園田さんと今津くん
#A「待ち合わせ」~園田さんサイド~
――とうとう、十二時になったか。
ここは、阪急西宮北口駅の二階。カーンコーンと荘厳な音を響かせているカリヨンの鐘の下で、ボーイッシュな外見のハイティーンの少女が、木製のベンチの上に腰を下ろして待っている。
膝の上にはファミリアのトートバッグがあり、少女の手には、ブックファーストの紙カバーがかけられた文庫本が握られている。
――遅刻したら、その分数だけ宝塚ホテルのハードドーナツを奢らせるって言っておいたのに。
少女は立ち上がってトートバッグに本をしまうと、そのままそれを肩に掛け、同じ階にある五号線ホームへと歩き出す。
そして、マルーン色の電車が迫るホームへ辿り着くと、発車予定時刻表の前に立ち、次いでその横にあるアナログ時計の文字盤を確かめる。
――二個は確定ね。妹とモメなくて済みそうだ。
少女は、わずかに口角を上げ、四角い頭を丸くする問題でおなじみの学習塾の広告の前に佇む。
そうこうしているうちに、三両編成のワンマンカーがホームへと滑り込む。
車掌がドアを開けると、未来のタカラジェンヌを目指しているであろうお団子髪の細面の女児や、ブランド物のバッグを提げた婦人、ラガールカードを持った紳士などがホームへと降りはじめる。
そのあいだを縫うように、一人の小柄なハイティーンの少年が、小走りで少女に近付いてくる。そして、手を合わせて拝むようなしぐさをしながら、少女に謝る。
「ゴメン、ゴメン。経験値稼ぎに夢中になって、よく眠れなかったんだ」
「開口一番に、ゲームの話なの? 嘘でもいいから、そこはデートが楽しみで寝不足気味だ、とでも言いなさいよ」
眉間にシワを寄せながら少女が言うと、少年は「しまった」とでも言いたげな顔で頬を指で引っ掻いて目をそらす。
少女は、そんな少年に呆れながらも、両手で少年の顔をずいッと時計のほうへ向け、詰問調で確認する。
「ただいま、時刻は十二時五分三十秒を回っています。そうですね?」
「はい、そうです」
「夏に王子動物園へ行ったときも、秋に宝塚へ観劇に行ったときも、冬に六甲山へスキーに行ったときも、あなたは遅刻しました。だから、仏の私も堪忍袋の緒が切れて、今度、春に夙川で花見をするときにペナルティーを科すと宣言し、あなたは同意しました。そうですね?」
「はい、そうでした」
「にもかかわらず、約束の十二時になっても、あなたは集合場所に現れませんでした。そうですね?」
「はい、ゴメンナサイ」
少年は、ジーンズのポケットからスマホを取り出すと、電話帳から一つの番号を選択し、通話を始める。
「もしもし? あぁ、文子さんのほうか。ちょうど良かった。うん? いや、別に大した用じゃないんだけどさ。宝塚ホテルに、ドーナツひと箱注文して、園田の彼女に送ってくれないかな。えっ? そりゃあ、いるけど。――あっ!」
少女は、スマホを持つ少年の手首を掴み、通話口を自分のほうへ向けて話し出す。
「お電話代わりました。はい。えぇ、そう。この前は、いかなごのくぎ煮を、ありがとうございました。ん? あぁ、そうですか。そうなんですよね。ホント、困ったもので。はい、はい。それじゃあ、ごめんください」
「もしもし! ……あれ?」
少女の手を振り切って少年が通話を続けようとするが、スマホの向こうでは受話器を置いたらしく、画面はホームに戻っている。
少年は、タンッタンッと乱暴にタップすると、それをジーンズにしまい、少女に文句を付ける。
「もぅ。勝手なことをしないでくれよ」
「元をただせば、そっちの責任じゃない」
「いや、まぁ、そうだけどさぁ」
「それとも、何よ。お手伝いさんに、言われて困ることでもあるの?」
問い詰められた少年がダンマリを決め込んでしまうと、少女は呆れ半分に少年の手を引き、二号線ホームへと歩き出す。
――言いすぎちゃったかな。学校の友だちなら、これくらい言っても言い返してくるんだけど。彼女として、もっと優しくしなきゃダメね。
