第16話「不器用な期待」
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あれから1ヶ月と少しが経過した。俺は剣の方の修行である基礎鍛錬の村の外20周を早朝から昼過ぎには難無く完走出来る様になり、字の読み書きも完全にマスターした。魔法の修行に関しては夕方頃から行っており、属性魔法の基礎について種類や効果、そしてミリアさんの実演を参考に勉強中だ。とはいえ…今の段階では子供にしては高めな体力と、こちらの世界の人並みな知識が得られただけである。本格的な修行はこれからと言えるだろう。今日も無事に昼を越えた辺りで蜂蜜亭の裏庭まで帰宅し、柔軟運動をしていた俺を見たアンクが声を掛けてきた。…と同時に俺に向けて何かを放り投げる。
「…そろそろ良さそうだな。おいクラル、これ持って、構えろ。」
「へっ?お…っ、ととと…!こ、これは…鉄の…棒…?」
屈伸を終えたタイミングだった為慌てて両手で受け取ると…渡されたのは割と重さを感じる鉄棒だった。アンクも同じ物を持っているが一箇所だけ違う場所がある。アンクのには鍔が無く、俺のには鍔が有った。詰まり…これは…。
「木刀なんかじゃ軽くて修行にならねえからな…、…それとクラル。今日からはこの修行中に限り、回復魔法のみだが…使うのを許可する。」
「…!」
「俺が魔法を許可した理由は…分かってるな?」
分かっている…つもりだ。これからはこの鉄の棒を使い修行する事になる…そう、模擬戦だ。しかも相手は…元A級冒険者のアンク。当然、体力をやっと付けただけの子供の俺が勝てる相手では無い。チート能力等俺は持ってないし、回復魔法以外はまだ基礎の基礎の知識程度だ。…詰まり、最初はボコボコにやられるだろう。いや…下手をすると今のこの姿の俺に剣の素質が全く無ければ………ずっとそうなり続ける可能性だって有る。だからアンクは許してくれたのだろう、修行中に回復魔法を使用する事を。この鉄の棒は少なく見積もっても長剣位の重さは有る…当たり所が悪ければただでは済むまい。俺が返事をせずに手の中の鉄棒をジッ…と見詰めている事に不安を覚えたのか、アンクが再度声を掛けてくる。
「クラル、始める前にもう一回だけ聞いてやる…怖いと思ったならここで止めても構わねーんだぞ…?…誰もお前を責めたりしねぇ。」
その声はとても優しく、少しだけ不安を感じさせる声だった。…………そうだ、アンクからしたって…俺みたいな子供の外見の奴にこんな物を振り回すんだ…気分の良い物じゃないだろう…下手をすれば…殺してしまう可能性だって0じゃない。それでも…俺を鍛えるのなら…手を抜いた方法ではなく、本当に強くなれる方法で…きっとアンク自身が受けてきた修行を提示してくれているんだ…、なら…俺はそれに応えなきゃならない。俺は…もっと強くなりたい。大事なモノを…大事だと思える人達の命を…守る為に…!
「いえ、…宜しくお願いします…!」
俺の返答を聞いたアンクはやれやれ、と言った顔で苦笑した後こちらを見る。その顔は…嬉しそうだけどちょっと残念そうな、少し矛盾した様な表情だった。そして、その直後…………アンクの纏う雰囲気が一変する。
「…っ…!」
そうだ…この感覚は…あの黒甲冑と戦っていた時の彼の雰囲気そのままだ…それが今、俺に向いている…。自然と…足が震えてしまう…目の前の相手が…恐ろしい…畏怖の存在と化す…。…犬との対峙や黒甲冑を遠巻きに見ていた時とは比較にならない、それでも…後退だけは出来ない。その場に立ったまま…両手で握った鉄の棒を構える。アンクも鉄の棒を片手で構えつつ、冷徹な口調で助言をくれる。
「手加減はしてやる……兎に角、最初は俺の攻撃を一発でも防ぐ事だけを考えろ、今はそれだけで良い。」
そう言った瞬間、数m先に居た筈のアンクが目前で鉄の棒を構えて振り被る姿が残像の様に視界に映り込む。は…早い!?あの黒甲冑の時よりもっ!
「っ…!!??」
くそっ!……み、右だっ!!!俺は当てずっぽうで右側脇腹を庇う様に鉄棒を構え直す…と同時にガッ…キイイイイイインッ!と耳を劈く様な乾いた金属音が鳴り響けば思わず目を瞑り、両手に凄まじい痺れが襲ってくる。どうやら運良く防御出来た様だ…が。
「うっ…ぐ…あぁっ!!!」
直ぐに追撃され左肩に激痛が走る、は…早すぎるっ…!こんなの…どうやって…!
