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第1話「満ちる月」

その日は兎に角忙しかった。朝早くから仕事に出、遅い時間帯までの残業を余儀なくされた俺はキモオタ特有の臭い汗を撒き散らしながら精一杯動き回った。そうしてクタクタに疲れ切った俺は晩飯の準備が面倒になり、帰り道にあるコンビニで50円引きのからあげ弁当とコーラを買い込んで帰宅したのだ。夜中にこんなもんを食うと余計デブりそうだが知った事ではない、俺は食いたい物は食いたい時に食うのだ。


「はー…つっかれた…」


誰も居ないのは知っている、一人暮らしの身だ。それでも意味の無い独り言は漏れるもの。ボロっちく安いアパートに部屋を借り、細々と暮らしている。立て付けの悪い扉の鍵を開けて我が家に入ると仕事用の鞄を部屋の隅に置き、ネクタイを緩めて黒いだけが取り得の萎びたスーツをハンガーに掛ける。こんな生活にはもう慣れた。


「っと…親父、お袋、葵…ただいま」


そんな俺だが一つだけ毎日欠かさない事がある。隣の部屋に置かれたちっぽけな仏壇、そこには家族の写真がある。俺は静かに親父、お袋、妹がそれぞれ映る写真の前で手を合わせた。


   *数年前*


俺は今のアパートの一室ではなく片田舎の一軒家で生活していた。今と違い親父の収入を当てにした半ニートに近い生活。バイトはしていたが家に収入も入れず、自分の趣味であるゲームやら漫画やらだけを買って自由気ままな生活を送っていた。そんな現状を嘆く親父、仕事が見つからない事を我が事のように小言を繰り返すお袋、そしてそんな情けない兄を軽蔑した目で見ながら罵倒してくる割と黒髪美人系な妹。けど俺は深い事は考えていなかった。親は年金で暮らしていけるだろうし、俺自身はバイトでも食っていける、別に就職に拘る必要なんか無い。どうせ結婚も出来ないから貯金もそんなに要らない、だから放って置いてくれ。そんな屑の見本のような思考で生きていた。だから俺は知らなかった…家族が本当はどんな目で俺を見てくれていたのかを。


その日も俺は溜め撮りした見たいアニメがあるからと、家族総出での誘いを部屋の中で顔も見ずに断った。妹が有名な進学校に合格したからお祝いに偶には皆で美味しい物でも食べに行こうと、そんなありふれた内容だったと思う。だが俺は行かなかった。俺は葵と仲が悪いから関係ない、行きたいなら勝手に行け、俺の分の食費が浮いて良いだろう、だから行きたければ3人で行ってくれ、と…



それが俺が親父とお袋に告げた最後の言葉になった。



飲酒運転による正面衝突事故。飲酒運転をしていた相手、親父とお袋は即死。妹も既に命が危ない状態で病院に運ばれた。どうやら妹は後ろの座席に乗っていたからか辛うじて即死を免れたらしい、直ぐに自室でヘラヘラとアニメを見ていた俺に「お兄さんですね!?直ぐに病院に来て下さい!」と電話で連絡が来た。そんな事態を知らない俺は「大袈裟に騒いでんなよ…あーめんどくせ」位の考えでダサい私服を着込んで準備していた記憶がある。そうして病院へ向かうと




既に顔を白い布で覆われた親父とお袋、その横には右腕と両足がぐちゃぐちゃな状態で顔の半分を包帯でグルグル巻きにした妹がベットの上で横たわっていた。




え…?何これ…?嘘やん?…なんだよこれ?頭を金槌で殴られた衝撃というのはきっとこういう瞬間を言うのだろうか…なんて事を呆けた顔で考える。無機質に鳴り響く心電図のような音、きっと妹のものだろう…何がなんだか分からなかった。どうしてこうなったどころの騒ぎではない、本当に…何なのこれ…。そんな状態で佇む俺を余所に主治医であろう男や看護師達が必死に妹の命を繋ぎ止めようと忙しなく動き回っている。まるで俺だけが部外者のような状況。どれだけ突っ立っていただろうか…数十秒かもしれないし、数十分かもしれない。看護師の一人が「娘さんが意識を取り戻しました!」と鋭く叫んだ。その声に反応した俺は情けない足取りだが凄い速さで駆け寄った、周りの邪魔になるとかなんて考えなかった。妹が俺を嫌っているとかもどうでも良かった、兎に角近くに行かないとと言う考えだけが頭の中を満たしていた。


