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1旅の始まり

  1.旅の始まり


 驢馬に荷車を曳かせ、その上に積まれた藁の匂いにむせ返りながら、若者は村外れの曲がりくねった道を進んでいた。暑くなり始めた、乾いた初夏の日だった。午後のけだるい日差しが辺りを包んでいた。

 若者は名をイサクと言った。ひどく古風な名だった。村の長老から与えられた名である。世界の初め、異国の古潭の若者に与えられ、のちの世、再び世界を変える若者に与えられる名だ、と。


 イサクにとって、そんなことはどうでもよいことだった。むしろ、期待を抱かせるそんな名が嫌いだった。


 イサクは先日16歳を迎えたばかりである。彼の村では、子供は大人の手伝いの傍ら、子供同士の遊びの中で体を鍛える。6歳からは師について武術と魔術―この村の人々は魔術の力を持って生まれる―の修練に励む。農作業の合間を縫って行われる厳しい修練は15歳まで続き、それを終えてやっと一人前と認められるのだった。



 イサクはそれにうんざりしていた。イサクは武術や魔術に弱かったのではない。むしろどちらにも長けていた。武術は、剣術でも柔術でも師を打ち負かす程の腕前だったし、魔術も、教えられた術は全て習得し、知識は誰よりも早く身に付けた。村では数年に一度の逸材と言われた。


 けれどそれがどうしたのだ。修練を終えて、何が変わる訳でもない。その(あと)は来る日も来る日も、狭い村の中で畑を耕し、家畜に水をやり、農夫として働くのだった。


 むしろ、魔力を持っていることは、周囲の村の村人から蔑みの的にされた。「半精霊、人と交わるなという精霊の掟を破った女と、落ちぶれていた何代も前の王との間に生まれた子。人でもない、精霊でもない者共」と。

 その侮蔑の言葉は本当だった。王の子にして家臣だったイサクたちの祖先は、勅使あるときには馳せ参ずべし、との命の元、この地に封じられたのだった。修練の中でも繰り返し言われた。王の勅使を待ち、日々を生きるのだと。


 とは言うものの、最後に勅使が来たのは百と数十年前だった。来るかも分からぬ勅使を待ちながら、単調な日常を繰り返すのだ、この狭い村の中で、藁と泥にまみれながら。


 今年も始まる、長い酷暑の農作業の始まりを告げる、羽虫の群れが宙を飛び交っていた。




 小道は川べりの土手に差し掛かった。一段低くなったところを小川が流れ、小さな瀬を作っている。

 その水辺に黒衣の子供がいるのが見えた。村の誰とも違う、直毛の黒髪、黒い瞳。ロンだ。足元では小鳥が餌をついばみ、伸ばした手の先には蝶が止まっていた。


 不思議な奴だ。ある、嵐の夜の翌朝、イサクの家の前に立っていた。長老の所に連れて行かれると、自分は「ヘイロン」だ、と言った。そして、地面に不思議な、複雑な文字を書いた。長老は古の文字だろうと言ったが、誰一人としてそれを読むことができる者はいなかった。


 ロンはそれ以上のことは何一つとして話さなかった。記憶を失っているようだった。



 ロンは武術が全くと言ってよいほど出来ず、いつも負けてばかりだった。それなのに、全く落ち込む様子も、奮起する様子も見せなかった。その代わり、草花や小鳥や小さな生き物を慈しみ、心の底から幸せそうに微笑むのだった。生き物の方も不思議とロンに近づいた。


「本当に変わった奴だ」そう、イサクは思った。


 荷車は小川を離れ、再び木立の中へと進んでいった。



 夕方、暗くなった頃に、イサクは家に戻った。その日は家畜小屋の敷き藁を替え、畑を鋤き、少年たちに武術の稽古をつけてやって過ごした。


 扉を開くと、一部屋しかない狭い家の中で、母親とロンが卓に着いて椅子に座り、(あつもの)をすすっていた。ロンがやってきたとき、立っていたのはイサクの家の前だった。それで、ロンはイサクの家で面倒を見ることになった。なぜまたこの変わり者と過ごさなくてはならないのか、イサクは常々思っていた。