「初撃は運良く防いだみてーだが…防いだ後も目は瞑るな。じゃねえと実戦で…死ぬぞ。」
「いっ…!っぎ…!!!」
そう呟いたアンクに従い、直ぐに目を開くが…やはり、早すぎる!次の攻撃も防ぐ事処か動きすら碌に見る事が出来ず、右肘に強烈な一撃を受けた…。俺は思わず鉄の棒を落としてしまい、攻撃を受けた箇所を押さえ込んで…小さく呻く。
「くっ…そ…ぉ…。」
信じ難い…痛みだ…!斬撃でないだけで…っ…まさに金属バットで殴られてる様な…っ…!
「………クラル、回復して良いぞ。今日は俺の攻撃を数発でも防げりゃ合格て」
「いや、…ですっ…!!っ…ぅ…!」
「…何?」
「……っ…。」
「………。」
俺はアンクの言葉を遮って痛みを堪え、棒を持って再び構え直す。今ここで…安易に回復魔法を使うのは…絶対に嫌だ。そんなの…「自分は後から幾らでも回復出来るから良い」って…前にアンクが案じてくれていた破滅的な思考その物じゃないか…!俺に…大切な事を教えてくれようとしてるこの人に…それを促す様な真似はさせられない…!
「…………。」
俺と視線が邂逅するアンク。構え…直した…、…来る…!
「………っとに…真っ直ぐな目ぇしやがって。」
……っ!やはり、見えないっ…!そうして…今度は左手の甲に激痛が走る…が!
「く…っ…!」
痛みに悶絶しながらも即座に右手だけに鉄棒を持ち直し、偶々右側の視界に映ったアンクに対し鉄棒で右半身を庇う様に構えた…!そうして間を置かず再び乾いた金属音…と同時に俺の手から得物が空高く吹っ飛ばされる…どうやら一撃を片腕で持った棒では防ぎきれずに弾かれた様だ。
「って…ぇえ……っ!」
くそっ…!もう1度だ!俺は痛む箇所と痺れる掌を無視して棒が落ちた場所へ向かって走る。そんな行動をしている時はアンクは何もしないでくれるらしい…まぁ、そうだろう…今の俺では得物があっても稀に攻撃が防げる…かも程度なのだ。素手での防戦になったら間違い無くただのサンドバッグである。そんな事を考えながらも…心の何処かでほんの少しだけ思う…アンクは確かに教えるのは向いていないのかもしれない…優しすぎるんじゃないか、と。
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日が暮れ始めた…冷や汗と所々擦り傷を負っている俺の四肢は既に殆ど肌色ではなく…アンクの攻撃によって出来た内出血の青腫れで幾つもの箇所がズキズキと痛む状態である。だがしかし…そのお陰で「もう痛い思いをしたくない」…という必死さが頭を支配し、動体視力がアンクの動きに僅かながら追いつき始めている。運では無く動体視力のみだと大体10回中にたった1、2回だが…それでも確実に攻撃を防ぐ事が出来る回が生まれている。そうしてふら付く手と足で鉄の棒を構えていると、アンクが正面から打ち込んでくるのが見えた。
「……っ!」
……上段…っ!俺は両腕で握った鉄棒を上体を庇う様に構えたと同時にあの乾いた金属音が一際高く高く夕暮れの空に鳴り響く…。暫くの間、鍔迫り合い状態だったが…握っていた鉄の棒から力を抜いたアンクが地面に得物を放った。
「よし、今日はここまでだ。…さっさと回復しろ。今度は嫌とは言わせねぇぞ?」
「はい…!」
俺は今度は迷う事無く初級・回復呪文を自分に掛ける。淡い水色の輝きが自分を包めば、瞬く間に打ち身の青腫れ、擦り傷、疲労が解ける様に癒されていく。うん、ほぼ完全に回復した。しかし、ミリアさんの傷も重傷だったが…本当にこれで初級なのだろうか?自分で使ってて今更ながら信じ難い。それを見届けたアンクもやっと何時もの調子に戻ったらしく
「おし!じゃあ後はミリアに魔法の修行して貰えや!俺ぁコルトに新しい試作料理を食わせてやらねーといけねーからな!」
「いえ、コルトも魔法の修行に出るって言ってましたよ?」
「はぁぁぁぁ!?またかよ!?クラルてめぇ最近コルトとやたら一緒に居過ぎだろ!?ずりぃぃぞ!!!」
そりゃ一緒に住んでるし…ってかこの人、本当にさっき俺と戦ってた人なの?かっこよさが100から-500位になってるんだけど…。っと…そうだ。
「それよりアンクさん、回復魔法掛けますから。」
