第10話「力なき正義」
先手を取ったのはアンクだった。それなりに離れていた筈の敵の間合いに一瞬で入り込むと片手に持った長包丁を振るい、既に剣を抜刀していた黒甲冑に対して恐れも無く鋭い連撃を浴びせ始めた。あれを片手で…しかも長包丁で行っているとは…正直信じられん。
「ミリア、こいつらには剣の効き目が薄いみてぇだ!魔法で頼む!」
「任せて頂戴、さっさと倒してコルトやクラルくんの今日の話をもっと聞かせて貰いたいんだから…私は。」
金属が打ち合う乾いた音を蜂蜜亭内に響き渡らせながらそう叫ぶアンク、そして不敵な笑みで了承しつつモップ先に赤い光の魔力…?らしきものを収束させているミリアさん。しかしどちらの口調にも、やはり微塵も焦りは感じない。時折、黒甲冑の剣の軌道がアンクへ致命傷を負わせそうな箇所に向かうのだが
「よーし。さっさと終わらせてコルトに今日何があったか事細かに聞くぜ。」
「ふふふ、素直に教えてくれるのかしらね?」
スナップを利かせ長包丁で敵の剣の向かう先を自分に向かない様に受け流している。俺の動体視力を遥かに上回る動きだ…正直今のアンクの攻撃が全部は見えていない。相手はアンクの持つ包丁の優に3倍の長さの剣を持っているのに、明らかにレベルが違う。それに武芸に関してはド素人の俺ですら聞いた事がある…「得物の長短を補うには使い手の技量でカバーする以外に無い」と。つまり…アンクはあの黒甲冑を完全に上回っているという事だ。
「おい、そっちにも行ったぞ。」
流石にそんなアンクでも短い得物では2人同時相手が厳しいのか、片方は足止めするも残りの片方はミリアさんに向かって剣を振り被って突進して行く。…が。
「あら残念、黒い鎧の人達には悪いけど…既に準備完了してるわよ。」
バイザーで覆われた突進中の相手顔面に向け、モップ先端がピタリと照準を合わさった瞬間
『火炎炸裂弾』
爆発音みたいな物が響いた同時に砲弾サイズの炎が計4発、発射された。勿論外れる訳も無く、炸裂音と共に…うわ…全弾が敵の顔面を直撃したらしい。…らしいというのはやっぱり俺の動体視力では追い切れなかったから、標的となった黒甲冑は店の外まで吹っ飛ばされる事は無く床へ背中から倒れ込み首から上が煙で見えない…。今の俺の状況って…戦いについていけてない、って奴じゃ…?しかし…自分の回復魔法以外は初めて見たが詠唱が要らないとは驚いた。特訓すればそうなるものなのだろうか?
「先ずは1匹、かしら。」
1匹…?1人じゃなくて…?あ、な…なんだあいつ…首から上が…無い!?いや、鎧の中身そのものが無い!?な、中の人等いないリアル版…?こっわ…。つまりこいつらは魔物の仲間なのだろうか…。更に恐ろしい事にその首が無くなった黒甲冑は怒りや恨みといった反応すら見せず、ただ無言で起き上がった。…まるで人形の様だ。
「いや、こいつら再生するみたいだぜ。粉々にするか、どっかにある核を的確に壊さねーと消えねーだろうな。」
もう1匹の黒甲冑はアンクに易々と手玉に取られているのか、鎧表面に無数の斬撃を受けて表面に傷が残っている。それ故か若干動きが鈍くなっているみたいだ。しかしよく見ると表面に出来た傷を黒い煙が覆ったかと思えば、じわじわと塞がってく光景が見える…少しキモい。
「成る程ね、再生に関してはこの魔物達の主が魔力を注いでいるからか、或いはこの甲冑自体がそういう呪いを持っているのか…。どっちにしろ厄介な代物ね…一気に粉々にして消し飛ばすわ。」
ミリアさんがそう宣言するとモップの逆先端…木造りの部分で床をトンッ…と軽く叩くと、そこを軸に光り輝く魔法陣が現れる。それを見たアンクは直ぐ様後退し、剣戟を交わしていた黒甲冑から距離を取って魔法陣の範囲から出る。こうして前衛が居なくなった状態の今、魔法陣の範囲内に留まっているのは斬撃跡が残る黒甲冑と頭部が再生追い付かずデュラハンみたいになった黒甲冑、そしてその魔法陣の使い手であるミリアさんだけだ。敵と自分だけがのフィールドに入った状態と認識した彼女は静かに口を開く。
『凍結決壊の檻』
その一言でミリアさんに襲い掛かろうとしていた黒甲冑達が凄まじい吹雪に全身を包まれたかと思うと、透き通る様な美しい氷に閉じ込められ凍結した状態に変化していく、…これは…相手を凍りつかせる魔法なのか。
「えい、っと。」
まるで緊張感の無い声でミリアさんがモップの先でツン…と押せば片方の首無し黒甲冑は床へ再び仰向けとなって倒れた…と、同時に粉々に砕け散る。その散った全ての欠片が黒い煙と共に消滅していくのがカウンター越しからでも見えた。…犬の時もこいつの様な現象が起きて消えたので、恐らく倒したのだろう。ミリアさんは残った斬撃跡の付いた黒甲冑にも向き直り、モップでそっと押そうと
「はい、これで終わり。」
そう彼女が呟いた瞬間、偶然にも俺は気付いた。黒甲冑の片腕だけが…ミリアさんの死角になっていたのか凍り切ってない!
