第13話「戦うという事」
最初の完走から数日が経過した。俺は早朝から時間を掛けて、夕方手前位には20周を走り終えられるだけの体力が漸くついて来た。とは言え…あくまで初日と比べてマシになっただけだ、今でも終わると疲労、足の筋肉痛、吐き気は健在。こればかりはもっと続けて慣れるしかない。アンクの話では寧ろこの短期間で完走した後も倒れなくなっただけ大したものらしい。こちらの世界の新しい俺は肉体的に若いからなのか、元々この姿だと運動神経が良いからなのか知らないが割と優秀な様だ。…前の世界では持久走なんてスポーツの中で一番苦手な分野だったんだけど。
「…………。」
今日の基礎鍛錬を終えた俺は、汗だくになった状態で茜色に染まる空を見上げながら裏庭の草むらで大の字に寝転がっている…。こういう情景は前の世界と余り変わらないんだなぁ…なんて、ボケーッとノスタルジックな雰囲気に浸っていれば誰かが俺の顔を覗き込んできた。夕焼けの角度的に丁度顔の部分が影になって見えない…今日の修行の終わりを告げに来たアンクか、それともまたコルトかミリアさんが様子を見に来てくれたのか…。
「お主、こんな時間に昼寝かの?汗を掻いたまま寝ると風邪を引くんじゃぞ。」
ん?随分古風な喋り方をする人だ…少なくともマージナル家の誰かではない。声の高さと髪の長さからして…今の俺より少しだけ年上の女の子…みたいだが。いや…それよりも…シルエットだけで分かるが頭から耳が生えてる。獣耳だ。……コスプレか何か?いや、その前に…一体何時の間にこの家の裏庭に侵入して来たのだろうか。
「よっ…と、昼寝に見えました?」
足が痛むのを我慢して体を起こす、そうして俺に話し掛けて来た相手を改めて観察してみる。緋と黒が混じり合う奇抜な髪色、この世界の価値観が未だによく理解出来ていない俺でも一目で分かる業物らしき剣が左右の腰にそれぞれ1本、背に掛けているのが2本、計4本。服は冒険者が着ていそうな地味なデザインのモノだが…下は黒スパッツみたいな感じのズボン。そして…コルトよりも身長が高いのに平坦である…何がとは言わんが。獣耳は右が赤、左が黒…髪色と同じ様な配色…コスプレだとしたら実に細やかな設定だ。んで…どちら様?
「ん、違うのかの?確かに今は昼ではないからのぅ…では、ズバリ…夕寝じゃな!?」
あっ…この子ちょっとアレな人だ、きっとそうだ。アニメキャラとかでもこういうの居るし、間違いない…。っていうか夕寝って何ぞ。
「いえ、基礎体力作りで走り回って来たので…疲れて休んでたんです…。」
「ほう。走り回ったとな…?一体どの位走ったのじゃ?」
「この村の大きい道を20周…ですね。」
「それはそれは…!さぞかし疲れたじゃろう。しかし何故、お主はそれ程走っていたのじゃ?」
「何故って…体を鍛えたいからですよ。」
「鍛えてどうするのじゃ?」
何だこの子…、初対面の相手でも遠慮無しに質問攻めとは…。そんなに体力の無い俺をからかいたいのか…?ま、今はからかわれても仕方ないレベルだし…良いけどさ。
「えっと…ある人から…剣を学びます。」
「学んでどうする?」
「自分が守りたいモノとかを…傷付けずに済む様にしたいんです。」
「それは無理じゃな。」
…………え、何?いきなりキッパリ否定して来たなこの子…。凄い真顔で見てるし…。
「…いや…無理かどうかは…。」
「お主、守りたいモノがあると言ったのう?それは宝物か?それとも思い出の場所か?或いは………自分ではない、大切な誰かか?」
「………大切な人達を、です。」
「……お主がそんな風に思っている者達が居るのであれば、逆もまた然り…。お主が剣を学ぶ事に不安を感じる者も居るのではないのか?」
何となく…コルトの顔が浮かぶ。確かに…彼女は俺がアンクに修行を頼み込んだと聞いた時…余り良い顔をしてなかった。それに…今日からはミリアさんの魔法の修行も少しずつ進めて行く予定である。以前、深夜に彼女の両親が話していた内容から推察すると…コルトは少なからず仲良くなった俺に危ない事をして欲しくないのかもしれない、彼女自身もあの獣に襲われた事があるし…心優しい子だからな…。でも…そんな子が危なくなった時、俺が何も出来なかった…だから…。
「そう、かもしれないです…。でも…俺も…強くならないと…。」
「強くなるのが…お主である必要はあるのか?」
「っ…そ、それ…は…。」
今度こそ言葉に詰まる。そうだ…確かに俺は身勝手な願いやお節介で…自分が大切に思う人に幸せで居て欲しい…理不尽な死を迎えさせたくない…そんな事を望んでいる、言わば自分のエゴだ。回復魔法だけでは足りないと目標に「戦う力」を加えたけど、…それは既に「回復魔法だけに専念するつもりの自分」ではなくなっている。
「強くなれば強くなっただけ、敵を討った時…今度は敵に取っての「大切なモノ」がお主に牙を剝くかもしれんのだぞ?」
俺の心を見透かした様に問い掛けてくる。何なんだ…この子は…本当にただの女の子、なのか…?
