三話
第一区画出入り口に到着した車を降りたアンドゥは人用の廊下を歩いていた。
「この施設全部回ったわけじゃないけど、この第一区画って他となんか作りが違うよなぁ」
そんな事を真顔で呟きつつアンドゥは第一区画への扉をくぐった。第一区画は廊下も部屋も他の区画に比べて狭いのが特徴だ。
第一区画に到着したアンドゥは、その足で一つの部屋前まで歩いた。表札も掲げられていない部屋であったが、ここにはこの施設の支配者がいた。
アンドゥは扉横の壁にあるボタンを押した。
「…………」
アンドゥはもう一度ボタンを押した。
「…………」
無表情でアンドゥはボタンを再度押した。それを何度も続けた。
何度もドアノッカーに類するボタンを押し続けていると、突然、扉が前触れなくスライドした。
その扉の向こうには、笑顔が怖い直立二足歩行物体がいた。
「――アンドゥ。何度もドアホン鳴らして、喧嘩でも売りに来たのかぇ」
この施設内でアンドゥ・オプトレアの事を名で呼ぶ者は一人しかいない。それは今アンドゥの目の前にいる者だけだ。
「アズヤード。任務の報告? に、来たんだけど」
自然にはあり得ない髪色以外、人と見分けがつかないフィアとは違い、アズヤードの姿は、体型こそ人と似たようなものだったが、それ以外は違っていた。
アズヤードに肌色なんて色はなく、金属の継ぎ目が目立つ表面に、閉じる事がない目、髪も耳もなく口もない。ただ輪郭として人の形を模倣しただけのような造形、それがアズヤードであった。
「報告? そんなもの、フィアから送られて来るデータを見れば十分」
「えっ。じゃあなんで俺を呼んだの?」
報告を待ち遠しくしてたんじゃなかったのかと、アンドゥの視線にはそんな感情が乗っていた。
「はあ! あくまでとぼけると。――刑の執行」
刹那、アンドゥは逃げ出した。
未だ部屋と廊下で話していた事で、アンドゥは逃げ出す事ができた。
アンドゥは来た道を辿り、全力で走っている。だが、どこからともなくアズヤードの声が聞こえて来た。
「アンドゥ無駄よ。この施設の中で、我から逃げる事なぞ無謀というものぞ」
アンドゥが廊下を曲がって見た光景は、隔壁が今にも閉まり切る瞬間だった。そして周囲で立て続けに隔壁が閉まった音が聞こえて来た。
「ひ、卑怯だー」
憤慨した表情でアンドゥが叫ぶが、笑い声が周囲に響くのみ。その笑い声が終わるとアズヤードがアンドゥへ諭すように話し掛けた。
「アンドゥ。早く戻って来てくれるかしら?」
ご丁寧な事に、アズヤードの部屋までの通路には隔壁が下りていなかった。
「早く戻って来てくれたら、減刑……」
アンドゥは走った。往復した道を再度辿るように。
肩で息をするアンドゥと余裕顔で腕を組むアズヤード。
「あら、減刑と聞いて急いで帰って来るなんて、可愛いとこあるじゃない」
「帰ったら付き合ってあげると言ったからな。有言実行してるだけだ」
精一杯胸を張ってアンドゥは言った。だがそれは完全に虚勢である事は誰の目にも明らか。アンドゥの目は怯えを含んでいた。
「ふふ、可愛い事。さあ、部屋に入っておいで。軽い折檻にしてあげるから」
アンドゥとアズヤードは扉の向こうに消えて行った。
場所は第三区画。その廊下を一人の少年がとぼとぼと歩いていた。
「……酷い目にあった」
アンドゥである。
アズヤードの折檻が終わり、自分の居住域まで帰って来ていた。そんなアンドゥに声を掛ける者が現れた。
「お疲れですね、オプトレアさん」
「フィアさん――」
フィアであった。
アンドゥより頭一つ程高いフィアは、アンドゥのお疲れな顔を見て、優しげな印象の顔をやれやれといった表情に変えた。
「アズヤード様に随分絞られたみたいですね」
「安眠妨害とは、ここまで重い罪なのでしょうか?」
「ふふふっ。アンドゥさんは特別です」
「……嫌な特別なんですけど」
笑顔で答えるフィアに、先程よりまた一層疲れた様子のアンドゥであった。
「現在十九時二十三分です。夕食はどうされますか?」
「今日はいろいろあって疲れたから、もう寝たい。折角用意して貰ってるのにごめんなさい」
申し訳なさそうな顔でアンドゥが謝ると、自室へ向かった。
アンドゥの自室のベッドの上で転がっていた。
「はぁ……。遂にやっちゃったなぁ」
無機質な天井を見つつ呟く。
「あんな海賊まがいな行為……いや、海賊行為。捕まれば縛り首か」
どこか他人事のように淡々と呟くアンドゥ。
「でも。アズヤードの案は認めるわけにはいかない。だから俺は……代わって僕が世界を変えるんだ」
それを最後に、部屋内に寝息が聞こえ始めた。