 イサクは何も言わずに卓に着いた。炉には小さく火が燃えていた。



 食事を済ますと、イサクは寝台へと向かった。横になり寝入ろうとしたとき、突然、扉を叩く音がした。


「長老がお呼びだ。至急馳せ参ぜよ」


 イサクは飛び起き、扉へと向かった。


「それから、ロンも連れてくるようにと仰せだ」


 イサクは(いぶか)しんだが、すでに寝入っていたロンを起こし長老の家へと走った。



 長老の家の椅子には、マントを羽織った若い男が掛けていた。


「今しがた勅使が到着した」長老は言った「王のお召だ。竜を探すように、と。イサク、そなたが行くがよい」


 イサクは心の中で歓喜した。待ち望んだ、半ば諦めていた勅使がすぐ目の前にいる。それも、自分が選ばれ、大役を担うことになったのだ。長老はおもむろに一振りの剣を差し出した。


「村に伝わる剣だ。そなたに授けよう」


 受け取ると、ずっしりとした重みが、腕に、肩に、伝わってきた。修練の時も鉄の剣を振るう練習はした。けれど、それは刃をつけていない、刀身のみの剣だった。真剣の、全く違った重みは、それを持つ緊張と使命感のなせるものだった。



 興奮冷めやらぬ中駆けて家に戻ると、イサクはすぐに旅装に――それを常に整え、枕元に置いておくのが勅使を待つ村の掟だった――着替え扉に向かった。


「街の宿へと向かえ。今夜のうちに発て、道は使うな、おそらくつけられている」


 長老の家でそう言い残すと、勅使の男はすぐに街とは反対方向に向かう道を走って行った。村に立ち寄ったのは一夜の宿を乞うため、それを拒絶されて次の村へと急ぐように見せかけることで、追手――それが何者なのかは分からないが――の目を欺くためだった。


 扉の前に立った時、後ろから声をかけられた。母だった。


「行ってしまうのね」


「ああ」


 イサクは振り返って答えた。少し惜しい気もしたが、それよりも、これから待つ初めての旅への期待が勝った。


「必ず戻る」


 そう言ってイサクは扉を開け、外に走り出た。炉では炎が燃え、薪がぱちり、とはぜた。




 月明かりの下、イサクは駆けた。

 子供の頃遊んだ楡の並木を、椎の林を一瞬で走り抜けた。

 

 ロンは少し遅れてついてきた。「ロンを連れて行け」という長老の言葉にイサクは内心舌打ちした。何故あんな足手まといを、と。が、長の厳命ならば仕方ない。時々振り返っては、イサクはロンを急かした。



 周囲の木々が樫の木に変わってきたところだった。鎖帷子(くさりかたびら)を身に付けた一人の男が現れた。銀の鎖が月の光に映えた。腰に帯びた剣が音を立てた。イサクはさっと身構えた。


「警戒することはない」


「何者だ」


「失礼、王の使者よ。私は『ファナツコム』教団の者だ。危害を加えるつもりはない」


「何が目的だ」


「私達に協力するつもりはないだろうか。私達のことは聞いたことがあるはずだ。人類の幸福と大いなる正義に貢献しようとは思わないか?」


「さあ、王の使者たちよ」


「違う」


 イサクは言い放つと、動けなくなっているロンの手を引いて、茂みの間へと足早に歩き去った。


「そうか。残念なことだ」


 後ろから声が聞こえた。男がつけてくる様子はなかった。




 森を抜け、街が見えてきたのは、既に日が高く昇ってからだった。


 街に着くまでの間、イサクは考え続けた。何故、あの男はイサクのことを王の使者だと分かったのだろうか。そもそも何故、教団の者が、王の使者を探しているのか。ファナツコムと呼ばれる教団は、人間の理性を旗印に、北方で急速に勢力を拡大していると聞いた。けれど何故、大陸の南のイサクの村まで? しかも男は協力を求め、攻撃を加えようとはしなかった。後をつけてくることもしなかった。何より、人類の幸福と大いなる正義など唐突過ぎはしないか。


 一体あの出来事は何だったのか、疑問が尽きることはなかった。


 街の門をくぐると、イサクは通りを外れ、少し奥まった所にある宿屋へと向かった。

 この街には、市に出す家畜を売りに、あるいは職人が作る様々な道具を買いに何度も来たことがあったが、王の使者に任じられ、森を通ってくると、風景は全く違ったものに見えた。


 ここから旅が始まるのだ。


 宿は1階が食堂、2階が客室となっている。他の客に紛れて料理を頼み、昼食を済ますと、勘定を装って亭主の元へと近寄った。


 勅使はイサクの村の名だけを伝えろ、と言った。それで全てが通じる、予め要件は伝えてあるから、と。イサクがそのとおりにすると、亭主は黙って頷き、丁稚を呼んで仕事を代わらせた。その後、階段を上った先の廊下の突き当たりにある部屋へと二人を案内した。


