ドラゴンの国3
「ニーナさんが、この船に?」
「間違いない、はっきりと聞いた」
「……そうか」
アドは新聞に目を通す。
最新鋭の大型船ポシーイド号が行方不明になったのは、二日前の夜ことだ。
ポシーイド号はジャワル島に向かう途中で嵐に遭遇した。すぐ側を航行していた別の船によると、ポシーイド号はそのまま闇に飲まれ消えてしまったと記事には書かれている。
「……」
記事を見たアドは、何も言葉が出なかった。それはネイドも同じだった。
沈没。最悪の言葉が、二人の脳裏に浮かんでいた。
ポーシイド号は大型船だ。小さな船であればいざ知らず、大型船が二日以上も見つからないとは考えにくい。となれば、考えられるのは沈没している可能性だ。
そして、もし沈没していたとしたら乗員乗客の命は絶望に近い。
「くそ!」
ネイドは何もできない自分に、苛立っている。
「落ち着け、まだ彼女が死んだと決まったわけじゃない」
可能性は極めて低いと分かっていたが、アドはそう言うしかなかった。
「ああ」
ネイドは落ち着きを取り戻す。いや、無理やり自分を落ち着かせた。
「……」
二人は再び黙り込む。
今すぐニーナを探しに行きたい。しかし、広くて目印もない海のどこをどう探せばいいのか分からない。
すると、沈黙する二人の背後から声がした。
「船が行方不明になったのは、どこだ?」
二人が振り返ると、さっきまで不機嫌そうにしていたエリアが立っていた。そういえば、エリアは今朝の新聞を見ていなかったなとアドは思った。
それにしても何故、そんなことを聞くのか?
疑問に思いながらも、アドはエリアに新聞の記事を見せる。
記事には地図が載っており、そこには船が行方不明になった場所にバツ印が付いていた。
その場所には何もなかった。周辺には島もなく、ただ青い海が広がっていた。
どこかに陸地でもあれば、漂流した可能性もあるのだが……。
しかし、エリアは海しかない地図をじっと見つめていたかと思うと、突然自分の部屋に行ってしまった。
アドとネイドが呆然としていると、エリアは数分もしない内に戻ってきた。その手に丸められた地図が握られている。
エリアはテーブルの上に置いてあった食器をどかして、そこに地図を広げた。
「ここだな」
エリアはテーブルに広げた地図のある場所を指差す。そこは、新聞の地図では海が広がっているだけの場所だった。
「確かに船が行方不明になったのはここだけど……あっ」
「あっ」
最初にアドが、次にネイドが新聞に書かれていた地図とエリアが持ってきた地図の差異に気が付く。
その場所は、新聞に載ってある地図には海しか広がっていない。しかし、エリアが持ってきた地図にはポツリと島が浮いていた。
地図には、島の名前も書かれていた。その名前を見てアドは驚愕する。
「ここって……」
「そうだ」
エリアは顔を上げ、二人を見る。
「コピルニア島だ」
無人島。ヒトが一人も住んでいない島。
世界中に無数に存在し、ヒトの手が入っていない外界と隔離されたその環境では、珍しい進化を遂げた固有種がいる場合も多い。
しかし、例えヒトが全く住んでいない島だとしてもほとんどの場合、どこかの国が所有している。なぜなら、例えどんなに小さな島だとしても、その国の領土であるため、その島を基準として領海が決められるからだ。
しかし、世界にはどこの国にも属さず、誰も所有権を持っていない無人島も存在する。
コピルニア島もその一つだ。
「ここが、コピルニア島」
アドは地図をまじまじと見つめる。コピルニア島のことは聞いたことがあるが、実際にどこにあるのかは知らなかった。
「コピルニア島?」
一方、ネイドは首を捻っている。どうやら聞いたことすらないようだ。
そんなネイドを見て、エリアは教師のようにコピルニア島のことを説明する。
「コピルニア島は百二十年以上、どこの国にも属していない島だ」
「コピルニア島は元々、ユーシレイ国という国の領土だった。だが、ユーシレイ国は今から百二十年前に起きた独立運動国によって崩壊し、新たに三つの国に分裂した。新たにできた国はそれぞれ、コピリニア島の所有を巡り対立して戦争状態になった。戦争は長期化して泥沼化、コピリニア島の所有権はうやむやとなってしまった」
その後、所有権がうやむやになったコピルニア島をグーブレ共和国やギレ国、西グメル国がどさくさに紛れ、占領しようとしたが全て失敗。
現在、コピルニア国は事実上どこの国にも属さない島となっている。
「何で新聞の記事には、その島がないんですか?」
まるで生徒のように、ネイドが質問する。
「コピルニア島は保有している国がないため、新聞に記載すると色々と問題が起きる。そのため、通常新聞にこの島が載ることはない」