「それよりだと!?俺にとってコルトに料理を味見して貰う以上に優先する事なんざねえええええ!!!…………ま、心配すんな。俺ぁお前と違って疲労だけだからな、傷なんて全く負ってねえだろ?」
「そ…それなら疲労だけでも最初級・回復魔法で…。」
「要らねぇっての!ったく……、……おいクラル。」
「はい?」
「…しっかり強くなれ。お前にゃ…ちっとばかし、期待してるからよ。」
そう告げたアンクは俺に鉄の棒の片付けだけを指示して蜂蜜亭の仕込み倉庫の中へと消えて行った。……訂正、あの人は確実にダメ親父だけど...最初から最後までやっぱりかっこいい人だ、うん。
***
疲労やら傷は綺麗に治したけど…剣の修行の直後だし、この際汗だくなのは我慢して魔法の修行に合流しよう。裏庭の山に面した場所…最近、ここは魔法の修行の実技を疲労する場となっている。既にコルトとミリアさんも来ているみたいだ…今更だが蜂蜜亭の準備とか大丈夫なのだろうか?いや…でもこの1ヵ月…休業だったのは定休日位だったよな…字を覚えてからは俺も夜の料理屋兼、酒場と化した店内で注文を取ったり皿洗ったりしてるし…きっとメインの料理とかは上手くアンクとミリアさんで準備しているのだろう。…俺も料理が出来れば良いのだが、流石に今の俺ではそこまでの余裕が無い。
「遅くなって済みません、宜しくお願いします。」
「お疲れ様クラルくん、…休憩を挟まなくて大丈夫?」
「はい、今日からあっちの修行も模擬戦で…回復魔法の使用を許可して頂いたので…。」
「えっ…!?も、もう実戦形式に入ったの…?…クラルくん、本気でアンクに期待されてるみたいね。」
練習用の的を木に括り付けていたミリアさんがこちらに視線を移し、驚いた様な口調で言葉を漏らす。
「そ、そうなん…ですか?」
「もう聞いてるだろうけど…アンクは人を教えるのに向いてないわ、いえ…正確には剣を…かしら。」
「…何となく、ですけど…俺も少し、そう思いました。」
「口先では厳しい事言ってるけど…甘いって言うか…とても慎重と言うか、誰かに教えるにも…時間を掛けすぎる傾向が有るらしいのよね。」
そういう意味だったのか…。始める前にアンク当人の師匠からも向いてないとか言われてたって聞いたけど…まさか慎重過ぎるのが原因とは…。
「…でも、期待されてるなら…いえ、仮にされてなくても…俺は…最後まで教えて貰いたいと思っています。」
元より、戦える強さが欲しいと思ったのは自分自身のエゴが原因だ。そんな理由の俺を鍛えてくれる上、期待までしてくれているのなら…絶対それに応えたいと思う。
「………。…コルトは早めにクラルくんを掴まえといた方が良いかもね。」
「!?」
いきなり真顔で脱線したちぐはぐな言葉を呟くミリアさん、そしてそれが聞こえたのか少し離れた場所で木に的を括りつけてたコルトが肩をビクゥッ!と跳ねさせ…凄く恐る恐るな感じにこちらに顔を向けて来た、顔が滅茶苦茶赤い。大丈夫、そんな怯えんでもおっちゃんはコルトの兄貴分やで…わざわざ掴まえんでもちゃんと見守るやで。俺は慈愛の篭った視線…のつもりで彼女を優しく見詰める、決して変質者の視線ではない。
「あ、ぁ…う…。」
直ぐ視線を逸らされた挙句、真っ赤なままで俯かれました。えぇ…そんなに嫌なの…セクハラ発言したのは君のお母さんですからね…?俺が少しだけ傷心していると、原因を作ったミリアさんが話を戻す様に声を掛けて来た。
「まぁ、その辺は後で若い者同士で話し合って貰うとして…今日は風属性の魔法について実演するわね。」
何かお見合いの仲人さんみたいな事言ってるけど、既に破綻している空気のお見合いでもそういう事は言うものなのだろうか?気不味さしか残らないから寧ろどちらかを連れて帰宅するべきでは……違う、そうじゃなくて…えっと…風属性の魔法か。確かミリアさんの得意な属性だっけ。この1ヵ月の間に聞いたが彼女が生まれ持った得意属性は炎・氷…そして風だそうだ。この3種は組み合わせとしても優秀らしく、使い勝手も良いらしい。実演が始まる前に、俺とコルトはミリアさんから少し離れた場所で座り見学する事になった。
蛇足だが…コルトが何時もより俺から離れて座っているのが少し悲しかった。




