ファントムドラゴン5
「ほら、あそこにいる」
「わぁ、凄い!」
川で休む本物のワニ達を見て、リンは歓喜の声を上げた。
「口、大きいね!」
「そうだね」
「可愛い」
「そ、そうだね」
可愛い?
リンは、独特の感性を持っていると思った。だけど、ドラゴンを可愛いと思うアド自身も似たようなものだ。
「ワニは何を食べてるの?」
「小さい時は、虫や小さなカエルとかだね。大きくなるにつれて、魚とか大型の哺乳類なんかを食べるようになるんだよ」
「ドラゴンも食べるの?」
「食べるよ。この前来た時は、ドラゴンを食べていた」
「私を襲ったドラゴン?」
「そう、あのドラゴン」
「ワニって強いんだね!」
彼女はワニをキラキラした目で見つめる。しばらく、ワニを見ていると不意に口を開いた。
「じゃあさ」
「うん」
「ヒトも食べるよね」
アドは一瞬、言葉に詰まったがはっきりと「うん」と頷いた。
「そっか」
リンの顔から表情が消える。
「お父さん、痛かったかな」
消え入りそうな小さい声で、リンは呟いた。
森から抜け出したアドは、村に戻ると村人に密猟グループに襲われた事を話した。
アドの言う通り、森の中に埋められていた大量のワニの骨が発見された事で、多くの憲兵が村にやって来た。
憲兵が森の中を捜索していると、川の近くで多くの猟銃や松明が発見される。
調査の結果、村で密猟グループに関与していたヒトは十五名。その全員がワニに喰われたとされた。
しかし、一人や二人ならまだしも十五人全員がワニに喰われたことに疑問が残った。
松明が現場にあったということは明かりがあったはず、何故ワニから逃げることができなかったのかということ。
全員の銃に撃った形跡があったのに、撃たれていたワニが二匹しかいなかったこと。
そして、何故ワニが大群でヒトを襲ったのかということ。
散々議論されたが、それらの疑問が解かれることはなかった。
結局、彼らは目撃者であるアドを消そうと森の中を走っている内に、川に出てしまい、ワニに喰われたということになった。
リンとリンの母親にも、父親が密猟グループの一員であったことと、ワニに喰われたことが伝えられた。
母親は、何度も何度も否定していたが、やがて真実を受け入れ泣き崩れた。
しかし、リンは全く泣かなかった。子供の彼女は、事態を理解することができないのだろうと皆思った。
だが、そうではなかった。彼女は全て理解していた。
「何度も止めようとしたけど、結局できなかった」
リンは独り言のように呟いた。
最初、彼女の両親は、リンに病気のことは秘密にしていた。だが、リンは両親の様子から、自分が重い病気にかかっていることに気が付いていた。
「私、死ぬの?」
ある日、思い切って両親に切り出してみた。
もしかしたら、自分の勘違いかもしれない。だが、リンの両親は瞳に涙を溜め、彼女を抱きしめた。
「ある日、お父さんが私のために薬を持ってきてくれるようになったの。私は薬はとても高いものだって知っていたから、お父さんに聞いたの。お金大丈夫って?そうしたら、お父さん『お前は気にしなくていいんだよ』って頭を撫でてくれた」
家の稼ぎでは、高価な薬など買えはしない。そのことは、子供のリンも知っていた。
「だから、お父さんは私のためにきっと危ないことをしてお金を稼いでるんだって、そう思った」
リンの話をアドは黙って聞いた。リンの瞳に少しずつ涙が溜まる。
「お兄ちゃんが助けてくれた日。実はワニを見に行こうとしたんじゃないの」
「じゃあ、何のために?」
「ワニの骨を探そうとしたの」
アドは少し目を見開いた。
「君は、お父さんがワニを殺していたことを知っていたの?」
「うん、知ってた。前にこっそりお父さんの後をつけて見たことがあるの。そうしたら、お父さんが怪しいヒトと次はいつワニを殺すのか相談してた」
