一章 三話.渓谷ロッククライマー
何も表示されていない魔法欄を見て、無性に神が恨めしくなって嘆息するが、今更神を恨んでもどうしようもないためこの事は一旦置いておこう。
それよりも、この渓谷から抜け出す策を講じることが最優先事項だ。
かと言って、足場もないし、魔法も使えないので思考を巡らせても一向に答えが出る気配がない。
このまま渓谷に閉じ込められていたら、野垂れ死ぬのも時間の問題だろう。
色々と試行錯誤しながら視界に映写されている表示を、気晴らしに弄っていると、この状況を打開できるかもしれない欄があることに気付いた。
「おっ、このマップというのは使えそうだな......さっきの魔法欄といい、この場所が圏外とかではありませんように」
少し警戒しつつも、一縷の希望を乗せてマップ欄を脳内操作で開く。
そこには、この地を一定の高さから見た地図のようなマップが表示された。
おまけに、それを拡大縮小することでより明確に地形や場所を知ることが可能だ。それに、今最も重要になる、3Dのような立体的な地形も表示する事ができるのを知って思わずガッツポーズを取ってしまった。
そこから精密な脳内操作でマップを自由自在に操り、足場にするには丁度良さそうな渓谷の壁面を発見した。
マップによると、ここから大体十分ほど歩いたところにあるので、一旦マップ表示を消して最小化させてから向かう。
マップ表示は視界全体に広がるため、表示したまま歩くと前が見えない。
ゲームみたいに縮小化させて併用できたらもっと汎用性が増すのに。
最悪の事態を免れられると感じた俺は、安堵の溜息を残して目的地に向かった。
向かう途中滝を見つけて見上げた瞬間、落石などで何度か危険な目に見舞われたが、大事に至らず目的地に到着した。
落石といっても、チート補正がかけられた俺なら大丈夫そうな気もしたが、人の頭ほどある大きさの石だったため、当たったらとても痛そうだ。
「さてと、到着したはいいが、どう登ればいいんだ?」
元の世界ではごく普通の学生である。ロッククライマーで無ければ、壁なんか登ったこともない。
ましてや、高層ビルくらい高さがある渓谷なんか以ての外であり、おまけに高所恐怖症である。
だけどここを登るしか上に上がる術がないので、苦虫を噛み潰したような顔で渋々岩の出っ張りに足と手をかけて登ってみる。
「あれ? 案外行けるかも」
驚いた事に、俺にかけられたチート補正のためか、握力、腕力、脚力が大幅に強化されているため、グラつくどころか、ロッククライミング初心者とは思えない安定感がある。
そのため、壁を這う蜘蛛のようにスイスイ上に上がっていく。
元の世界でこれくらいのことが出来たら、おそらく世界優勝も簡単に狙えるだろう。
念のため、下を出来るだけ見ないようにして登っていくと、数十秒足らずで上まで登ることができた。
「案外楽勝だったな......」
そう言いつつ渓谷の上から下を眺めると、悪寒と震えが全身を走り鳥肌が立つ。
やはり、チート補正をかけられても高所恐怖症は改善されないようだ。
後ろを向いて周りを一瞥した。
「なんか、これはこれでまた困難に見舞われそうな予感がするな......」
俺は苦笑いをしてそう言い、目を細めながら遠くを矯めつ眇めつ見る。
そこには、地平線が霞んで見えないほど果てしなく広がる高原。その脇には森林があり、そこから小さな小川が渓谷に向かって流れていた。
見渡す限り、人工物や建物らしき物は見当たらない。
俺は顔を引きつらせつつも、再びマップを開いてここがどこなのか確認した。
拡大と縮小を駆使して、近くに建造物がないか探して見るものの、半径十キロ以内には村や街はおろか、人工物すら見つける事は不可能だった。
......おいおいマジかよ。
内心そう呟きつつ、マップをスライドで移動させより遠い場所で探ってみる。
すると、俺の現在地から約三百キロ離れた場所に小さな村を発見したのでそこにピンをうつ。
ピンはマップで目的地とする場所を脳内で二回タッチすれば付けれた。それに、マップを消していても視界の上らへんにピンと距離が表示されるのでその機能を活用する事にした。
なんかこういう機能を解析していくにつれ、どんどんゲーム感が増してきている気がする。
「こんなところで立ち往生していても時間の無駄だな......やれやれ、向かうとするか」
俺はマップをこまめにチェックしながら、その村へと向かっていく。
距離も距離だし、なるべく早く着かないと俺の体力がもたないからね。
とても一日中歩いたとしても辿り着ける距離ではないし、何せ俺には食料や水といった物がないため、そう時間に余裕などない。
その点この状況では、渓谷の下にいた時の方が長生きできるかもね......川が流れていたし。
俺は愉悦など存在しないこの異世界に嘆息しつつ、村に向かうために足早に歩き始めた。