*
#B「並んで歩く」~今津くんサイド~
――彼女と出逢った、というか、遭遇したのは、まだ中学生になったばかりの頃だった。
「定期、どこだろう……」
――反抗期を迎え、どこへ行くにも文子さんと一緒に行動するのが嫌になり、定期ぐらい一人で買えると息巻いたまでは良かったのだけど、お受験やマニュアルやゲームの攻略本みたいには、トントン拍子に事が進まなかった。自分が社会常識に欠けてることを、まったく考慮していなかったのである。
「何してるの、こんなところで?」
「定期、買いたくて」
「ホームで売ってるわけないじゃない。ジュースやお菓子じゃないんだから」
「えっ。じゃあ、どこ?」
「まったく。中学生にもなって一人で定期ひとつ買えないなんて、とんだボンボンね」
「だって。こういうことするの、はじめてだから」
「あきれた。……まぁ、いいわ。私も買いに行くところだから、一緒に行きましょう」
――こうして、彼女に連れられて、なんとかミッションをクリアしたわけだけど。正直、いま思い返しても恥ずかしい。
「おはよう」
「おはよう? えーっと……」
「あなた、恩人の顔を忘れたの? ニシキタで一緒に定期を買ってあげたのは、誰?」
「あぁ! あのときの」
「思い出したようね」
「ありがとうございました」
「どういたしまして。ところで、――ここ、女性専用車両なんだけど?」
「えっ!」
――今津から芦屋川にある男子校に通う途中で、園田から六甲にある女子校に通う彼女と顔を合わせるのは、必然的なモノであった。そして、顔を合わせる機会が増えれば会話する回数も増えるのも、また自明の理である。
「相手の爪がかすめたんだ。大した怪我じゃないよ」
「それなら、良いけど。こじれないうちに、ちゃんと仲直りしなさいよ」
「はいはい。わかってるよ」
「どうだか。でも、珍しいわね。暴力に訴えるなんて」
「小競り合い程度だよ。女の子同士だと、こういうことは無いの?」
「うーん。男の子同士みたいに、すぐに手が出るわけじゃないけど、喧嘩が無いわけじゃないわ。長時間、同じ場所で席を並べていれば、ときにはツマラナイことで口論になるものよ」
「へぇ、そうなんだ。そっちの友だち付き合いも、なかなか面倒臭そうだね」
「ホント、嫌になっちゃう。ひとりぼっちだったら、内部進学をやめてたところよ」
「あっ。それじゃあ……」
「あと三年間、よろしくね」
――このあと、異性間の友情が恋仲に発展するのも、思春期の男女にはありがちなことであろう。特に、学び舎が禁欲を強いられる環境であれば、なおさらのこと。
「お待たせ」
「わっ!」
夙川公園のベンチに座り、頭上で満開に咲き誇る上品なピンクの桜花を見上げつつ、ボーッともの思いに耽っていた少年に向かって、少女が足音を忍ばせて近寄り、だしぬけに耳元で呼びかけた。少年は、その唐突さに驚いて目を丸くし、隣に座る彼女の手にしている袋を見て、ようやく回想から覚めた。
少女は、クスッと小さく笑いつつ、あおやま菓匠と書かれた包装紙を開ける。
「あったわよ、桜餅と三色団子」
「良かった。いくらだった?」
少年が腰を浮かせ、ジーンズのポケットに手を入れようとすると、少女は、それを片手で制しながら優しく言う。
「ここは、私が払うから。ドーナツひと箱より、ずっと安いもの」
「いや、それは、遅刻した罰金代わりだから。それに、女の子に払わせるのは、男として……」
「いいから、いいから。男なら、細かいことを気にしない! ねっ?」
少女が少年の背中をバシッと景気よく叩きながら紙箱を差し出すと、少年は団子の串に手を伸ばしつつ口を噤む。
――強く押されると、何も言えなくなるんだよなぁ。どうやら、一人前の彼氏になれる日は、まだまだ先のことになりそうだ。
若い二人の青春恋愛ラブストーリーは、ようやく復路に差し掛かったばかり。はたして、終着駅に待っているのは、どんなクライマックスだろうか。