エメリア
ウェンディがゆっくりと試合場に上がっていく。
トルクが、戻ってきたガレインの肩を応援席まで聞こえるほどの強さで叩き、叩かれたガレインとそれを見ていたデグと三人で顔を見合わせて笑う。
その笑い声が応援席まで届いてきた。
「ガレイン、そこまで落ち込んでないみたいだな」
ネルソンが安心したように呟く。
「ああ。あの三人には、彼らにしか分からない空気みたいなものがあるし。チームも雰囲気は悪くないみたいだね。大丈夫、次はウェンディだから」
アルマークは言った。
試合場に目を戻すと、ウェンディの横顔が応援席からもよく見えた。
普段のウェンディには見られない、厳しい張り詰めた表情。
……まるで戦士だな。
アルマークは思った。
あんなにきれいな戦士は、僕は見たことがないけれど。
思わずその横顔に見とれてしまう。
「ウェンディ、すごく集中してるね」
モーゲンの言葉に、アルマークはウェンディから目を離さずに頷いた。
「うん、集中してる。……横顔がすごくきれいだ」
「お前、そういうことを恥ずかしげもなくよく言うよな」
ネルソンが呆れた顔を見せるが、アルマークには何が悪いのか分からない。
「どうして? だってすごくきれいじゃないか。許されるならずっと見ていたいくらいだ」
「はいはい。分かったよ、好きにしてくれ。とはいっても、ずっとのんびりとは見てられねえぞ」
ネルソンは言った。
「相手はあのエメリアだからな」
「エメリア」
アルマークはその名前を復唱する。
ウェンディの対戦相手、エメリア。
ウェンディ同様ゆっくりと試合場に上がってきたその少女は、がっしりとした体躯に短く切り揃えた髪、勝ち気そうな瞳を光らせ、ウェンディを睨み付けている。
こちらは表情だけでなく全身から女戦士のような佇まいを醸し出していた。
「彼女は相変わらずみたいだね。怖い」
モーゲンがエメリアを見て、声を潜める。その言葉に実感がこもっていたので思わずアルマークは振り返る。
「モーゲン、何か彼女に怖い思い出でも?」
「まあ、ちょっとね……」
モーゲンは虚ろな目で遠くを見た。
「モーゲンだけじゃないよ」
レイドーが言う。
「1年の時、エメリアと同じクラスだった男子はほとんど彼女にこっぴどくやられてるんじゃないかな」
「こっぴどくやられてる?」
「男勝りっていうのかな。腕っぷしも強いし、ケンカっ早い。一年の時から男子とケンカしても負けたことがないのが自慢だっていう話も聞いたことあるよ」
「へぇ」
アルマークは目を丸くした。
それは、まだみんながこの学院生活に慣れていない一年生の頃のこと。
クラス委員などの公の役職とは別に、誰がクラスを率いる実質的なリーダー格になるのか。
クラス内のヒエラルキーは。
それが決まるまで、まだろくに親しくもなっていない男子たちの間では小競り合いが頻繁に起きた。
出身も身分も育ってきた環境も、まるで違う子供たちの集団だ。
それぞれの「当たり前」と「普通」がぶつかり合い、たくさんの摩擦が起きた。
それに伴うケンカも多かった。
貴族の子弟が平民を下に扱うこともよくあった。
学院の教師たちは、毎年必ず起きるこういった問題に、敢えて口出しすることはほとんどない。
学院は身分に関わらない平等な教育を謳っているが、それは決してみんな仲良く横一線で平等に、という方針を意味するわけではない。
入学した学生には、身分に関わらず教育を平等に授けるし、それぞれに様々な機会を均等に与え、身分格差を助長するようなことは決してしない。
が、逆に言えば、学院がするのはそこまでだ。
それ以上のフォローを学院側がしてくれることはない。
もちろん、それだけでも世界に類を見ない破格の平等さと言えるのだが。