直ぐ様枕元の横で膝立ちになり、両手で無事だった妹の左手を強く握り締める。目線の高さを合わせた事で視線が交わる。妹の目…俺を小馬鹿にしたような目だ。だけどよく見ると何処か人懐っこくて…未だ仲が良かった幼い頃に見た事のある…優しさを滲ませた綺麗な目…。それを見て俺は必死に口を動かそうとする、何か言わないとと頭を回転させる、でも頭が真っ白で何も言う事が出来ない、言いたくても言葉が出て来ない。本当にダメな兄貴だ。先に言葉を発したのは妹だった…弱々しく口を開き


「おにぃ…ごめ…」


それだけだ、本当にそれだけだった。でもそれだけで妹が何を伝えたかったのかは分かった。ずっと俺を小馬鹿にしていた事を謝って来たんだ…違うだろ、俺が罵倒されたり軽蔑されたり見下されたりするのは当然の事だろ。あんな自分勝手な生活をしてきたんだから、と…そう言い返してやりたかった。でもやっぱり口が動かなくて「あぁ…」とか「うぅ…」とか呻くしか出来なかった。そんな俺の姿を見る妹の目からは涙が溢れ出した。俺はせめて手をもっともっと強く握って自分が傍にいると、だから生き抜けと、そう行動で伝えた、けど伝わったかは分からない。そうする中、妹はまた口を開いて掠れた声で


「…生活…費…、父さん…と…母さ…貯金…から…」


そんな事はどうでも良い、俺なんかより自分の身を気遣え、そう言ってやりたかった。でもやっぱり自分の口から出てくるのは情けない呻き声だけ、だけど代わりに視界がぼやけて来る…。俺は泣いていた、汚く鼻水まで垂らしキモオタ顔をくしゃくしゃに歪めて。こんな屑同然の俺の為に…命が消えかけているにも関わらず、妹は…葵は残された兄の身を案じてくれていた。そして…


「お…に…、生き…て…」


その言葉を最後に自分の手を弱々しく握り返す力が抜け、同時に無慈悲な電子音が鳴り響いた。さっきのような単調なリズムではなく、それに繋がれた者が既に生きていない事を告げる音。それを理解するのに数秒掛かった、そして理解した。俺の両手に力が一層入る、だけどもう妹からは握り返してはくれる事は…二度と無かった。


「うぁっ…あぁ…ああああああああああああああああーーーーーーーーっ!!」


そうやってようやく口から出た大きな声は慟哭、無様な兄を本当は想って最後まで心配してくれていた妹。そして妹の言葉から察しがついた、父と母が俺を案じて残してくれていた財産。普段日常的には俺に小言や説教を言いながらも…もし本当に俺がこんな生活を続けるならと…せめて生きていけるようにと…そう思ってくれていた親心。過保護かもしれない、だけど俺には過ぎた家族だった。こんな俺を見捨てず、案じてくれていたのだ。俺はそんな気持ちも全く知らずに自分勝手に生きてきた。そんな自分に今更ながら反吐が出た、悔しくて悲しくて…そう考えたらもっと涙が止まらなくなった…気が狂いそうだった。だけどどうしようもなかった…今泣かなければきっと俺は本当に狂ってしまうだろうから…本当に狂って死んでしまいたくなった、だけど妹の最後の言葉が忘れられず、また声を上げて泣き続けた…。


