第11話「回復魔法」
黒甲冑達が倒され、張り詰めた空気が漸く弛緩していけば俺はゆっくりと抱き締めていたコルトから離れる。…色々、考えないといけない事が増えたが…まずはミリアさんの傷を治さないと…。さっきはああ言ったが…回復魔法自体は有っても困らない、問題は…それを必要としない状況を作れるかどうかだ。俺は…認識が甘かった、前の世界では…日本は平和だった。命のやり取りなんて考える必要が無かったから…こちらも同じだろうと楽観視していたんだ…それに最初に来た日に犬の魔物を倒せてしまったのも、調子に乗る結果を招いてしまった…。結果としてコルトは今回も助かったが…それは運が良かっただけだ、彼女の両親が強かったという幸運…俺は何も出来なかった。コルトから離れた俺は、蹲るミリアさんにそっと歩み寄ると静かに片手を脇腹に近付ける。
「……クラル…くん…?」
見た目でも分かる程深い傷だ、激痛を堪える為に額に脂汗を浮かべてミリアさんがこちらを見ている。コルトもハッとすれば直ぐに慌てて駆け寄って来た、その手には試験管みたいな形状の筒がある…中身は緑色の液体。…体に悪そうだが一体何なのだろう?
「お母さん…!これ…!」
「それは…!ダメ…よ、その薬…は…万が一の時の為の…物なんだから…。」
「今がその万が一の時だろうが、だから馬鹿言ってねーで飲め。じゃねーと俺が無理矢理飲ませっぞ?」
「馬鹿は…あなた…よ…、アンク…回復薬一つ買うのに…幾ら掛かるか…知っ…ケホッ…!」
「お母さんっ!」
ミリアさんの咳に血が混じっている、もう一刻の猶予も無いと勝手に判断した俺は言い合う3人の了承も無しに行動に移る。自分以外に試した事は無いが、回復魔法なら…任意の相手にも掛けられる筈なんだ。呼吸を落ち着かせ、祈る様に目を細めると頭の中にあの文字がまた浮かび上がる…。よし…行ける、ミリアさんの傷に向けた掌の表面に淡く優しい水色の魔力が集まって行く。
「く…クラル?」
俺が何かしようとしているのに気付いたのか、コルトがこちらに声を掛けるが今は返事を出来ない、済まん…。集中力を高めてゆっくりと口を開く…
「慈しむ輝きよ、かの者に癒しの抱擁を」
『初級・回復魔法』
ん…?犬と戦った時の詠唱と違う…しかし自分の掌から放たれている以前よりも大きく柔らかな光は間違いなくミリアさんの深い傷を癒しており、徐々に傷口が塞がって行くのが見て取れる。…しかし、完治に時間が掛かっているな…思った以上に深刻な状態だった様だ。俺は掌を添えて回復魔法を掛けたまま、ミリアさんの顔色はどうなったか脇腹から視線を上に向けると
「「「………………………………」」」
マージナル家全員が「まるで信じられないものを見た」、的な表情をしている、そう…俺を見ているのだ。何か粗相をしてしまったのだろうか?でも出来れば後にして欲しい…せめてミリアさんの傷を完治させてからで。等と思っていた矢先に
「お、おい…クラル…おま…、それ…って?」
ん?珍しい…アンクがここまでどもる様な驚きの反応をするとは…自分の嫁の脇腹に手を添えられてるから怒ってるのだろうか…。ミリアさんは確かに綺麗だが別に下心は無いし、回復してるだけなんだから許してくれよな…。
「く…クラルくん…。ま…まさか…あなた…回復魔法が…使えるの…?」
既に詠唱を終えて魔法名を唱えた後だからか、自分の魔力を手から放つ様な感覚を忘れずに意識しているだけで効果は持続する様になった。よし、少し位なら話し返しても大丈夫だな…。
「はい、情けない事にこれも今覚えたばかりというか…これは初めて使うんですけど…最初級の回復魔法よりは効果もマシだと思います。」
先程見せられたミリアさんの洗練された様な攻撃魔法とは異なり、俺が使っている回復魔法は地味である。でも、確かに癒す力ではあるのだからそれで良い。…攻撃魔法、本当は少し羨ましいけど。
「か…回復魔法…。…信じられない…実在していたなんて…。薬を飲んで無いのに…もう殆ど痛みも無い…こんな奇跡が…有り得るなんて…。」