「そうだったのか……」
アドはリンの肩に手を置き、安心させるように微笑んだ。
「ワニの骨を見付けて、どうするつもりだったの?」
「憲兵に持っていこうとしたの、お父さんを止めたくて……」
アドは優しい声で尋ねた。
「リンは初めから、ワニを食べるドラゴンなんていないって知ってたんだね?」
彼女はワニが減っている理由を知っていた。それなのにそのことを隠して、アドに調査を依頼した。
リンは、コクンと頷いた後、「ごめんなさい」と謝った。
「お兄ちゃんなら、ドラゴンに詳しいから、きっとワニのことも何とかしてくれるって思ったの」
アドの胸がリンの言葉でチクリと痛んだ。今度はアドがリンに「ごめん」と謝った。
「俺は何にもできなかった」
リンは、首を振る。
「ううん。お兄ちゃんは、ちゃんとワニを助けてくれた」
「ありがとう」とリンは笑顔で言った。
川にいたワニの一匹が、目を覚ますとゆっくりと川の中に入った。川の中を悠々と泳ぐワニはとても気持ち良さそうに見える。
「あのね、リン」
「何?」
リンがこちらをまっすぐ見る。
「君に言わなければいけないことがある」
あの時、草陰にずっと隠れていたアドだったが、クロのおかげで森から抜けることができた。
「ありがとう」と頭を優しく撫でるとクロは頭を摺り寄せ、甘えてくる。
森の中で、クロが地面の下に埋まっていたワニの骨を発見した時に、クロと作戦は立てておいた。密猟グループがアドの口を封じようとするのなら、村の中ではなく、森の中で始末する可能性が高いと判断した。村の中で殺人を犯して、遺体を森に埋めるよりも森に誘い出して殺すほうが楽だからだ。
そして、森に誘い出すなら皆が眠っている夜にするだろうということも予想が付いた。アドはクロに、もし自分が夜中に誰かと一緒に森に入ったらのなら、こっそりと後を付けるように頼んだ。
さらに、自分が密猟クループに襲われた時には、鳴き声で注意を逸らしてくれとも頼んだ。ただし、姿を見せるとクロが危ないので、安全な場所から。
相手の注意を逸らせれば、逃げ出すことは難しくない。その後は草むらに隠れればいい。
夜の森の中で、隠れたヒトを探すのは簡単ではないはずだ。しかし、もし相手が複数で探せば、いずれ見付かるだろう。
アドは、もしそうなった時の作戦も立ててあった。
ドラゴンには、音を真似るのが得意な種類がいくつかいる。クロウドラゴンもその中の一つだ。他のドラゴンの鳴き声や自然界に存在しない機械音なども真似することができる。
アドがリンの父親に撃たれそうになった時に、上から聞こえた鳴き声。あれは、クロが別の種類のドラゴンの声を真似したものだ。
密輸グループが、仲間が撃ったものと勘違いした銃声もクロが真似したものだ。
銃声を真似た鳴き声で相手を別の場所に誘導する。その隙にアドは逃げる作戦だった。
だが、まさかクロが誘い出した先で、ワニに襲われるとは予想していなかった。
「君のお父さんが死んだ原因を作ったのは俺だ」
アドはリンをまっすぐ見る。そして、深く頭を下げた。
「すまない」
リンは無表情にアドを見る。
「そう……」
リンは視線をワニに戻した。川にいたワニ達は次々に目を覚まして川に入る。
やがて、川辺にワニは一匹もいなくなった。
「仕方ないよ……。お父さん、ワニを殺してたんでしょ?お兄ちゃんのことも殺そうとしたんでしょ?」
「それは、そうだけど……でも」
「伝説にもあったでしょ?ワニを殺したらワニに殺されるんだよ。悪いことしたら悪いことが返ってくるんだよ」
リンはただ流れる川を見ている。
「仕方ないよ」
アドがリンのいた村を後にして一カ月後、新たなドラゴンを研究するため、彼は森の中を歩いていた。
「キッキキ」