   ***


それから先の事は殆ど覚えていない、いや…ぼんやりと一部は覚えている。家族の葬儀、残された多額の遺産、その葬儀で偶々知り合った今の会社の先輩のお陰で就職出来た事、遺産には結局手をつけず実家もそのまま残した事。その辺の事は何とか覚えている。遺産に手をつけないのは俺にはその資格が無いから、あの家に住まないのは家族を深く思い出してしまって辛いからだ。俺は変わらなければ行けないと思った、あんな素晴らしい家族が俺を最後まで想って逝ったのだから…俺もせめて人を思いやれる人間であろうと、ちゃんと仕事をして一人でも生きて行こうと、そう思った。そうして今もこうして生きている、少ない給料だが自活出来るようになり、少し面倒だとは思ってもどうしても困っている人を案じずにはいられない性格になった…相手からしたら余計なお世話かもしれないが。


「さて、飯だ飯」


家族に手を合わせ終えた俺は買ってきたからあげ弁当を電子レンジに放り込み、少し温くなってしまったペットボトルコーラの封を切って口の中に流し込む。ぷはー、やっぱ炭酸って言ったらコーラだわな。とかゴミのような食品レビューをしつつ畳の床の上に寝転がった。うとうとし始める俺の耳に温め終わった電子レンジの音が僅かに聞こえて来たが結局仕事の疲労による睡魔に負けて意識を手放した。


   ***


「ん…、ん…ぁ?」


どれほど寝ていただろうか、目が覚めると既に数時間が経過していた。転寝のせいでチンしたからあげ弁当は冷め、見たかったアニメ番組は終わっており、オマケに風呂にも入っていない。これは良くない、明日の仕事にも差し支える可能性もある。嫌だが今日はこのまま寝てしまおうと気怠い体をのっそりと起こして部屋の電気を消すと真っ暗…にはならなかった。まだ眠い頭を動かして微かに視界を照らす光源を探してみる。何とスーツの胸ポケットがぼんやりと輝きを放っている。携帯…ではない、充電機に差し忘れたが転寝する前に財布と一緒に棚の上に置いている。夏場だし蛍だろうか…いや、こんなボロアパートに出てくる虫と言ったら強敵G位のものである。大分覚めて来た思考を巡らせるも、結局確認しない事には始まらないと恐る恐るスーツが掛かる壁の前まで来る。正直怖い、俺はへタレなのだ。ついでにキモオタで汗もびっしょりなのだ。だから幽霊とかだったら他所に行って欲しい。そんな願いを込めつつ光ってるポケット部分に指先で触れる。丸い…、…あ。


『あ、あの…!これ…あげます…!』


数日前に公園で出逢った少女がくれたビー玉、それを思い出す。成る程、こんな機能も付いてるとは思わなかった…とか思いながら頭の片隅で幽霊じゃなくて良かった、とも思っている。小心者ここに極まれり。兎に角光の原因が分かったのなら怯える必要は無い、スーツのポケットに手を突っ込んでビー玉を取り出して掌の上に乗せてみる。よく見ると透明な部分ではなく中心部に埋め込まれた銀色の部分が淡い黄色に輝いている。…最近の子供って高価なアクセサリー持ってんだなぁ、とかあんまり意味の無い事を考えているともう一つ、釣られた様に思い出した。


『 … 満月… …救…  』


俺が去る直前、後ろでそんな事を言っていた気がする幼女。確かにこのビー玉の今の状態は満月の様な輝きを放っている。玉の事の説明でもしてくれていたのだろうか?そんな感想を浮かべつつふと窓の外を見ると夜空に浮かぶお月様も見事に満月だった。あんまり見事なまん丸なので窓を開けて直に月とビー玉を見比べようと目論んでみた、何となくどっちの方が綺麗なのか確かめたかったのだ。そうして月と翳したビー玉を見比べている内に偶然、本当に偶然だ、俺が覗き込むビー玉内の銀色の球体越しに満月が重なった。その瞬間ビー玉が一気に輝きを増し、俺はまるで宙に投げ出されたかのような浮遊感と共にその光の奔流に飲み込まれる。その瞬間、確かに声が聞こえたんだ…



「二つの満月が繋がりし時、救世主が生まれ落ちん」



救世主…?俺は葬儀屋だよ…。人違いだよ…何となく俺に向けて言ってるらしき声に対し、俺は心の中でそう呟き返しつつ意識を再度手放す事になった。

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