思った。
こいつらみんな、うちの兄弟みたいなもんだな。
だから、厄介なクラスメイトたちとの付き合い方は、みんな兄弟たちへの接し方の応用で済ませてきた。
トルクには横柄な兄への接し方で。
ウォリスには賢こぶるのが好きな兄への接し方で。
レイラには大人ぶりたがる姉への接し方で。
実際、それでうまくやってきた。
自分を緊張させない方法も、兄弟たちとの暮らしの中で自然と編み出したことの応用だ。
トラブルメーカーの妹が何をやらかしても、その事柄から一定の距離を置くこと。
そうすると、トラブルの原因や解決方法が見えてくる。
それと似ている。
武術大会のクラス優勝が懸かった一戦。それを見守る大観衆。
そういった事柄を、一歩引いた目で眺めること。
それが、レイドーが自分を緊張させない方法だ。
レイラは入れ込みすぎたんだ。
レイドーは思う。
ネルソンが戦ったエストンみたいな相手には、その純粋な勢いが有効だった。
けれど、あのロズフィリアと戦うなら、きっともっと広い視野が必要だった。
自分の兄弟姉妹の誰とも似ていない、強くて賢いアルマークはその辺りに気付いているみたいだったけれど。
ルゴンは足捌きこそ軽快だが、表情は必死そのものだ。
要は、プレルだな。
レイドーは自分の一番年下の弟を思い出す。
プレルのように、欲しいものがあったら、一心に脇目をふらずそれに向かって突進する。
それなら、対処の仕方は分かる。
レイドーは落ち着いて捌く。
見える。
ルゴンの攻撃はよく見える。
ここにはお前の欲しいものはないんだよ。あったところで、それはお前のものではないんだよ。
そう分からせてやれば、自然と勢いは失われる。
「特別に、君を入れてやる」
エストンにそう告げられた日のことを、ルゴンは昨日のことのように思い出す。
「僕のチームの平民は君だけだ。励めよ」
貴族の子弟がクラスの約半分を占める中で、ルゴンは自分が武術に関しては彼らの大半よりも上だという自覚はあった。
しかし、選手として大会に出られるかは分からなかった。
3組には女子が3人しかいない。男子が12人もいるのだ。
だがそれだけが理由ではない。
自分が、平民だからだ。
チーム編成も、順番も、エストンたちが決めた。
ロズフィリアはいつも何を考えているのか分からないが、エストンやポロイスの考えていることはルゴンにも分かった。
平民中心で構成された2組のチームに、貴族中心の3組が圧倒的な力を見せて勝つ。
そういうことがしたいのだ。
だから本来はエストンのチームは全員が貴族で構成される予定だったのだろう。
しかし、クラス委員のルクスらがおそらくそのやり方に反発して、チームを離れた。
それで、エストンはルゴンを入れるしかなくなったのだ。
ルゴンも、自分は数合わせに過ぎないことはわかっていた。
だが、今日の試合。
ポロイスとエストンが、立て続けに無様に負けた。
あのレイラを退けたロズフィリアはさすがだったが、最後に控えるのはクラスで一番強いコルエン。しかも相手は、むしろよく選手に選ばれたな、という印象しかないモーゲン。コルエンが勝つのは火を見るより明らかだ。
となれば、ルゴンのこの試合の結果で、チーム全体の勝敗が決まるようなものだ。
普段から二軍のような扱いを受け、萎縮してしまっている3組の平民出身の生徒たち。
ルゴンは、彼らを代表するのだ、という気持ちに、その時初めてなった。
貴族が無様に負けた後で、平民の俺が勝つんだ。
それは、俺だけの勝利じゃない。クラス全体の勝利でもない。
今日、試合に出られずに観客席にいる生徒たちを含めた、俺たち平民出身の生徒の勝利だ。
だからルゴンは気合いが入りすぎて、試合前にひどく緊張した。
試合が始まってしまえば身体は動いてくれたが、前のめりになった気持ちのままで、戦い方を組み立てる余裕もなかった。
勝つんだ。
ルゴンはただそれだけを念じた。
相手のレイドーは、落ち着いてルゴンの攻撃を捌いてくる。
強い。
こいつ、こんなに強かっただろうか。
そうも思う。
でも、負けられない。
俺が負けたら、やっぱり平民は頼りにならない、と言われる。直接言わなくても、そういう態度をとられる。
それでは、何も変わらないんだ。
だから、勝つ。
俺は勝つんだ。
ルゴンは足を止めない。
時折返ってくるレイドーの鋭い突きを危なっかしくよけながら、それでも攻め続けた。
レイドーは、ルゴンの攻撃を見切り、じわりと反撃に転じ始めていた。
ルゴンの突きを三回連続で剣で弾くと、さすがにルゴンの顔色も変わる。
君の欲しいものは、手に入らないよ。
レイドーは弟に教えてやるような気持ちで、前に出る。
鋭い突き。
ルゴンが必死に防ぐ。
それは、君のものじゃないんだ。
レイドーの落ち着き払った前進。
ルゴンは気圧されるようにじりじりと後退する。
レイドーは数こそ多くはないが、効果的な突きを放ち、徐々にルゴンを追い詰めていく。
さあ、仕上げといこう。
満を持しての連続攻撃。
ルゴンが必死に防ぎながら、なんとか活路を見出だそうとレイドーに身体を寄せる。
レイドーとルゴンの視線が交錯する。
ルゴンの必死な目。
絶対に負けてなるものかと歯を食いしばった形相。
マーレン。
その時レイドーの頭をよぎったのは、一番年下の弟プレルではなく、兄弟の中でも最もどんくさいマーレンの顔だった。
弟妹たちの中で一番レイドーになついているマーレン。
休暇で学院からレイドーが帰った時も、片時も側から離れようとしなかった。
「僕も、レイドー兄ちゃんみたいに、ノルク魔法学院に入る」
マーレンの言葉にほかの兄弟が笑う。
バカか、お前が入れるわけないだろう。
レイドーは俺たちの中でも特別なんだ。
ましてやよりによってお前が。
「入るよ。僕も兄ちゃんみたいになるんだ。僕だって入るんだ」
顔を真っ赤にして、マーレンは兄や姉に言い返していた。
レイドーは、お前も入れるよ、とは言えなかった。
そうだな、とレイドーは優しくマーレンに言った。
お前も、入れたらいいな。
ルゴンの目は、あの時のマーレンの目だ。
そう思った瞬間に、レイドーの中で何かが切れるのが分かった。
しまった。
自分でも、そう思った。
まずい、まずい。
突然にレイドーの動きが均衡を欠く。
さっきまでの落ち着いた戦いぶりが嘘のように、手も足も覚束なくなる。
ルゴンはそれを見逃さなかった。捨て身の反撃に転じてくる。
それをレイドーは防ぐ。
なんとか受け流すが、失った熱はもう戻ってこない。
瞬く間に追い詰められていく。
見えない。
さっきまであんなに見えたルゴンの攻撃が、見えない。
それなのにレイドーの目は、ルゴンの背後の応援席で声をあげている仲間の顔をはっきりと映す。
ごめん、アルマーク。
ごめん、ネルソン。
ごめんよ、レイラ。
そして、ルゴンの突きが、レイドーの胴を捉える。
……ごめん、モーゲン。あとは頼む。
レイドーは腰に手を当ててため息をつくと、ゆっくりと天井を振り仰いだ。




