第18話「平穏の終わり」
次の日の早朝、俺はとても清々しい気持ちで裏庭に出ている。実は今日は久々に剣と魔法、両方の修行が無い日…つまり休みの日だ。…とは言え、1日何もしないってのも落ち着かないので体力作りの村20周だけはやる事にした。正直な所…昨日、あんな風に滅茶苦茶泣いてしまった点は少し後悔している。未だに思い出しただけでも顔が熱くなるのだが…それ以上に嬉しかった。…まー、恥ずかしいのは変わらんのだけど。
思考を切り替える為に軽く準備運動をしていると…蜂蜜亭の裏口から誰か出て来た様だ。あれは…コルトか、何か良い事でも有ったのだろうか、とても嬉しそうな顔をしている。正直…昨日の一件の所為で顔を合わせ辛いな…。うーむ…しかし、ここで気付かなかったフリをするとかってのは大人としていかん、実にいかん。寧ろ平気なフリを装って挨拶しよう。
「おはようコルト、随分早いんだな。」
「うん、おはようクラル。えっと…もう、平気なの…?」
ですよねぇ、この子優しいから俺が平気そうな顔しててもそう聞いて来るわな…。
「ああ、お陰様で…そ…それよりコルト、随分嬉しそうだけど…。」
「えへへ…良かったぁ。うんっ…ちょっとね。」
そう答える彼女が抱える胸元には紙袋がある、また何か買い出しでもしてきたのだろうか…でも、こんな朝早くやってる店なんてこの村に有ったっけ…?もしも紙袋が嬉しい事に無関係なら……例えば、初級魔法を覚えた…とかか?属性魔法に関してだが…実はどちらかと言うと俺よりもコルトの方が知識の吸収が早い。ミリアさんの娘だからだろう…センスが有るのかもしれない。
「えっとね…クラル、一月前位に…一緒に買い出しに行ったの…覚えてる?」
コルトがおずおずと期待と不安を入り混じらせた表情を浮かべて首をこて、と傾げる。…忘れる筈もない、あの日は彼女がわざわざ俺の為に村を案内してくれた日であり、家名を貰った日…そして…正体不明の黒甲冑達をアンク達が退治した日だ。とても楽しい記憶であると同時に、俺の無力さがはっきりと実感出来る苦い記憶でもある。…だが、コルトが指してるのは恐らく村案内の事であろう。この子がわざわざ嫌な話題を笑顔で話す訳無いしな。
「勿論、コルトが村を案内して回ってくれたんだよな。リンゴ飴も貰ったし、えっと…そういや防具屋なんかにも行ったな。」
防具屋、という単語を口にした瞬間…コルトの表情から不安が少し和らいだ、…気がする。何ぞ何ぞ?
「そ、その…防具屋で…クラル…マント欲しがってた…よね…?」
そう言えば…今でも鮮やかに思い出せるあの紺のマント…、確かに今でも欲しいけど到底買える代物ではないだろう。通貨とかの知識はまだ少し曖昧だが…おいそれと手に入れられる値段では無かったのは覚えているし。
「あー、アレかぁ…確かに欲しいけど…。でも」
「こ…これっ…!」
俺の言葉を遮ってコルトが抱えていた紙袋を両手で差し出して来た。目をきゅっと瞑り少しぷるぷると震えて赤面している、萌える。…じゃなくて、受け取れ…って事で良いのだろうか?俺はそっと差し出された物を受け取って中を覗いてみる。
「………!」
中には紺色の布地。そして…記憶に残っていたあの銀の刺繍では無いが、剣と杖が交差している紋章の様なモノが小さく縫われている。…まさか、これをコルトが…?
「あ、あのね…本物は高くて…とても買えなかったから…ボク…頑張って縫ってみたんだ…それで…今朝…やっと仕上がって…。でも、…その…本物と同じ様には…上手く縫えなくて…その…。」
コルトは少しだけ申し訳無さそうに、そして弱気な口調で続ける。
「だから…本物を買うまでの間に合わせでも良いから…使って貰えたら…嬉しいなって…。」
……冗談ではない、本物より俺の為に縫ってくれたのならば…どう考えてもこちらが俺にとっての本物である。しかも…間に合わせとは言い難い精巧な出来栄えだ…、おいちゃん…嬉しくてまた泣きそうです…。よし、ちょっとアンクっぽく感謝の気持ちを伝えてみるか。
「ありがとう、コルト。………コルトが作ってくれたマントの方が嬉しいからあっちのはもう要らねーっ!」
「えっ…!?え…、ぁ…う…。…ほ…ホント…?」
…………。いや、今言ったのは勿論本心だけどさ…。そんな頬に両手を添えながら照れてもじもじされたら…幾らまだ君が少女であっても女性経験皆無の俺(中身27歳)は反応に困ってしまいます…。「あ、それお父さんの真似?似てないよー」とか茶化し合う展開だと思ってたんだけど…。どうすっぺ…あ、そうだ。俺は貰ったマントの背中央にあしらわれた紋章を指差して質問してみる事にする。
「勿論!……ところで…これって何のマーク?レグナシアの国旗か何か?」
「えへへ…。あ、…これはね…?勇者アステリアの出て来る絵本の裏表紙に描いてあったマークなの。説明とかは書かれてなかったから…意味は分からないんだけど…ボク、このマークが…何となく好きで…。」
成る程、やっぱり勇者アステリア関連の紋章か。何となくだけど神聖そうなデザインだし、それに…最近気付いたのだが、コルトはアステリアに憧れている…様な印象を受ける。彼女は本好きなのだが、中でもアステリアの書物を好んで愛読している…勇者になりたいのだろうか?今度聞いてみよう。
「へー、…でもそんな凄い紋章が付いたマントを着けて歩いて大丈夫なの?一応今でも当人が生きてる噂も有るんだろ?」
「うーん…大丈夫だと思う、その絵本以外ではこの紋章を見た事無いから…。聖殿も外側だけはボク達も見れるんだけど…こんな紋章は無いし。」
詰まり、その絵本の原作者辺りがオリジナルで考えた物…と推測するのが妥当だろう。まぁ…お国関連の物で無いなら怒られる事も無いだろう…この世界に著作権とかが無ければの話だが。さて、それよりも…せっかくだし着けてみようかな。
「よっ…と。」
俺はマントを汚さない様に羽織ってみる。バサッ…!と靡く音、そして両肩に柔らかさを感じる布が掛かる感触。
「おぉ…何かちょっと強くなった気分。」
冒険者や勇者、ヒーローとか男なら一度は憧れるものだろう。そういった面々は大概マントをしている。下の服はアミュレット村謹製の布服だけど…大事なのは気分なんだ!よし、コルトにも感想を聞いてみよう!
