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第二種危険生物:その地域の野生生物に重大影響を与えるとされ、野外に放つことが禁止されている生物。もし、これに違反した場合は三年以下の実刑となる。
「この法律に罰金はない。必ず三年以下の実刑となる」
アドは思わず身震いした。
「コイツは、そんなに危険なドラゴンなのか?」
アドの問いかけにエリアは首を振る。
「分からない」
「分からない?」
「第二種危険生物は実際に野外に放たれたことはない。だが研究の結果、もし放たれたら自然界に重大な影響があるとされる生物だ」
エリアはおとなしくなったドラゴンを見る。
「この子らが第二種危険生物にしてされた理由は、その知能の高さだ」
クロウドラゴンはアド達の住んでいるコラプス国の遥か南東の国にある森の中で暮らしている。
彼らの知能の高さは専門家の間では有名だ。野生では木の枝や石、時には動物の骨を利用して魚や虫を捕り、必要とあれば、それを加工することも出来る。さらに、彼らは百以上の意味を持つ言語を使って会話していることも研究によって明らかになっている。
「驚くべきことに、岩に記号のようなものを描くクロウドラゴンも確認されている」
「記号?」
「一部の専門家は、これは文字ではないかと言われている」
アドは驚き、目を見開く。
「文字まで使えるなんて凄いな!」
「もっとも文字であるというのは、まだ仮説段階だ。ただの落書きと考えている専門家もいる。だが、もし文字だとしたらヒト以外に文字を使える唯一の生物ということになる」
アドは足元で寝ている黒いドラゴンを見る。そんなに凄いドラゴンだとは思ってもみなかった。
「クロウドラゴンの繁殖力はそんなに高くない。だが野外に放した場合、その知能の高さから他の生物に打撃を与える可能性が非常に高い。だから第二種危険生物にしていされている」
「なるほどな」
アドは腕を組み、納得する。
「ちなみに他はどんなのがあるんだ?第二種ってことは第一種もあるのか?」
エリアが頷く。
「危険生物は、下から第五種、第四種、第三種、第二種、第一種、特別災害生物に分類されている。第五種は野外に放ったとしてもその地域では生きていけない生物。第四種は野外に放った場合、ある程度は生き残るが、やがて滅びる生物。第三種は野外に放った場合、そこで生きていけるか不明だが、生き残る確率は低いとされる生物。第二種は野外に放った場合、そこで生きていけるか不明だが生き残る確率は高いとされ、その地域の野生生物に重大影響を与えるとされる生物。第一種は過去に実際、野外に放され、その地域で生き残り、地域の野生生物に重大影響を与えた、または与え続けている生物。そして特別災害生物は……」
「アドいるかい?」
低く、穏やかな声が小屋の中に響いた。
「親父だ。もう帰って来たのか」
アドは屈み、黒いドラゴンと目線を合わせる。
「じゃあ、またな。もう暴れるなよ」
「クアー」
「よし」
アドが頭を撫でると、ドラゴンは気持ちよさそうに眠った。
「やっぱり、ここにいたのか。おや、そちらは?」
アドの父親はエリアを不思議そうに見つめる。
「お邪魔してます。アド君の友人のエリアと申します」
エリアは礼儀正しく、笑顔で一礼した。
「それは、それは、ご丁寧にどうも。アドの父です」
アドの父親はゆっくりと、真心のこもった礼をした。
「アド君が最近ドラゴンを飼い始めたって聞いて、是非見せて欲しいとお願いしたんです。勝手にお邪魔して申し訳ありませんでした」
「いや、いや、いいんですよ。いつでも遊びに来てください」
「アイツにはちゃんと言ったぞ」
「……そう……か」
義理の母をアイツ呼ばわりするアドを父親は悲しそうな目で見る。
「それでは、私はそろそろ帰ります」
一瞬、流れた気まずい空気をエリアの一言が、かき消した。
「そうですか?もっとゆっくりしていけばいいのに、なんなら一緒に食事でも」
「いえ、ドラゴンも見れたことですし。うちは門限が少し厳しいので、今日はこの辺でお暇します」