「答えい、その時…お主は…どうするのだ?」
「…。」
「例えば、お主に対し仇討ちを目論む敵であったり…同情したくなる様な哀れな者が敵であったりしても…お主はそれらを斬れるか?斬らねば自分の大切なモノに危害を加える可能性も考慮した上で、じゃ。」
「………。」
その問いに俺は完全に沈黙する。…確かにそうだ、敵となった相手にだって事情はある。黒い犬や甲冑は魔物だったから良い…相手が自分と同じ人間だったら…。これは…アンクにも問われた事だ、しかも…彼女の問いは……それよりも深い。
「……どうした?即答も出来んのに剣を学ぼうと言うのか?」
問い掛けをした張本人は獣耳を揺らし、焦れったそうに眉を顰めている。無茶言うな…こんなの…悩まない筈が無い。
「……こんな質問、即答出来る方が…おかしいじゃないですか。」
「む………。」
「………。」
「……、うむ。それで良いのじゃ。」
先程まで俺を問い詰める様な口振りだった彼女は急に態度を軟化させ、満足そうに頷く。は…?えっと…意味が分からんのだけど…。
「剣を…いや、剣に限らぬ。敵を討つと決めた段階からは確実に打倒するまで迷ってはならん、命取りになるからの。じゃが…戦うと決断するまでは、そして倒した後には…沢山迷い、苦悩し、考える事を絶対に忘れるな。そして根底にある己が信念も、じゃ。……では、またの。」
そう宣言すれば4本の剣を携えた獣耳の彼女は満足したのか、あっさり裏庭を出て行こうと背を向ける。
「ちょ…ちょっと待って下さい!あ、あなたは何者なんですか!?」
慌て気味の俺の問い掛けが耳に届けば、去ろうとしていた彼女はピタリと静止し緋と黒の髪を揺らして顔だけ此方に振り向かせた。
「儂か?儂の名はカゲツじゃが…。」
「カゲツ、さん…は何故俺にあんな事を…?」
それを聞いた彼女はキョトンとした後、律儀に体もこちらへと向き直らせて腕を組み口から僅かに八重歯を覗かせ、可愛げと悪戯さを含む笑顔で答えてくれた。
「何、ただの気紛れじゃよ。お主は何となくじゃが昔の友人に似ていたでな…つい口を出したくなったのじゃ。おっと…儂の名を教えたのじゃからお主の名も聞いて置こうかの、ん?」
カゲツはニヨニヨと笑ったまま催促する様に顎をしゃくる。
「えっ…あ、失礼しました…。…クラルテです。クラルテ・カークティア。」
「ほう…良き響きの名だの。ではなクラルテよ、儂の助言…ゆめゆめ忘れるでないぞー!」
そう俺に告げると、カゲツは再び背を向け歩き出した。
「あ…あの…!」
今度は呼び掛けてもカゲツが振り返る事は無く、夕焼けが眩しい景色の中へと消えて行った。…一体、あの子は何者だったのだろう…あの携えた4本の剣…そして、あの言い回し…ただの女の子では無いのだけは明白だ…。………、戦いにおいて…苦悩すると同時に…根底の想いを忘れるな、か…。…俺はそんな大それた信念を掲げていたのだろうか?…ただ、大切な人達を守りたいだけなんだけど……一応、頭の隅に留めておこう。俺は地面に再び座り込むと柔軟運動をしながら、初のミリアさんによる魔法の修行に向けて気持ちを切り替える事にした。