入学当初のこうした揉め事などは、教師たちにしてみれば、厳しい審査を経て選ばれて入ってきた子供たちが、自分達の新しい環境にどう折り合いをつけていくのか、お互いの常識をどう擦り合わせていくのか、その中で誰が頭角を現してくるのか、まずは彼らのお手並み拝見といったところだ。
貴族の子弟が順当に伸びるのならそれもよし、平民の子が貴族の子弟を押し退けて伸びてくるのならそれもまたよし。
その中で、エメリアは自分から進んで男子にケンカをふっかけ、その男勝りの恵まれた体格を生かして、男子を力で黙らせ恐れられるようになっていった珍しいタイプの女子だ。
平民出身の彼女は、貴族の男子に対しても、お構いなしに力を前面に押し出して突っかかっていった。
突っかかられた男子の方は、女子にケンカで勝ったところで誇れもしないし、逆に負けたら大恥をかく、という旨味のない勝負を迫られることになる。
ましてや、彼女の腕っぷしを考えると実際に負けてしまう可能性がかなり高い。とくれば、彼女と事を構えるのを敬遠するようになっていく。
「エメリアには逆らうな」
その合言葉がクラスのみんなに浸透するまでにそう時間はかからなかった。
そうやって彼女は、自分の力でみんなから一目置かれていった。
「何かあると、私に文句あるのか? って睨まれたからなぁ。怖かった」
モーゲンが、まるでついさっき彼女にそう凄まれたかのように身体を震わせる。
「今はもう、そこまで誰彼構わずケンカしてはいないみたいだけど」
とレイドーが言う。
「体力に自信があるのは間違いないし、武術はやっぱり相当強いみたいだ。男子とやっても普通に勝つらしいよ」
「そうなんだ」
アルマークは、試合場の二人を見た。
「確かに、あのエメリアって子は凄く強そうだ」
そう率直な感想を漏らす。
「身長もリーチもウェンディより上だし、身のこなしと体型を見ればよく鍛えているのが分かる。しかも前の二人と違って……」
アルマークは1組側の応援席に目をやった。
アインが1組の学生たちの中央で、腕組みをして薄く笑っている。
「あのアインが彼女には何の指示もしなかった。それが彼女の実力を証明してると思うよ」
そこまで言ってから、笑顔でレイドーを振り返る。
「でも、きっとウェンディが勝つよ」
「ま、アルマークがそう言うならね」
レイドーはさらりと頷く。
「僕もそう信じるとするよ」
「なんだよ、それ」
ネルソンが再度呆れた顔をする。
「お前ら、せめて何か、ウェンディが勝てるという根拠らしいことを言えよ」
それに構わず、アルマークは試合場に向き直った。
「さあ始まるよ」
試合場の中央。
エメリアは、冷たく光る眼差しで自分の目の前に立っている大貴族の令嬢の顔を見た。
「ウェンディ・バーハーブ」
エメリアは言った。
「あんたとはずっと戦いたいと思ってた」
それを聞いてウェンディが微かに首をかしげる。
その仕草にエメリアは不愉快そうに顔を歪めた。
「私はあんたが嫌いだ。あんたのそういう仕草を見ると虫酸が走る」
「エメリア、あなたとは……」
ウェンディはためらいがちに言った。
「同じクラスになったことはないし、話したこともほとんどない。そんなに嫌われるほどのことが何かあったかしら」
「人が人を嫌うのに」
エメリアはウェンディの言葉に自分の言葉を被せた。
「はっきりとした原因が必要だと考えてるのなら、ウェンディ・バーハーブ」
エメリアは冷たい目をしたままで、もう一度ウェンディの名を口にする。
「それはあんたが世間知らずだってことの証明でしかない」
「そう……」
ウェンディは目を伏せた。
「あんたは大貴族のご令嬢、何もしなくても周りが勝手に持ち上げてくれる」
エメリアは横目で審判のボーエンが近付いてくるのを見ながら、なおも早口で言った。
「私は違う。自分の力で認められてきた。あんたみたいに家や血筋の力じゃない、自分自身に備わった力だけで」
黙ったままのウェンディに、エメリアは最後に不敵な笑いを浮かべて告げた。