「分かりました。また、いつでも遊びに来てくださいね」
「はい、是非」
エリアは笑顔になる。その笑顔は先ほどアドに向けたものでも、義理の母親に向けたものとも違う笑顔だった。
「今日は、ありがとうな」
「別に、何もしてない」
山道は危険だからと送ってあげなさいと父親に言われ、アドはエリアを送ることになった。
「父親は優しそうな人物だな」
エリアの言葉にアドは頬をかく。義理の母親の時とは違って少し、笑顔がこぼれる。「まぁな」とアドは照れくさそうに言った。だが、そのあとすぐに暗い表情に変わる。
「親父は人が良すぎるからな。昔からいろんな人間に騙されたそうだ。そして、大抵だまだれたことにすら気づかない。今回も気づいてないしな……」
暗い表情をしながら歩くアドをエリアは、じっと見つめる。
「あの子の前でそんな顔をするなよ。飼い主に迷いや不安があるとドラゴンにまでそれが伝染するからな」
「分かった」
「そんな顔をするのは、私の前だけにしておけ」
ぼそっと言われたので、うっかり聞き逃すところだった。しかし、その言葉は確実にアドの耳に届いた。
「ありがとう」
アドも小声で返事をする。ちゃんとエリアの耳に届いただろうか?きっと届いただろう。なぜなら照れたかのようにエリアの歩くスピードが上がったからだ。アドもエリアのスピードに合わせ歩く。アドとエリアは同じスピードで同じ方向に歩いた。
「この辺でいいぞ」
「分かった」
もうとっくに森は抜けていたが、話しながら歩くうちに、町の途中まで来てしまった。
「じゃあ、また来週な!」
アドは軽く手を振り、自分の家に帰ろうとした。
「明日」
エリアの言葉に反応し、振り返る。
「暇か?」
「ああ、まあな」
「なら、明日うちに来ないか?色々、見せたいものがある」
明日は学校も休みだ。特にやることもない。それにエリアの家がどのようなものか興味はある。
「ああ、いいぞ!」
エリアは顔を上げる。唇の端がわずかに上がっている様に見えた。
「じゃあ、明日この場所で、十時に待ち合わせよう」
「了解。じゃ、また明日な」
「また明日」
アドは大きく、エリアは小さく手を振り、別れた。
「今日、エリアの家に行くから」
「そうか。楽しんでおいで」
「……」
久しぶりに、本当に久しぶりに偶然が重なり、家族三人で朝食をとることになった。もっとも、空気はとても重苦しい。アドは義母と目を合わそうとせず、義母もアドと目を合わそうとしない。父はそんな二人を交互に見るが、何も言わない。
「ご馳走様」
アドはさっさと朝食を済ますと食器を片づけ始めた。
「アド、夕飯はどうするんだい?」
父が訊ねる。そういえば、どうするか考えていなかった。
「良かったら、夕飯も三人で食べないか?」
父はアドと義母を見ながら微笑む。思わぬ父の提案にアドも義母も驚く。
「どうしたの?急に」
義母が父に訊ねる。
「今日は偶然、僕も君も休みだ。こんなこと次はいつあるか分からない。だから、たまには……ね?」
父は以前からアドと義母の仲を気にしていた。おそらくこれも自分と義母との仲が少しでも良くなればいいと考えての提案だろうとアドは思った。
父はヒトとヒトはどんなに仲が悪くても、最後は必ず分かり合えると信じている。しかし、実際にはそんなに上手くいかない。ヒトにはそれぞれ個性があり相性がある。もし仮にこの世界が善人しかいないとしても、皆が仲良くできるとは思えない。
「いいかな?」
父は二人に笑顔を向ける。義母は何も言わず、アドをチラチラ見る。判断をアドに委ねようとしているようだ。アドは少し意外だった。てっきり断って男と遊びに行くと思っていたのに。
「別にいいよ」
アドはできるだけ感情を失くして答えた。
「私も……別に……いいわよ」
小さな声で義母もそう言った。
「よかった。じゃあアド、晩御飯には帰って来るんだよ?」
「分かった」
食器を洗い終えると、アドは自分の部屋に戻った。
「あの……さ」
玄関のドアを開け、出掛けるようとしたアドを義母が呼び止めた。
「何?もう出掛けるんだけど?」
まさか、家事をしてから出掛けろとでも言うつもりなのだろうか?