「クラル…ほ、本当に……回復魔法…が使える…なんて…、…す、凄いよ…!」
え、凄いの?これ…ただの初級回復魔法なんだけど…。そういやコルトにも犬を退治した時の詳しい話はしなかったっけ…。
「回復魔法を使える人なんて珍しく無いと思うけど…。」
「いや…この世界に回復魔法を使える奴なんて…恐らく…お前以外存在しねーよ。今お前が使ってる魔法はな…ほぼ「神話や御伽噺にしか登場しない」と言われる伝説級の力だ。」
そんな馬鹿な…こんな力なんて魔法や剣の世界なら基本中の基本だと思うんだけど…。しかし回復魔法が伝説だなんて…アンクにしては余り面白くないギャグだなぁ。
「いやいや…こんなの初級魔法らしいですし、そんな事言って俺をからかってるだけでしょう?アンクさん。」
概ねミリアさんの傷口が塞がれば、血色も良くなってきた様なので俺は脇腹に添えていた手を退かせて騙されまいと言い返す。
「違うわ…クラルくん…。あなたは……、歴代の魔法使いや魔術師が求め、探究し続けても…到達出来なかった力を…、回復魔法を…使えているの。」
ミリアさんにまでからかわれ…てる訳じゃなさそうだ。目付きが真面目な会話をしている時のモノになっている。つまり、この世界には回復魔法と呼ばれる系統の力が元から存在し得ない…と言う感じなのだろうか。
「でも…それが本当なら普段はどうやって傷を…?」
「回復薬とかも一応有るには有るんだよ、まぁ死ぬ程に価格が高いけどな…。」
コルトが先程持っていた緑液体入りの試験管を指差すアンク、マジか…あんな青汁みたいな緑の液体がそんなに高いなんて…。
「そんなに高いんですか…。…じゃあ、これから怪我をした時は俺に言って下さい。ちゃんと治しますから。」
俺はそう言うと、疲れているであろうアンクとコルトの両方にもササッと回復魔法を掛けて置く。それを見ていたミリアさんはますます驚愕の表情を浮かべていた。
***
現在、俺、アンク、そしてミリアさんの3人がダイニングの椅子に腰掛けている。因みにコルトは既に自室で休んでいる。回復魔法は既に掛けたが…俺への村案内をしてくれた上、自宅であんな戦いがあっては精神的にも疲れているだろう…。そして俺だが…実は…元冒険者の2人に魔法と剣術を習いたいと思っていたのだ。勿論、字を覚える事も忘れていないが…知識だけでなく、戦う力も必要になると…今回の戦闘で実感したから。居候の身でありながら、こんな指南を求めるのは少し図々しそうだが…もうなりふり構ってられない。俺もせめて、人並み以上に戦える様にならねば…と。どうやってその話題を切り出そうか迷ってると、
「クラルくん、私と魔法の修行をしてみない?字はまだ覚えてないから魔法系統の本は読めないだろうけど…実技で魔法を見せたりも出来るし。どう、かしら?」
まさかのミリアさんからの申し出…とてもありがたいので二つ返事で直ぐにでもお願いする、という形になった。そしてミリアさんの隣に座っているアンクだが…
「……ダメだ、俺ぁ剣を教える気は無ぇ。クラル…剣で斬るのは魔物だけじゃねーぞ?場合によっちゃ敵となった人間へ刃を向けるって事もあるんだ。その時…てめーは人を斬れんのか?」
それは…確かに躊躇してしまいそうだ…。でも…そんな忠告では引き下がれない。絶対に剣も学んでおくべきだと、そう実感している…。この先、万が一にでも黒甲冑並の魔物が現れたら…今の俺では倒せない。だから…倒せる様に強くならなきゃいけないんだ。他でも無い…俺が守りたいと思ったモノの為にも。
「…斬れるかは…正直、分かりません、…でも…俺は…今のままじゃダメなんです、どうか…お願いします!」
俺は深々と頭を下げる、思えばアンクに対して心からのお願いをしたのは初めてだったっけ…。
「………………明日の朝、裏庭に来い。」
アンクはそう静かに返事してくれた、似合わない。
こうして俺の目標に「戦える力」が追加され、明日からは魔法と剣術に関しての本格的な修行に入る事となった。
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