「その違いを、みんなの前ではっきりと見せつけてやる」
ボーエンが二人の横に立つ。
エメリアは自分が言うべきことを言い終えて、満足そうに口をつぐんだ。
ウェンディは横のボーエンに小さく会釈してから、エメリアに穏やかな笑顔を向けた。
「私はあなたとはいいお友達になれると思うわ、エメリア」
エメリアの顔が一瞬で朱に染まった。
ボーエンはウェンディに、お喋りはそこまでにしよう、と告げ、口頭で最後の規則確認をする。
二人の名前が紹介されると、二人は先ほどの会話などまるでなかったかのように、丁寧に観客の拍手に応えた。
観客の拍手を受けて、ウェンディが優雅にお辞儀をしているのをアルマークが応援席から見ていた時だった。
「ウェンディ、頑張って」
不意にアルマークの後ろの方から、聞き慣れない少女の声がした。
いや、聞いたことはある。前に一度。
アルマークは振り返った。
応援席から控え室へと抜ける通路に、華奢な体つきの少女の後ろ姿が見えた。
後ろ姿だけでもすぐに分かった。
いつか練習帰りの寮への夜道で会った少女だ。
『気をつけて、アルマーク』
この大会に、何か悪い力が来る。
そう言っていた子だ。
「どうしたの、アルマーク」
急に振り向かれて、すぐ後ろにいたモーゲンが戸惑った声をあげる。
「いや、あの子……」
「え?」
アルマークが指差し、モーゲンが振り返った時には、もう少女の姿はなかった。
とっさに追いかけようとしたが、モーゲンが、どうしたの、もう始まるよ、と慌てた声を出したので、アルマークもさすがに思い止まった。
後ろ髪を引かれる思いで前に向き直る。
「エメリアの奴、ウェンディに何か言ってたな」
ネルソンが隣から話しかけてくる。
「ああ。険悪な感じだったね」
アルマークは答える。
そうだ。
今はウェンディの応援に集中しないと。
エメリアと向かい合って立つと、決して小さいわけではないウェンディの身体がひどく華奢に見える。
「エメリアは強えぞ。ウェンディ、頑張れよ……」
ネルソンが祈るように言う。
「……ウェンディなら大丈夫」
アルマークはもう一度、ネルソンに頷いてみせた。
「はじめ!」
ボーエンの声と同時に、エメリアが前に出た。
その両目が肉食獣のように凶悪な光を帯びていた。
一気に間合いを詰め、凄まじい速さの突きを繰り出す。
それも一撃ではない。
目にも止まらぬ速さの三連擊だ。
その速さに観客が沸いた、その時だった。
「羽根だ」
アルマークが呟いた。
その言葉どおりだった。
ウェンディはその三連擊全てを、まるで風に舞う羽根のようにふわりとかわした。
ほら、やっぱりウェンディはきれいだ。
アルマークは思う。
エメリアが驚愕に目を見開いた時には、その胴にウェンディの剣が突き立っていた。
「……それまで!」
一瞬の間のあと、ボーエンが声を張り上げた。
「……そんな、まさか」
エメリアが、自分に起きたことが信じられないという様子でウェンディの顔を見る。
傷ついたプライドで顔が青ざめていた。
「……ごめんなさい」
ウェンディは言った。
勝ったというのに、沈んだ表情をしていた。
「さっき、あなたが一番嫌がるだろうことを言ってみたの。そうしたら」
ウェンディはどこか寂しそうに言う。
「あなたは予想どおり真っ直ぐ突いてきてくれた」
「私を」
エメリアはようやく絞り出した。
「私を挑発して、操ったと言いたいのか」
ウェンディは首を振った。
「人の嫌がることをするのって疲れるね。ごめんなさい」
まるで誰かに言い訳するような声で言う。
それからウェンディは、エメリアの目を真っ直ぐに見た。
それはエメリアが一瞬たじろぐほどに強い眼差しだった。
「でも、勝つって仲間に約束したから」
ウェンディが勝ち名乗りを受けて試合場を去っても、エメリアはしばらくその場から動かなかった。