「これ」
義母はアドに何か差し出す。よく見るとそれは一枚の紙幣だった。しかも最高紙幣だ。
「何これ?」
「お金よ。見れば分かるでしょ?」
「それは、分かるけど」
一体どういうつもりだ?全く意図が読めない。
「あの女の子とデートするんでしょ?だったら、お金がいるじゃない」
「別にデートじゃない」
義母は何か勘違いしている。確かにエリアは女の子だ。美人で成績も優秀。実は男子には人気がある。凍った眼をしていると言っているクラスメイトがいるが、それはクラスの中心グループにいる女子で、男子はそれに合わせているというのが実際の所だ。現に男子しかいない時に『学年の女子の中で付き合いたいなら誰?』という話題が出たら、彼女は必ず五番以内には入る。
過去にイジメられたこともあるが、事の発端は学校でも人気のあった男子がエリアに告白し、それをエリアが断ったことが原因らしい。
クラスの中には、その男子が好きな女子が複数いた。エリアがその男子を振ったと聞いた女子は、エリアに嫉妬して「生意気」だとか「自分たちを馬鹿にしている」とか言ってイジメのだ。
エリアの美しさは、良くも悪くも、本人が望むと望まざると多くのヒトを惹きつける。そんなエリアの家に行くが、決してデートなどではない。
「デートは男がリードしないとダメ。女の子に奢ってもらうとかありえないから」
「だから、別にデートなんかじゃ」
「いいから、持って行きなさい。ほら!」
義母は、いつまでもお金を受け取らないアドの手を強引に掴み、無理やりお金を握らせる。返そうかと一瞬思ったが、もしかしたら金を使う場面があるかもしれない。今、自分の手持ちは決して多くない。その時に彼女に奢らせたりするのは確かに失礼だ。
「ありがとう」
義母から目を逸らし、小さな声で礼を言う。
「いいから早く行きなさい」
義母も目を逸らす。口調も心なしか早口だ。
「じゃあ、行ってきます」
「今日の……晩御飯」
「え?」
「今日の御飯、楽しみにしてるから」
驚いて、再び義母を見る。義母は目を伏せていた。良く見えないが頬が少し赤い気がする。アドは何か返そうとしたが、何も言えなかった。
「……行ってきます」
それだけ言うと、玄関のドアを開けた。
「一体なんだったんだ?」
普段の義母からは考えられない態度だった。何かいいことでもあったのか?それとも父に何か言われて仕方なく言ったのか?それとも何か他の理由があるのか?
