第5話「嘘と約束」
マージナル家に居候する形になった俺だが、ただ飯食らいになる気は全く無かった。幸いにも何か仕事を探すまでもなく、大繁盛している「熊の蜂蜜亭」で注文取り位はする意気込みでいた…のだが…。
「クラル…これ、読めないの…?」
「…………はい。」
今、俺はダイニングでコルトとテーブルを挟んで向かい合う様に椅子に腰掛けている。俺はやや青ざめた顔、コルトはちょっとおつむが弱い人を見る様な目でこっちを見……い、いや!コルトは良い子だ、これは俺の被害妄想だ!…兎に角、とても表現し難い困り顔をしている。因みにクラルというのは俺のあだ名だ。名前自体が「クラルテ」なので略する程長くないのだが、コルトとミリアさんが「親しみを込めた呼び方も決めたいから」という理由で付けて貰った。アンクはその時にもコルトのあだ名の方が可愛い云々~とか言っていたが俺を含め全員にスルーされていた、合掌。ついでに補足として…名前はコルトがくれたが、家名は正式に教会から洗礼を受けないと貰えないとの説明をミリアさんがしてくれた。近い内に洗礼を受けに行くのでかっこいい家名を期待したい。……と言う希望的な妄想より、今は非情な現実を見る時間である。
「ごめんコルト…俺って…字も読めないアホだったんだわ…。」
「そ、そんな事無いよ!!ボクだって…勉強して読み書きが出来る様になったんだし…最初から何でも出来る人なんて居ないんじゃないかな…?」
死んだ魚の目をしていた俺に対し、彼女のこのフォローである…何という優しさ…。主よ…私はコルトが女神に見えてきました…このままではリアルロリコンになってしまいます…。っていうかコルトの精神年齢高いよ…こんなフォロー、普通の少女には出来んぞ…と…思いつつ。今コルトが紙芝居の様に見せてくれているのは蜂蜜亭の料理一覧、つまりメニューだ。しかしそこに書かれている字は日本語ではない、何かミミズとカタカナを足して2で割った様な文字が羅列されている。……うん、読める訳ねぇ。この世界に来た時からずっとこちらの住人と普通に会話出来ていたから或いは…とか楽観的に考えていたのが…甘かった様だ。でも…それなら何故俺はこの世界の言葉を理解出来るのだろう…コルト達が使っている文字と頭の中に浮かんだ回復魔法の文字は明らかに違った。あれは…この目の前のメニューに載る文字よりも遥かに難解な印象を受けたんだよな…勝手に意味を頭が理解して口で詠唱してたけど…。
「そう、だよな…。よし…こうなったらさっさと覚えて早く仕事を手伝わないと!」
「うー…別に無理に働いたりしなくても…ボクも…お母さんもお父さんも、クラルを追い出したりしないのに…ボクだって…毎日お店を手伝ってる訳じゃないし…」
「そうは行かないよ、どんな形であれ身元も経歴も分からない俺なんかを快く保護してくれてるんだ。居候させて貰って何もしないだなんて俺自身が嫌だからさ…あ、勿論俺が字を覚えても店先で注文取りすらロクに出来なかった時には、違う形で役に立てる方法を考えるけど」
「…なんか、じゃないもん…。クラルは…クラルはボクを…助けてくれたもん…。…………ねぇ…クラル、あの時の犬みたいな魔物…本当に…追い払っただけなの…?本当は…違うんじゃ…」
あ…やっぱり気付いてたんだ…。そりゃあ、あんな殺る気満々の視線を向けられたら逃げるなんて考えられないよなぁ…っていうかこの世界ってやっぱり魔物も生息してるんか…。まぁ魔法がある位の世界だし、その辺はテンプレって奴かね。んー…まぁ当事者のコルトには正直に話しても良いんだけど…俺みたいなのが倒したなんて信じて貰えるとは思えないんだけど…。しかも倒した決め手が運良く木の棒で頭串刺しだし………言葉にすると結構エグいなこれ。かと言って追い払ったとか以外の理由も思い付かないし……仕方無い、正直に言ってみるか。
「あー…えっと…本当は、倒しました…その…何か恩着せがましい気がしたのと…今よく考えたら俺が倒したなんて誰も信じられないかな、って…。」