一匹の小型のドラゴンが、アドの元に降り立った。小型のドラゴンは、首からぶら下げていた鞄から一枚の封筒を渡す。
封筒を受け取り、中身を確かめると中には手紙が入っていた。
「ありがとう。これも頼めるかな?」
アドは小型のドラゴンに封筒と500Gの金を渡す。この封筒の中身も手紙だ。
「キッキ」
小型のドラゴンは封筒を鞄に、お金を別の袋に入れ、飛び立った。
アドは、手紙に目を通す。
『ご苦労様、こちらは無事だ。とはいってもこの手紙がそちらに着くまでには、かなり時間が掛かるので、まだ私が無事だという保証はない。それは、お前も同じだろう。私がこの手紙を書いている頃には無事でもいたとしても、手紙が届く頃にまだ無事だとは限らない。だが、お前もあの子も無事なものとして続ける』
「相変わらずだな」
アドは思わず苦笑する。あいつの手紙はいつもこの文面から始まる。
『こちらに届いた手紙は見た。久々に<新種のファントムドラゴン>に出会うとは貴重な体験をしたな』
<ファントムドラゴン>
ドラゴンには様々な種類がいる。しかし、ヒトが噂している伝説上のドラゴンが全て存在するとは限らない。
大陸よりも大きなドラゴン、星を支えるドラゴン、体が炎でできているドラゴン、体が水でできているドラゴンなど、伝説上にのみ存在し、現実には存在していないドラゴンのことドラゴンベンチャーは<ファントムドラゴン>と呼んでいる。
そして、比較的新しく作り上げられた存在しないドラゴンを<新種のファントムドラゴン>と呼び、それらに係る事件に遭遇することを<新種のファントムドラゴンに出会う>と言っている。
『手紙には、密猟グループがワニに喰われたのは自分のせいと書いてあったが、そんなこと全く気にすることはない』
アドは、以前この事件のことを今読んでいる手紙の主に送っていた。
『密猟グループがワニに襲われたのは、おそらくお前のせいではない。だから気にすることはない』
(これは、慰めてくれてるのか?)
あいつは、無表情だが決して冷酷な奴ではない。むしろ、その反対だ。ただ、態度や雰囲気から誤解されやすいだけなのだ。
「だけど、おそらくって……」
そこは絶対と書いて欲しかったが、まぁいいや。アドは手紙の続きを読む。
『ところで、少女から報酬を貰ったということだが、ちゃんと黒字になっているのか?』
思わず「ゲッ」と声を出してしまった。
森を案内してくれた村人、そして、あるドラゴンの生態調査を手伝ってくれた現地のヒト。彼らに払った報酬は、リンから貰った報酬を軽く超えている。
つまり、今回のワニの調査は大赤字だ。
『まさか、また貰った報酬よりも払った金額の方が多い。なんてことはないだろうな?』
まずい、完全に見抜かれている。
『お前はもうプロだ。プロなら金銭のことを第一に考えろ。金銭のことを考えてから、仕事の内容を考えろ』
「うーん」
分かっているのだが、それがなかなか難しい。ついつい、困っているヒトがいると助けたくなってしまう。
すると、いつも最終的に赤字になってしまう。
『私はもう、お前に金銭的な支援ができないということを忘れるな』
「ああ、忘れないさ」
とある事件で、彼女は全財産のほとんどを失ってしまっている。
幸い彼女自身に怪我はなかったが、もう、以前のような家に住むことは不可能になった。
『あと、あの子は元気か?ちゃんと面倒は見ているか?体調管理には特に気を付けろ』
「ちゃんと気を付けてるよな?」
「ピー」
クロに向かって、首を傾げるとクロも真似して首を傾げた。
『お前自身も、くれぐれも怪我や病気をしないようにしておけ。無事に再会できるのを楽しみにしている』
「俺もだ」
『最後に、心から愛している。 エリア=カインド』
「俺もだ」
アドは、クロにも聞こえないような小さな、とても小さな声で呟いた。