「まぁ、いいや」
どうせ今日、三人で夕飯を食べるのだ。その時にでもさりげなく聞けばいい。
アドが待ち合わせ場所に到着したのは、約束した時間の十分前だった。
「まだ来てないか」
そのまま待つことにする。待っている間は退屈なので何となくボーと周りを見る。楽しそうに笑う親子連れ、カップル。友人と集団で歩いている学生達。休みということもあって人が多い。なんとなく、空を見るとドラゴンが飛んでいた。盛んに鳴いている。うちのドラゴンよりも大きいな。そんなこと事を考える。
「待たせたな」
横から声が聞こえた。アドは視線を声のした方に向ける。
「いや、俺も今来たばか……」
その姿を見たアドは絶句する。
エリアは白いワンピースを着ていた。いつもは下ろしている長い髪も今日は後ろで結んでポニーテールにしている。普段、制服しか見ていないアドは思わず息を飲んだ。
「何だ?」
黙って自分を見ているアドをエリアは不思議そうに見る。
「い、いや、べ、別に」
普段より、綺麗だと言おうとしたが、それでは普段は綺麗ではないと言っているような感じになるのではないかと思って、何も言わなかった。
「そうか。なら行こうか」
エリアは普段と全く変わらない。少し安心したような残念なような複雑な気分になる。
「ああ、行こう」
歩き出したエリアの横に並び、アドも歩き始めた。途中で何人もの人間がエリアを見ていたが、アドはなるべく気にしないことにした。
「ここだ」
待ち合わせ場所から電車に乗り、少し歩いた所にエリアの家はあった。
「ここ?」
「ああ」
「でかいな!」
その家は、アドの家の三倍くらいの大きさがあった。自分の家もかなり大きい方だと思うが、此処は段違いだ。
「さあ、入れ」
「お邪魔しま……うお、凄い!」
エリアの家の中はまるで図書館のようだった。本棚にはびっしりと本が詰まっている。内容はドラゴン関連のものが沢山あったが、他にも科学について書いてある本、経済について書いてある本、ヒトの行動学について書いてある本もあった。
「凄いな。全部でどれくらいあるんだ?」
「さぁな、数えたことはないが一万冊ぐらいあるじゃないのか?」
「一万!」
普段、本をあまり読まないアドにとっては、ここはまるで異世界だ。そういえば昔、本の中に入り込んで冒険をする話を母親に聞いた記憶がある。あれは何というう話だっただろうか?
「今度はこっちだ」
エリアは奥を指差す。まだ本があるのだろうか?
「うおおおああああ!」
アドは、さっきよりも大きな声を出してしまった。
「これ、全部本物か?」
「ああ」
「凄いな!」
そこにあったのは、ドラゴンの剥製だった。しかもその数が凄い。手のひらサイズのドラゴンもいれば、三メートルを超えているものもいる。
「ここには大小合わせて、千体ほどの剥製がある」
「千!凄いな!」
まるで、どこかの博物館のようだ。小さい子供の頃に戻ったような感覚になる。
「好きなだけ見ればいい」
「え、いいのか?」
「剥製は触れなければいい。本は好きなものを好きなだけ読めばいい」
「そうか、ありがとう」
アドはどこから見ようかと悩んだが、まず本から見ることにした。ドラゴンのことをもっと知りたいと思ったからだ。だが、本は一万冊もある。ドラゴン関連の本だけでも膨大な量だ。
「ドラゴンのことを知りたければ、この本が一番いい」
とエリアが一冊の本を渡してくれた。なるほど、確かに今まで読んだどの本よりも分かりやすい。難しい言葉はほとんどなく、シンプルにまとめられていた。本を読み終えると剥製を見たくなる。アドは本を見ながらドラゴンの剥製を見る。ただ見るよりも格段に面白い。
そんなアドを見て、エリアも剥製の解説をする。本に書いていないことを補足として説明してくれるので、さらに理解することができた。そうして剥製を見て回っていると、不思議な剥製を見つけた。本に載っていないか探してみたが載っていない。