「…2匹…居たよね…両方倒した、の?」
「うん、内容は過激だから余りコルトには伝えたくないけど…どっちも倒したよ。」
それを聞いたコルトの表情はみるみる明るくなり嬉しそうな笑みで俺を見つめ…たかと思った直後、ハッとした様な顔になってその後は不満そうな顔に変化する。…口調は気弱なのにコルトって表情豊かだよなぁ…ここは良い意味でアンクに似たのかな。
「…だったらクラルは本当の意味でボクの命の恩人…だよ。なのに、働かないとうちに住めないなんておかしいよね?」
「おかしくはないよ、信じてくれてるのは嬉しいけど…それとこれとは別だし。コルト、自分の家族以外まで養うって言うのは口で言う以上に大変な事なんだよ?」
「でも、お父さんもお母さんも良いって言ったもん」
何やらご機嫌斜めだ。それにコルトならこういった事情はちゃんと説明すれば理解してくれそうな気がしてたんだが…。仕方ない…妥協案を伝えて置こう、まぁ…この案を実行するつもりは100%無いけど。
「うーん…まぁ…どうしても俺がただの役立たずだったら、仕事を見つけられるまでは何もせずにお世話にならざるを得ないかな…」
「ふーん…でも……ボクに、嘘ついてたよね?…倒したのに、倒してない…って。…それに…クラルは役立たずなんかじゃ…無いもん。」
ああ、成る程…コルトが本当に怒ってた理由ってこっちか…。てか怒ってても俺に逐一フォロー入れてくれるとか…この子ちょっと優しすぎんよー。しかし…怒ってたのは俺が嘘をついたからか…うん、これは俺が悪いな…。あの場では追い払ったと、ああ言うしかなかったんだけど…コルトには謝るべきだろう、子供とはいえ俺と彼女はあの場では当事者だったんだし…。
「えっと…嘘ついてごめん…だけど、あれでも俺なりに考えた結果だったから…その…出来たらその…怒るのはその辺で…。」
「えっ!?ぼ、ボク…怒ってはいないよ…?ちょっと寂しいっていうか…悔しいっていうか…。うー…何だかよく分からないけど…そんな気持ちになって…キツい言い方に…なってた…?」
無自覚だったのか…まぁまだそこまで長く一緒に過ごしてはいないけど…確かにコルトがこういう物言いをするなんて想像出来なかったからな…。何でなのかはよく分からんけど怒ってないなら何よりだ。…でも大人が子供に嘘ついた形だもんなぁ、俺の精神年齢はおっさん手前な訳だし…よし。
「いや、コルトに嘘をついた俺が勝手に被害妄想でそう聞こえただけかも。お詫びに何か買…う金は無いんだった…。えっと…じゃあ何処か遊びに…いや…こっちの世界には自動車も無いんだった…ぬおおお…。詰んだ…。」
「ジドーシャ…?……。…あ、あの…ね…?べ…別にクラルがお詫びをする必要なんて無いと…思うけど…えっとね…な、何かしてくれるつもりなら…あ…明日ボクと…村の中で…か、買い出しに付き合って…貰えたらな…って。」
コルトの自動車の発音がちぐはぐで何となく可愛らしい、まぁ自動車なんてこっちの世界じゃある訳無いし…知らなくても当然だよな。それにしても…買い出しなんかでお詫びになるなら大歓迎だ。文無し車無し自宅無し、現状居候という名のニート…しかも他所様の家でのニートという一家の恥を通り越した、社会の恥である俺からしたら利用して貰えるだけでもありがたい。
「え…、そんなので良いの?そんな事ならお安い御用だよ。余り沢山は荷物を持てるか分からないけど…遠慮なくこき使ってくれ!」
「こ、こき使ったりなんかしないよぉ…!い…一緒にお買い物をするだけだもん…。」
そう言いながらコルトは立てた状態のメニューの後ろに顔を隠した。メニュー左側からはみ出している少し尖った耳先がちょっと赤いのが微笑ましい。こうして当面の目標と明日の日程が決まった、この世界の言語を早く覚える事、そしてコルトとの買い出しだ。そういえば…俺とコルトだけで出掛けるのをアンクが見たらマジギレするのではないだろうか、あの親父は娘狂いだからな……有り得そうで不安になってきた。