「コルト、俺どう?似合ってる?」
これで「何か変」とか「似合ってない」とか言われたら俺はしばらく立ち直れない。いや…このマントをくれたのはコルトだし、そもそも彼女なら口には出さないだろう。そうだな…無言で視線を逸らされたら…そういう意味だと捉えよう。
「……………。」
視線は…逸らされてない、逸らされてないけど全く返事が無い。というか凄くこっち見て固まってる…。昨日食べたアンク特製のパスタの味でも思い出してるのだろうか。俺も何か対象を見ながら、頭の中では全く違う事を考えたりするので分からなくは無いが…今は出来れば感想が欲しい。
「えーと…コルト?」
俺は片手を彼女の目の前で小さく振って見せる。
「………。」
まだ動かない、おーい。
「…。」
あ、視線合った。気付いたか?是非、コメント下さい。
「………。」
今度は何も言わないまま真っ赤になってる…赤信号か何か?或いは攻撃色だろうか。攻撃対象は俺。
「に、にゅあってるよっ!!凄くっ!!」
おわっ!?い、いきなり大声だな…しかも噛んだっぽい。でもにゅあって…いや、似合ってるって言ってくれたし、かなり嬉しい。これで俺は引きこもりにならずに済む。…幾ら子供相手とは言え、異性に容姿関連で辛辣なコメントをされたらこっちの世界でもキモオタ化しそうだし。ありがとうこっちの世界の神様…えーと…名前すらライアナ神位しか知らんけど、俺を割と良い顔(多分)の男の子に変化させてくれて…。
「あはは、ありがとうコルト。」
俺は礼を述べるとコルトの頭をポンポン、と撫でる。前なら事案発生の流れだっただろうが…今の俺は子供な訳だし、もう仲の良い兄妹みたいなものだから頭を撫でる位は…怒らないよな?
「あ、あぅ…。」
「ご、ごめん…調子に乗りました。」
撫でたからかまた無言になってしまったコルト。そんな馬鹿な…やはりこれでも事案になると言うのか…。俺はサッと手を退いて謝る。どうか情状酌量の余地を与えて頂きたい。と、思ったらコルトが意を決したように口を開いた。
「ち…違…、あ…あの…ぼ…ボク…が、頑張ったの…!だ、だから…もっと、撫でて…!」
……いよいよロリコンになりそう、とかもじもじしながら健気な自己主張をして来るコルトの反応を見て考えてしまう。まぁ…大事な家族にそんな思考向けるなんて俺はやはり根底はキモオタだな、これは救えないが仕方が無い…元がダメ人間なのだから。でも…本人がご希望な訳だし…再度コルトの薄紫の髪に手を乗せ、優しく撫でる。うわ、凄いサラサラしてんだけど…前世界の俺の脂ヘアーとは別世界の人間の髪だな…文字通り。
その後、裏庭でコルトを撫で続けていた俺を見たアンクが親馬鹿を発動させ襲いかかって来るまでその状態は続いた。そして少し後に起床してきたミリアさんがその話を聞き、また吹き出しそうになっている姿も見れた。その光景を見ていると…何だかしみじみ、ホッとする。
既にこちらの世界で生活を始めて1ヵ月以上が経過している。
危険な事も有るには有ったが、それは最初にこの世界に来た時と…蜂蜜亭の襲撃時という例外だけだった。何よりこの村はレグナシア王国に近い上に中継地点だから治安も良く魔物も滅多に現れない。
そう…このアミュレット村は平和だ。大切な人達を回復魔法だけで守れないなら戦う力も欲しい。そう思い続けてはいても…使わずに済むなら一番それが良い。鍛えるのはあくまで保険みたいな考えで良いんだ。
ずっとマージナル家の人達と…ただ平穏に…コルトと村を駆け回ったり、ミリアさんと紅茶を飲んだり…アンクに冒険者時代の話を聞いたりして…そうして時々、誰かが怪我をしたら魔法で治して…そんな平和で、ほのぼのとした…温かい生活が送れるなら…。俺は…それならそれで、良いと思ってた。
でも…現実は非情だった…。
更に3ヵ月が経過したある日の事…。
―――――アミュレット村を、黒い炎が包み込んだ。