その剥製は一見するとヒトのようだった。身長は二メートル程と大きかったが、しっかりと二本足で立っていたし、手もあった。だが、目はヒトのものより大きい。耳に耳殻はなく、穴が開いているだけだ。顔はヒトのように平面ではなく、前に突き出している。開いた口にはヒトの様な歯ではなく、小さく細かい歯が上下合わせて百本以上並んでいる。皮膚は見た感じ、ヒトの様にツルツルではなくザラザラとしている。
「エリア。このドラゴンは一体なんだ?」
首を横に振り、エリアは答える。
「これはドラゴンじゃない。フラマだ」
「フラマ?」
「ドラゴンビトと呼んでいる者もいる」
アドとエリアはフラマを見上げる。
「これは、ここにある物の中では唯一剥製じゃない。作り物だ」
「作り物?これが?」
まるで本物の剥製にしか見えない。凄い技術だ。
「これは、ある研究者が考えた予想を基に作成された」
「予想って、どんな?」
「ドラゴンの進化について、前に話したことを覚えているか?」
「ああ」
アドはエリアの話を思い出す。ドラゴンがまだトカゲだった時、いくつもの種類に分かれた。穴を掘るために鋭い爪を持つものや、翼を持つもの、ガスを吐くものがいたという話だ。
「その中に二本足で立ち上がるものがいた。彼らの一部はいったん分岐した他のトカゲと交わりながら、ドラゴンとなっていった。では交わらなかった二本足のトカゲはどうなったと思う?」
つまり、他のトカゲと交わらずに、同じ仲間と交配を重ねた者だろう。
「う~ん、まだどこかで生きている?」
「絶滅したんだ」
エリアは顔を伏せる。
「彼らの化石が最後に見つかったのは、ちょうどドラゴンが現れた頃と一致いる。つまり、ドラゴンとの生存競争に負けたことになる」
エリアは前に、ドラゴンが増えるにつれて減っていった生物も沢山いると言っていた。例えば『鳥』はかつて何千種類もいたが、今や鳥類は十一種類しかいない。二本足で歩くトカゲもその一種だったのだろう。
「だが、もしそのトカゲが生き残っていたら一体どう進化したかと疑問に思った専門家がいた。その専門家が研究の末、導いたのがコイツだ」
「これがか。まるでヒトみたいだな」
「収斂進化という言葉を知っているか?」
初めて聞く言葉だ。アドは首を横に振る。
「いや、知らない」
「収斂進化とは、似たような環境にいると種類の違う生物でも同じような進化をするというものだ。例えば、地中で暮らす哺乳類のモグラと昆虫のケラは前足の形が似ているし、海で暮らす魚類のサメと哺乳類のイルカは体形が似ている」
「ああ、そういえば」
「例え種類が違うとしても、その環境に適した形に自然となっていく。二足歩行のトカゲもヒトが暮らしていた環境と似ている場所に生息していた。二本足で立つことによって、前足が自由になる。そうすれば、いずれそこが手になっていくことも十分に考えられる。事実、発見されたトカゲの化石の前足は手のような形をしており、物を掴むことができたと考えられている」
「つまり、そのトカゲが生き残っていれば、こんな形になっていた可能性はあるって訳か」
「あくまで可能性の話だがな」
「でも、もしかしたらどこかにいるかもしれないな」
アドの言葉に、エリアは僅かに唇の端を上げる。
「お前はどう思う?」
「どうって?」
「コイツを見て」
エリアは何か試すような目でアドを見る。しかし、アドはその視線に気付かずにフラマを見ていた。
「可愛いと思う」
「可愛い?」
「あ、ああ」
エリアが驚いた声を上げる。かなり珍しい。
「この目とか、可愛いと思った」
それを聞いたエリアが下を向く。そして、プルプルと小刻みに震えだした。
「おい、どうかし……」
アドが具合でも悪いのかと聞こうとした時だった。小さな声が聞こえた。
「クッ、ククッ、クククッ」
「エリ……ア?」
「ククッ、ククククッ、クククッ」
エリアは小さな声で笑い出す。その笑い声はだんだんと大きくなった。
「ククククッ、クククッククククッ、クククッハハ、ハハハハハハッ、ハァーハハハハハッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」
ついに堪え切れなくなったのか、エリアは大笑いしだした。今まで見たこともないエリアの姿にアドはただ、ただ茫然とするしかなかった。