「ミリアッ!離れろ!」
いや、気付いたのは俺だけじゃなくアンクもだった。俺よりもずっと早く、珍しく焦りが滲む声でミリアさんに叫ぶ、が…。やや黒甲冑の動きの方が早かった。
「っ!」
ミリアさんが後退する直前、凍結し切らなかった黒甲冑が持つ片腕の剣が一閃する。
「くっ…。………、っ…ぅ…。」
しかしすんでの所で致命傷だけは回避したのか、敵のほぼ眼前と言っていい距離で床に座り込んで脇腹を押さえている。その押さえている片手の隙間からは夥しい量の血が零れている、少なくとも…放置して無事で済む傷ではない!行かなくては…こういう時の為に俺は回復魔法を手に入れたんだから…俺はコルトにここで待つ様にと話を…こ、コルト…!?居ない!さっきまで隣に居たのに…!慌ててカウンターから部屋全てが見える様に立ち上がるとその視線の先には
「お母さんっ!!!」
「出るんじゃねえコルト!」
「コルト!来ちゃダメッ!」
コルトはカウンターを飛び出していた。そうしてミリアさんの傍に駆け寄ろうとする。何て早まった真似を………なんて…、……言える…か…っ!親を…心配する子供の行動に…正しいも間違いも…有る筈無いっ!俺も続く様にカウンターから出ると真っ直ぐコルト達の方へ駆ける!
「…っ!」
おい…、…ふ…ざけんな…あの黒甲冑っ!何でもう治ってんだ!?早過ぎるっ!何で……もうコルトの前に…奴が立ってんだよっ!?ダメだっ…!アンクは…奴から離れすぎてるっ…!今この場には…俺しか間に合う可能性は…!
「コルト!!!お母さんは良いから離れてっ!」
「やだっ!…嫌だよぉっ!」
くそっ!間に合え…間に合え間に合え間に合えっ!!!…ダメだっ!コルトはミリアさんを庇う様に両手を広げて立っているっ…そして奴の剣の振り被る角度…もしもコルトがあのまま斬られたらっ…下手をしたら…即……、…くそっ…くそっ…くそおおおおおおおぉっ!!!何が回復魔法だ…!何がちょっとRPGな世界でワクワクする、だ…!…何が、…何が悲しむ人を助けられる、だ!回復魔法だけが有ったって…未然にそれを防げる訳じゃ…無いじゃないか!!!俺は…楽をしてずっと欲しかった力を得て…っ…調子に乗って勝手自己満足して…!結局何も変われて無いじゃないかっ…!ここの家族は…!そんな俺なんかを…こっちの世界で助けてくれた…俺にとって…大事な人達なんだぞっ!!
「コルトォォォォォォォォッ!!!!!」
腕の関節がおかしくなるのを覚悟で両腕を最大限伸ばし、黒甲冑の前でミリアさんの盾になっているコルトを背後から抱き締めれば素早く互いの体の位置を反転させ俺自身が盾代わりになる様に背中を差し出す。恐らく激痛では済まないであろう…痛みが来るのを覚悟してグッと目を瞑った。これなら…運が悪くても死ぬのは俺だけで済む…いや…本当は…死にたく無い…妹との約束だってある。…でも、生きて欲しいと思う人達や…心優しい人達を助けられず、遺された人が泣いて…俺だけが逃げる様に生き続けるのは…もう絶対、嫌だ…!!!だからここで…仮に死んでしまっても…俺は…!
「…よくやった、クラル。」
しかし……次に聞こえてきたのは俺の体を切り裂く音では無く、アンクの声だった。背中も、首も、腰も…斬られた感触は……無い。ゆっくりと目を開くと、ぼやけていた視界が段々と明瞭になっていく。…今…見えているのは…深い傷から血を流し蹲りながらも涙を滲ませ安心したかの様に微笑むミリアさん…そして我が子の無事を心から喜ぶ様な視線…俺にまで向ける必要は無いのに…ミリアさんは…こちらにも…そんな視線を向けてくれている。そして少し視線を下げると綺麗な薄紫髪が特徴的な後頭部…コルトを抱き締めたままだった、その頭が小さく動き顔がこちらを向く。コルトは…泣いていた、ミリアさんが無事だったからホッとしたのだろうか…彼女も無事だ…俺も少し視界が潤む…生きてて…本当に良かった、と…。この家族にはずっと幸せで居て欲しい…天寿を全うした場合の死なら仕方ないかもしれない、けど…理不尽な死の悲しみは…俺みたいな思いだけはさせてはいけないんだ。そうして最後に、初めて俺を褒めた男に視線を移す。男は何時も通りの口調、だけどその俺を見る目はやっぱりミリアさんと同じく見守る様な優しいものだった。
「さて、ミリアを治療しねーとな。」
アンクの投擲した長包丁が
見事に……、黒甲冑の核を貫いていた。