 厚く雨戸が閉ざされた暗い部屋だった。亭主は自らも部屋に入ると、卓の上に持っていた灯火を置き、二人に椅子を勧めた。廊下に誰も居ないことを確かめると、扉を閉めた。分厚い樫の木の扉が閉ざされ、狭い部屋を照らすのは灯火1つになった。


「勅使の命を受けたもので間違いはないな」


 イサクが首を縦に振ると、亭主は語り始めた。




「近頃、災異が続いていることは知っているな。王都の大河を年に何度も濁流が流れ、西では旱り、東では雹が降り、北では雪害が甚だしい。南の大陸からの砂嵐は夥しいいなごの群れをもたらした。

 ところで、竜の王の神話は知っているか」


 世界を統べる竜の王は数百年に一度、一子を残して死し、その一子は人の世を巡って学び、新たな竜王として蘇るという。


「鑑みるに、この災異は竜の王の死が近い兆しではないか、王宮ではそう結論づけられた。数十代前の記録を(ひもと)くと、王城に瑞雲を伴った竜が現れ、王宮に幼子を託した、その幼子が育ちある日竜に変じたという。

 ところが今回は全くその様子がない。『黒竜は失われた。稲妻と雷の間に落ちてしまった』水の精霊を巫女に呼ばせると口々にそう言ったそうだ。まだ生きているとは言うのだが」


「王の命は1つ、失われた竜の子、黒竜を探し出し、連れ帰ること。絶対に生きたまま、傷つけずに、だ。竜王の死まで残された時間は長くない」



 イサクには俄かには信じ難かった。竜の王の伝説など所詮は作り話に過ぎないと。けれど、この初老の亭主の真剣な口調と表情は、嘘をついている、いや一片の疑いを持っているようにさえ見えなかった。


「そなたにできるか」


 暫く間を置いて、イサクは言った。


「分かりました」


 そうは言ったものの、一体どうすればよいのだろうか。この広い世界から、たった1匹の竜の子を探す、与えられた情報は黒竜であるということのみ。竜退治の話は聞いたことがあるが、竜を守り、連れ帰れ、絶対に傷つけるな、とは。


「事態は急を要す」


 確かに、竜を退治することは、騎士にとって最上級の勲とされていた。それに、竜王の子なら相当な魔力を持っているだろう。魔性の物たちにとって、力ある妖魔を倒し、その肝を喰らうことは、自らの力を増大させる大きな1つの方法だとされている。

 騎士達からも、魔性の物達からも狙われているのだ、竜の子は。そして恐らく、それを追いかける二人も同じく狙われることになるだろう。


「若者よ、覚悟はできたか。授けよう」


 亭主は立ち上がり、部屋の奥にある引き出しから革袋を取り出した。それを受け取ると、ずっしりと重い。中には何十枚もの銀貨が入っていた。家畜何頭分に当たるだろうか。おそらく、一介の農夫なら、一生かけても稼ぐことができない額だ。


「次はこれだ」


 亭主は何かを引き出しから取り出し、それを噛むと、イサクに投げてよこした。少し歯の跡がついたそれは分厚い金貨だった。庶民なら一生に一度、見ることがあるか無いか。噛んで跡がつくということは混ぜ物のない純金だろう。亭主はさらに2度、同じ動作を繰り返した。


「最後に」


 今度は鍵のかかった戸棚から何かを取り出し、イサクに手渡した。表面は面を切って磨かれているが、中は深い闇のような黒、その中間に双頭の鷲が精巧な金の細工で刻み込まれている。何なのか、とイサクが訊く前に亭主は口を開いた。


黒玉(ジェット)、くろだまだ。鷲は王の紋章。それを玻璃で包んで磨いてある」


 そうだとすれば恐ろしい技術だ。燃えやすい黒玉に熱いガラスを吹き付けるのだから。並外れた腕を持つ職人の作だろう。古の技を伝える王宮の職人の他では決して真似できない。


「王党派の諸侯に見せれば便宜を図ってくれるであろう。それから、王の紋が刻まれている宿でも。但し、くれぐれも多用はしないように」


 亭主は立ち上がって重い扉を開いた。イサクは、突如として、外の世界に放り出された。


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