コピルニア島は様々な国が所有権を主張している。新聞にコピルニア島の地図を載せると『向こうの国に寄り過ぎている』とか『もっと、こちらの国に寄せろ!』と抗議されることがあるのだという。それを避けるため、新聞社は新聞にコピルニア島を載せることは原則避けているのだそうだ。
「エリアは、ポシーイド号はこの島に漂着したと思っているのか?」
「新聞には船が行方不明になったとしか書かれていない。可能性はある」
新聞にはコピルニア島のことを載せる事が出来ない。
もし、コピルニア島にポシーイド号が漂着した可能性があるとしても、憶測の段階では記事にすることできない。そのため、新聞には『行方不明』と記述されているのだろう。
「じゃあ、その島に行けば!」
ネイドが興奮気味に叫ぶ。
しかし、それに冷や水を浴びせるかのようにエリアが冷たく「無理だ」言い放った。
「どうしてですか!」
「コピルニア島は上陸が禁止されているからだ」
コピルニア島は現在も様々な国が権利を主張している。
このまま放っておけば、過去のように島の所有権を巡り戦争が起きかねない。
そのため、島の所有権がはっきりとするまで、コピルニア国の所有権を主張している国の間で様々な条約が結ばれた。
コピルニア島への上陸禁止もその内の一つだ。
島は複数の国で監視されており、島に近づく不審な船に対しては発砲も許可されている。
十年ほど前にも、コピルニア国に入国しようとした不審船がギレ国の監視船によって銃撃を受け、乗っていた全員が射殺されている。
「でも、ヒトを助けるためなんですよ!」
「コピルニア島への上陸はいかなる理由でも禁止されている。人命救助も例外ではない」
「そんな……」
コピルニア島への上陸は戦争の引き金にもなりかねない。戦争を避けるためなら、少数の犠牲はやむを得ないという考えなのだろう。
「諦めるしかないな」
エリアは冷たい声で、そう言った。
「なんとか、ならないか?」
「無理だな」
ネイドが帰った後、アドはコピルニア島に入る方法はないか、エリアに尋ねた。だが、彼女の返事は先程と変わらない。
「仮に、上手く島に侵入できたとしよう。それでも、助けられる可能性はほとんどない。むしろ島に入ってからの方が危険だ」
それは、お前も知っているだろう?とエリアは言った。
ユーシレイ国から分裂した三国がコピルニア島を巡って争った後、グーブレ共和国、ギレ国、西グメル国がコピルニア国を占領しようとしたが、どの国も失敗した。
それは何故か?
答えは、この島に住んでいるある生物が原因だった。
「サルか……」
アドの答えにエリアは頷いた。
コピルニアモンキー。
コピルニア島にのみ生息する固有種で、世界一凶暴なサルだとされている。
コピルニアモンキーの体長は一メートル五十センチ前後。
群れで行動し、海岸によく現れるため、コピルニア島を監視している船からもよく目撃されている。海岸では貝殻を拾ったり、海に潜って魚を捕まえたりしているそうだ。
コピルニアモンキーの体毛は他のサルと比べて薄い。これは、海に潜る際、毛が邪魔になるからだろうとされている。
二足歩行することも可能で、両腕に物を持ちながら二本足で歩くこともできる。
コピルニアモンキーが世界一凶暴なサルだとされているのは、この島に入ったヒトは例外なく、このサルに襲われているからだ。
グーブレ共和国、ギレ国、西グメル国。この島を占領しようとした者達は皆このサルにやられてしまった。
コピルニア国が未だにどこの国にも属していないのは、このサルが原因の一つでもあるのだ。
ヒトが一人もおらず、どこの国家にも属していないサルが支配するコピルニア島。
その特徴から、コピルニア島のことを『サルの国』と呼ぶ者もいる。
「襲撃を受けた者達は皆、コピルニアモンキーによって森の奥深くに連れ去られてしまった。生き残った者も命からがら逃げてきたため、連れ去られた者達がどうなったのかも分かっていない」
ユーシレイ国の領土だった時から、コピルニア島は詳しい調査が行われたことがない。
コピルニア島は全体が森で覆われているため、島の中央に何があるかは解明されていない。
エリアの話を聞きながらアドは、あることを考えていた。
「密航するつもりか?」
アドの考えをエリアは見抜いていた。アドは「ああ」と短く返す。
島に入ることは禁止されている。となれば、無断で入るしかない。
「それはドラゴンベンチャーの仕事ではない」
「ああ」
「見つかれば、命はないぞ」
「ああ」
「上手く入れたとしても、島には凶暴なサル達がウヨウヨいる」
「ああ」
「上手く助け出すことができたとしても、島を脱出できるとは限らない」
「ああ」
「そもそも、あの女がコピルニア島にいるとは限らない」
「ああ」
「それでも行くのか?」
「ああ」
「そうか……」
「……止めないのか?」
「止めたら、やめるのか?」
「いや……」
「だったら、止めない。その代り……」
エリアは、アドの目をじっと見る。
「私も連れていけ」