「悪かったな」
「いや、別に大丈夫」
エリアはあの後、五分ほど笑い続けると、いつもの無表情に戻った。
「何がそんなに面白かったんだ?」
「お前が笑わせるからだ」
「俺、なんか変なこと言ったか?」
アドは頭を掻く。そして、「あっ」と短い声を上げた。
「今、何時だ?」
「十七時三十五分だ」
「まずい、そろそろ帰らないと」
「何かあるのか?」
「実は家族三人で夕飯を食べることになっているんだ」
エリアは少し目を見開く。
「あの女とか?」
「親父が言ったんだ。たまには家族三人で夕飯でも食べようって」
「そうか」
エリアは少し複雑そうな顔をする。
「心配してくれてるのか?」
「まぁな」
「そっか、ありがとう。でも大丈夫だ」
アドは笑顔を作る。
「お前がいいというのなら、それでいい」
エリアの声は気のせいか、少しだけ悲しそうに聞こえた気がした。
「今日は、楽しかった。ありがとう」
玄関先で、アドはエリアに見送られている。
「また、いつでも来い」
「いいのか?」
「ああ」
アドは微笑む。
「分かった。また来る」
「……」
その時、エリアが微かにほほ笑んだ。その笑みに夕日の光が当たり、まるで頬が赤くなっているように見え、アドはドキリとした。
「じゃ、じゃあな!」
アドは大きく手を振りながら走り出した。その後ろ姿を見ながら、エリアは小さく手を振った。
「まずいな。少し遅れた」
電車の中で、アドは焦っていた。
「走れば、間に合うか?」
そんなことを考えていたアドは、ふと自分の感情に気付いた。
「もしかして俺、楽しみにしてるのか?」
いつも、家にいない父。いつも遊んでばかりいる義母。家族はもうとっくに崩壊しているものと思っていた。特に義母とは永遠に分かり合えることはないだろうと思っていた。しかし、今日の朝のいつもとは違う義母の態度。
義母はもしかしたら、自分に歩み寄ろうとしてくれたのではないだろうか?自分に良いように考えているのかもしれない。思い込みかもしれない。でも、永遠に歩み寄ることができないという自分の考えもまた、思い込みなのかもしれない。
もし、義母が自分に歩み寄ろうとしてくれているのであれば、自分も歩み寄るべきなのではないだろうか?そして、もしかしたら本当の家族になれるのでは?
そんなことを期待して、自分は楽しみにしているのではないのか。
「まったく。俺もお人好しだよな」
これでは、父親のことを馬鹿にできないなとアドは思い、少し微笑んだ。そしてなんとなく、外の風景を見る。山が見えた。その山の上の方に自分の家がある。
今乗っている電車を降りて、山まで走り、山を登る。少し間に合いそうにない。
「使ってもいいよな」
財布を取り出し、中身を見る。その中に、義母がくれた金がある。普段は禁止されているが、今日ぐらいはいいだろう。
アドはもう一度、山を見た。数匹の巨大なドラゴンが山に向かうのが見えた。ドラゴンは山の頂上で旋回し、やがて火を吐き始めた。あっという間に山は火に覆われる。
「え?」
何が起きたのかアドは理解できなかった。次の瞬間、電車が急ブレーキをかけた。慣性により乗っていた乗客が一斉に倒れる。
「一体なんだ?」
アドが体を起こし、窓の外を見る。巨大な二つの目玉がこちらを見ていた。
周りに倒れていた乗客も起き、窓の外の目玉に気が付く。声を上げるものはだれもいなかった。誰もが今起きていることを理解するので精一杯だった。こちらを見ている二つの目玉が近づく。
「はぁ、はぁ」
隣にいた女性の息遣いがだんだんと荒くなっていった。
「キャーーーーーーーーーー」
女性は甲高い叫び声を上げる。その瞬間窓が割れ、巨大な手が入ってきた。手は隣にいた女性を掴む。女性は抵抗する暇もなく窓の外に引きずり出された。
女性の姿が消える。次の瞬間、ボトボトと赤い何かが落ちてきた。アドや他の乗客からは見えないが、引きずり出された女性は高さ十メートル以上あるドラゴンの口に運ばれていた。女性を一飲みすると、ドラゴンは再び電車に腕を突っ込む。
そして、少年を掴むと窓の外に引きずり出し、一飲みにしてしまった。




